昭和13年8月号「主婦之友」の付録です。
タイトルは「非常時裁縫 和洋衣類の再生法三百種」、
上のほうに小さく「主婦之友家庭報国運動」とあります。
戦争の足音高く聞こえてきた時代です。「非常時」と言う言葉が切実ですね。
表紙をあけると宣伝ページなのですが、文章がすごい!
「純綿を捨てて、国策上ス・フ交織品を愛用する時代が参りました」
参ってほしくなかったですねぇ。若い人は「スフ」なんてご存知ないでしょうね。
「スフ」と言うのは「ステープル・ファイバー」の略です。
「短繊維」という意味なんですが、短繊維自体はいろいろあります。
この戦争前後に「スフ」と呼ばれたのは「人絹」のこと。
今でいうところのレーヨンですが、原材料は木、つまりパルプです。
パルプを化学処理して絹に似せた繊維を作り出したわけです。
綿を輸入に頼っていた日本は戦争することで、それができなくなる・・・
そこで日本にゴマンとある「木」を原料としたレーヨンを使おう・・というわけ。
今でこそ技術が向上し、レーヨンは高級素材の仲間入りをしていますが、
当時の「人絹」は薄くてペラペラですぐ切れる裂ける・・で
「粗悪品」の代名詞みたいに言われています。
今でも古着で人絹というのはでますけれど、触ってみると「なるほどね」です。
前述の「宣伝文句」は更に「此の際はお召し物の新調よりも
まずお手持ち品を巧みに調整更新していただくことでございます」と続きます。
暗に「スフなんか使うより、手持ちのいいものをリフォームしましょ」と、
なんかそういってる気がするのですが・・。
ちなみにこの広告主は「クラブ糊」という洗濯糊のメーカーです。
この本、実はB6版の小さい本なのですが、300種びっしり載ってます。
時代がわかる一枚を・・・、
何がすごいって二人とも「ゲタ」です。こういう写真だからかどうか、
おかーさんがさしてるのも、子供が持ってるのも日傘は「蛇の目」。
浴衣一枚からのリフォーム、ん~~すごい・・・。
もっとすごいのを一枚・・
昔の仮名遣いですが、なんとかお読みいただけると思います。
つまり、親指の先に穴のあいたタビの更生法です。
鼻緒の下になるところでつげば目立たぬ・・といっておりますが、
はいたらたぶん「痛かった」だろうと思います。
それでも、こうやってとにかく「モノを大切に」と暮らしていたんですね。
これは江戸時代の「布を大切にする」というのとは、基本的に意味が違います。
だんだん自由も物資もなくなっていく中で、
女性たちは必死で衣生活を支えていたんですね。つい、60年前のことなのです。
このころから銘仙など、絹物の質も少しずつ落ち始め、
人絹とともに「安物」の代表のように言われることになってしまいました。
おまけのようなお話になりますが・・・
江戸時代の更生は、庶民が貧しかったために行われたことでした。
当時木綿なども販売はされていましたが、たいへん高価なもの、
新品反物を買うのは、今で言うなら「薄型ナントカ大型テレビ」だの
「マイ・カー」だのを買うのと同じくらいのたいへんな買い物だったわけで、
一生のうちに何度もないことでした。
それで、普段の暮らしの中では「お古・お下がり」大歓迎、
着物として着られなくなれば、更に日用品にして最後まで使い切ったわけです。
また「古着屋」もたくさんあり、神田川沿い柳原土手とよばれる地域には、
古着屋が軒を並べていましたし、竹馬屋、といって、
竹に古着をかけて売り歩く「古着の行商人」もいました。
こういう行商人は、まだ使えそうなハギレも売ったそうです。
また、レンタルやさんもありました。「損料屋」といいます。
損料と言うのはつまり「着物の賃貸料」のことで、
庶民はここぞというとき、つまり以前お話ししました「ハレとケ」の
「ハレ」のほう、たとえば「見合い」とか「芝居見物」とか「花見」とかの
非日常のことを敢行?するときは、このレンタル着物で済ませたのです。
今、このモノがあふれた時代、大切にするためや危機的状況を凌ぐための更生は
ほとんどみられません。とてもシアワセなことですが、
その分、大切にすることの意味や、暮らし方を考えたいなぁ・・と
そんなふうに思います。
まるで私が持たせたものでした。大反省・・・
鍋釜、IHにしたので全部捨てることに、
あの有様を見ていると、さだめし我が家などは大爆破でもしなければ始末ができそうにもありません。
たまにはこんな本を見せてもらって、反省~です。
私の親の年代は、モノがなかったから、私の嫁入りにはミソしょうゆまで持たせました。その親に育てられてるから、私もモノがすてられない。要は「いるものか、いらないものか」なんですけどね。シンプルに暮らしたいと思います。むずかしー・・・。
を過ごしたからかも知れませんが物を
粗末にすることをきらいました。
私もこの年になってだんだん母に似て
きたのか、何かに間に合うと思うと
捨てられずに取ってある物多いです。
母もなんでもとっておく人で、今でも押入れに
「デパートの紙袋」「届いた荷物にかかっていた紐」
さまざま小分けにしてはいっています。
まったく・・といいつつ、けっこう私もやってる・・
最近は「綺麗だから」ととっておかず、
紙の分別のゴミの日に、そのふくろにいろいろ
紙ゴミ入れて捨てるようにしています。
そうでもしないと減らないんですよね・・・。
不燃物やリサイクルごみの増えようにはうんざりです。なんでもトレイやカップにはいってるし。世田谷にきてからお野菜は農家でいただくようになり、ゴミがその分減りました。いずれコンポストを手に入れたら、生ごみもリサイクルして腐葉土つくろうと思っています。
昔、母が別珍のタビの親指のところを同じような色糸で刺し子のようにして補修していました。イマドキは靴下なんて穴あきゃ捨てるし・・「つくろい」ということをしなくなりましたね。横浜もゴミの分別が細かくなって、プラゴミを分けるようになったのですが、週に一度だけ、生ゴミが週三回。ところが、実際始まったら「プラ」のゴミのほうがはるかに多い・・。ギョッとしました。回数逆でいいわ・・なんていってます。日本はどーなっていくのでしょー。