ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

夏になると…

2015-08-05 17:05:18 | つれづれ

 

写真は、息子が中学の時の担任のH先生からのもの。

私とは、話し始めるといつも漫才かコントのようになる楽しい先生で、

卒業後もずっと暑中お見舞いと年賀状のやりとりを続けてきました。

この夏、主人のことは年末には喪中はがきを出しますが、まぁちょっと先に一言・・・と思い、

主人の新盆であることを書き添えました。すぐに電話があり、いろいろ励ましてくださって…。

そして、2日ほどたったら「ご供養のお線香などはいろいろ届くでしょうから、

お花の代わりに仏前に飾ってください」と、写真の「組み立て式お手紙」が入っていたわけです。

うしろの下の方に文章が書けるスペースがあります。

そこには「お父様 奥さんと息子さんを見守ってください」と書いてありました。

主人が熱帯魚が趣味だったことも知っていましたので、海の風景を選んでくださったのでしょう。

なによりのもので「きれいだねぇ、カメさんも泳いでるよ」と、写真の前に置きました。

 

さてさて、それにしてもなんと暑い日々でしょう。東京では140年ぶりとかの「猛暑日連続記録」…

ンな記録なんぞ、出さんでえぇちゅーねん…いや、まだまだ「記録更新」しそうで、たいへんな夏です。

先生のものと一緒に、京都のいとこからの暑中見舞いが届きました。

あちらは旧盆ですから、これからお盆の準備です。京都の暑さは尋常ではありませんから、

丘の上のカンカン照りのお墓参りはさぞかし大変だろうなぁと…想像していたら

ふと、いとこの父親のことを思いだしました。私の母方の伯父に当たる人です。

 

伯父はもうずいぶん前に亡くなりましたが、私の記憶にある伯父は、いつもやせた背中を丸めた姿で、

いとこの家の中でも影の薄いひとでした。夏休みに遊びに行くと、相好を崩して「よう来たなぁ」と、

それはそれはやさしい顔で声を掛けてくれるのですが、

伯父が私に話しかけると、なぜかいつも伯母がきて、きつい言葉で伯父のことを怒る…

「もたもたせんとはよごはん食べてしまい!」とか…。

子供のころは「ものすごいカカァ天下」…くらいにしか思っていませんでしたが、

少しずつ大人になって、だんだんわかってきました。

伯父が伯母に邪険にされるには、それなりの理由があった…それは「戦争」というもののせいでした。

 

伯父は長男ではなかったので、親が「土地と家を持たせ、嫁を持たせて分家させた」…らしいです。

更に伯父は、どこかに勤めることなく軍隊に入ったそうで、いわば職業軍人。

水兵服に口髭を蓄えた写真を見たことがあります。

伯母と結婚したものの、しょっちゅういないわけで…伯母はひとりで、親からもらった田畑を耕し、子供を育て、

隣の奥さんから「鹿の子絞り」を教わり、それを内職にして夫のいない家庭を支え続けたわけです。

たまに陸(おか)に上がってくる伯父は、戦争の始まりのころは、周囲の人からちやほやされたのだとか。

当時海軍さんは人気がありましたから。

ちっとも家に帰らず、遊びまわり…やがて戦況が悪化し、ついに終戦になった時、

伯父は腑抜けのようになって戻ってきた…これは伯母が言っていたことです。

何の職業にもついたことがないから「つぶし」がきかない、仕事と言ってもなかなかみつからない…

結局知り合いの大工さんのところで働き始めたものの、ずっと雑用というか、そんな仕事をしていたようです。

伯母はかなり性格のキツイ人でしたし、母が昔から「巳年だからものすご執念深いでぇ」と言ってました。

戦争中に自分がどれだけ苦労したか、何もせんとえぇ気なもんや、戦争終わったらなんの役にもたたん…と。

それがエンエン続いていたわけですね。やることも徹底していて、食事も絶対一緒にとらないし、

伯父がうっかり先にお風呂に入ろうものなら「あんたのあとなんか入れるか!」と、入りませんでした。

伯父は反論もせず「いゃーすまんかったなぁ」と、ぼそぼそっと言って奥の部屋にひっこんでしまう。

さすがに私も高校生くらいになると「ちょっとひどいんじゃない?」と、いとこにも言いましたが、

誰が言うたかて、かわらへん、みんなお互いあきらめてんねん…でした。

その後伯父は脳卒中でなくなりましたが、知らせを聞いて新幹線で駆け付けた母に、

伯母は「ウチはあんな奴の葬式なんぞ出ぇへん!」と喪服もだしていなかったそうな。

あんまり頑強にダダをこねるので、近所の目上の人にきて諭してもらい、

母に「どんな憎い人でも、死んだら仏さんやろ」と言われて、しぶしぶ葬儀に参列したという猛者でした。

 

一方…私が結婚して、主人の父がシベリア抑留を経験した人だと知ったのは、けっこう経ってからです。

義父も3度も召集されて、戦争の「現場」にどっぷりつかった年月を送った人でした。

私は10年20年と経つうちに、そういう経験をしてきたからこその「抑圧」といいますか、

自分は生き残ってしまった…という、いわばあれはPTSDだと思いますが、そういう思いから、

楽しいことや幸せなことを素直に受け止められない…そんなことではないかと思いました。

贅沢もせず、旅といえば毎年舞鶴で行われる「慰霊祭」を兼ねたような会合の旅行ばかり。

亡くなった時の、家の中は「断・捨・離」が必要ないくらいの暮らしぶりで、

決して貧しくはなかったのに、何もない家、でした。

主人が結婚する直前に建て替えた立派な家でしたけれど、たくさんあったのは庭樹だけ…。

 

今、実際に戦争に行った人たちが、少しずつ後世に残さなければ、と話し始めています。

私は、親から少しずつは聞いていますが、当時、本当はちゃんと話して伝えるべき私たちが子供のころ、

戦争に行った人たちは「思い出したくない、話したくない、忘れたい」と言う気持ちが、

今よりずっと強かったのだと思います。

伯父が腑抜けのようになった…というのも、お国のため、と自ら志願し、軍艦に乗って何度も戦地へ行き、

それでいて「名誉の戦死」もできぬまま帰還してしまったことからの、PTSDもあったかもしれません。

今まで信じていた「お国のやってきたこと」は、180度ひっくり返ってしまい、あれほと「兵隊さーん」と、

憧れられていたものが、ヘタすれば「戦犯」になりかねない…。

ある日突然、そんな現実になってしまって、家に帰れば必死で家を守り、娘3人育ててきた女房は、

「なんやねーん!」です。そりゃどっちもそうだと思います。確かに伯母がキツすぎたことはありますが、

伯母の気持ちもわからないでもありません。結局、さしたる甲斐性もないままの伯父を後目に、

伯母は鹿の子絞りの腕を買われて、皇族の方のご注文品まで絞りました。

それで娘3人、嫁に出したわけです。伯母は「私が一人で全部やったんだ」という気持ちが、

どうしても消せなかったのだと思いますし、伯父はそれに反論する言葉も持つこともできず、

「カイショなし」から立ち上がる元気も気力も失くしてしまったまま一生を終えた…ということなのかと思います。

伯父と義父の「戦後の生き方」は、正反対と言っていいほど違いますが、

私はどちらの人生も、ずっとずっと「戦争の影」をせおっていたという点では同じだったと思っています。

 

たった30年ほど違うだけで、今のお年寄りは戦争の記憶も経験も違います。

戦時中の思い出は、食べ物がなかったり、みんな貧しくてたいへんだったり…

そういう記憶が中心でしょう。同じ「戦争っていやだ、やってはいけないことだ」という気持ちはあっても、

実際に命のやりとりをするような経験とは、やっぱりその後の考え方も違うと思います。

 

今でもふっと、大工さんの半天を着て、汚れた小さな風呂敷包みの弁当箱をさげて帰宅し、

私に「ようきたなぁ、おかぁちゃんは元気か、がっこはどないや」と、ニコニコ笑いかけてくれた伯父の顔を

思い出すことがあります。伯母は確かにきつい人だったけれど、それでもほんとに「女傑」でした。

伯父が軍人でなかったら、普通に農家をやっていて、召集されて兵隊に行ったのなら、

伯父と伯母は、カカァ天下ではあっても、もう少し優しい時間を過ごせたのではないかと思うのです。

伯父のような人、二人のような夫婦、義父のような人、義父のような生き方…

特別珍しいことではなく、当時戦争から帰った人たちの多くに、いろんなつらい「戦後」があったはず。

ある日突然戦争は終わったけれど、その傷は原爆のような恐ろしいものも、小さな家庭の出来事にも、

いろんな形で長く、つらく、残るものなのだと思います。

 

8月に入ると、戦争関連の番組なども多くなります。

「絶える」と言うことの弊害は、着物が着られなくなったことにで混迷を極めている「着物の今」をみれば、

その怖さや、それでも進めるためには大変な努力が必要なことは、わかります。

少しでも正しい知識を伝承して、戦争は人間の一番愚かな選択である…ということを、

これからの時代を担う若い人たちに、理解してもらわなければと思います。

暑い8月は、忘れてはならないことがたくさんある季節でもあると…毎年思っています。


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