ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

早朝の番組で…

2008-08-17 07:08:21 | つれづれ
目覚まし代わりにタイマーをかけていたテレビがつきまして、
NHKにしておいたつもりが、いきなりCMで「あれれ?」…、
で、着替えなどしながら見ていましたら「硫黄島」…の文字。

話しはこうです。
ある男性(終戦当時小学生くらい)が、海外旅行で知り合ったアメリカ人に、
「父親が返したがっていた日本人の写真がある、持ち主を探して欲しい」と
頼まれた…というドキュメンタリーでした。

そのアメリカ人の父親という人は、終戦直前、硫黄島で捉えた捕虜の
尋問をしていた人だそうです。「坂井泰三」という名前の捕虜を
尋問するうち、国を越え立場を越えて親しく話しをするようになったそうで、
「坂井泰三氏」は、いずれ自分の持ち物などはすべて押収されるであろうから、
これだけは貴方が持っていて欲しい、と言って一枚の写真を託したと。
その写真は、坂井氏本人と奥さんと女の子がわらって並んでいる写真でした。

そのアメリカの軍人は、何年か前に亡くなったそうで、
最後まで「この写真を家族に返したい」と言い続けていたのだそうです。
頼まれた男性は、新聞にも大々的にのせてもらい、捜索したのですが、
今まだ見つかっていないというのです。
写真を見て連絡してきてくれた女性がいましたが、
その人は「尋問の調書」を入手していて、その中に「坂井泰三氏」の名前がある、
と知らせてくれました。それによって、坂井氏は戦前東京の「アテネ・フランセ」
という学校にかよっていたということがわかりました。
これは今でもある有名校だということで、検索するとすぐでてきました。
戦時下でも一年足らず休校しただけで、ずっと外国語の授業をしていたそうです。
坂井氏は、英語、フランス語が堪能だったそうで、
写真の裏にも「賢くあれ」というフランス語が書かれていました。
捕虜になったのは「投降」したからですが、彼はその理由を
「早く戦争を終らせて、まちがった教えで戦争をしている自国民を助けたいから」と言ったそうです。

男性は、写真の持ち主を探すために、当時同じ隊であった人や、
アテネ・フランセの関係者などに次々と会うのですが、
坂井氏まではたどり着きませんでした。
その聞き取りの中で、男性は、自分は子供で疎開している年代ですから、
彼らに戦争の状況を尋ねました。悲惨な話しが次々と語られます。
そしてダレもが最後に「戦争はやっちゃいかん」と、つぶやきます。

つい最近まで「年寄りなら戦争のことを知っている」と思っていましたが、
考えてみれば74になるジサマも、当時は子供です。
本当に、今聞いておかなければ、実際に硫黄島で、サイパンで、
沖縄で、実際に戦った人たちの話は、聞けなくなってしまうのですね。

「坂井泰三氏」のご家族は、結局今も見つかっていません。
東京の学校に通っていたということは、元々東京の人なのかもしれません。
東京は大空襲もありました。もしかしたらご家族も…などと、
つい悲観的に考えてしまいますが、男性は今も探し続けています。
捕虜当時28歳、大体で計算してみると写真の女の子はたぶん今70歳前後かと。
その方がお元気なら、ご存命のうちにその写真が届けられますようにと、
願わずにおれませんでした。

それにしても…毎年思うのですけれど、こういう番組にしても、
NHKの終戦や原爆に関する番組にしても、どうして深夜2時だとか、
早朝5時なんて時間に放送するんでしょう。
毎週とは言いませんが「その日はどこを回しても終戦特集」みたいに、
各局がそろって放映すればいいのにと思います。
残虐な場面はいけないといいますが、カンタンに殺しあうゲームならいのかなー。
日本の戦争の記憶を風化させてはいけないだけではなく、
「すべての戦争」を風化させてはいけないのですよね。


お盆も終りましたが、重ねて「合掌」。



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11 コメント

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私も観ていました。 (akkomam)
2008-08-17 10:11:02
 
 戦後63年たってきますと、出征した方々は
 私の父もそうでしたが、高齢で亡くなられてる
 方も多いことでしょう。

 一生懸命、探されていらっしゃる方も
 その当時の凄惨な状況を思い出されて話ながら
 涙される方、どちらにもいまだにつらい
 戦争の思い出が胸につまっていらっしゃる姿に
 涙が溢れ、戦争は終われば済むものでなく
 人生が終わるまで拭うことの出来ない心の
 重荷を背負っていく苛酷さに言葉がありません。

 近年、戦争体験を話される方が多くなったのも
 歳をかさねるごとに、胸に収めておくだけでなく
 語ることで後世に戦争のおろかさを伝えておかなければ
 と思われることもあると思います。


 もっとたくさんの人が観る時間に放送されてほしい!!
 と、私もおもいます。


 
返信する
子供の頃と比べても (おつう)
2008-08-17 14:44:27
終戦や原爆に関する番組減りましたね・・・。

うちは親が熱心な人だったので毎年原爆展に行ったり、戦争に行った人の体験談を聞くツアーにも参加したりしました。
修学旅行を入れたら広島には3回行きました。

先日4年生の息子が図書室で「はだしのゲン」を読んで、「こんなんほんまにあったん?」と聞いてきました・・・。
ほんまに・・・って、と呆れましたが、私が説明しただけでは中々伝わらないんですよね。

息子には「ひいおじいちゃん・ひいおばあちゃん」が居ますが、私の世代の「ひいおじいちゃん」達はほとんどが戦争へ行き、若くして亡くなっています。

数年前に亡くなった旦那のおじいちゃんは「寸足らず」で戦争へ行かなかったんだよ・・・、と本人に関係のあるところから説明しています。
(身長制限で引っ掛かって徴兵されなかったそうで。当時は「寸足らず」と馬鹿にされ、その孫(旦那)が身長182センチあることを、死ぬまで会うたびに喜んでました)

子どもと一緒に見れる時間に、そういった番組を放送してほしいですね。

すべてを言葉だけで伝えるのは難しいです。
私も戦争を知らない世代ですから。
でも、自分の子供に知らないまま育って欲しいとは、思いません。
息子だから余計に。

男の子は武器のおもちゃが好きですが、本物の武器を本来の目的に使うと、どうなるのか。
知っていて欲しい、と思います。
返信する
Unknown (とんぼ)
2008-08-17 20:56:38
akkomam様
ご覧になりましたか。
老齢の男の人が、突然言葉を詰まらせて、
涙を必死でこらえる…どれほどの思いかと
それを考えると、
本当に戦争は恐ろしいと思います。
「ああいうときには人は人でなくなる」と、
こういう番組で、よく聞きます。
遺体が転がっていてもなんとも思わない、
ふみつけたり、遺体の荷物の中で使えるものや
食べ物をさぐったり…極限では、
人は「モノ・ケモノ」になる…その恐ろしさを
経験したくはありません。


おつう様
私の実父も肋膜をわずらったことで、
召集はなかったかわりに「技術」のほうで
海軍で働きました。それを誇りとしていたのに
終戦がきて「あれはなんだったんだ」と…。

このごろは戦争そのものの悲惨も
さることながら、今もそれがどんなに
影をおとしているか、戦争は終っても、
おわらないものがたくさんある、ということが
よく言われているように思います。
戦うことだけでなくて、
自分は銃をもたなくても、そのあともずっと
こんな悲しさつらさが残るのだと、
知って欲しいですね。


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Unknown (sayo)
2008-08-18 03:02:49
60半ばの母は満州生まれなのですが、戦争の特集や残留孤児の方々のニュースを見るたびに「お母さん、ひとつ間違えばここにいたかもしれないよねぇ」と小学生当事に聞いたことを思い出します。ぎゅうぎゅうの船に乗って引き上げてきたとか、空襲のときに電気に布をかけたのを2歳くらいのことなのに覚えているとか、想像の及ばない世界の話でした。
今年はオリンピックの陰に隠れてか終戦記念日のニュースなど少なく感じますね。
二度と繰り返さないために、未来を担う子らに伝えていかなければならないと切実に感じます。
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昨日も (zizi)
2008-08-18 07:46:55
オリンピックの狂騒の裏でひっそり?と戦争体験の番組をしていましたね。とても悲しい顔をされて話していらっさいました。

義父も戦争に行ったであろうに殆ど話さず西に行ってしまいました。祖父も。外地からの引き上げで苦渋の決断を迫られた話はポツリと母に話したそうです。船に乗れる人数は限りがありますからね。以後 日本各地を旅行したと聞きましたが、散在した部下を訪ねていたようでもあります。言葉にすると自分の思いが希薄になる(思いを籠めきれず)とでも思ったのでしょうか、殆ど話さない人が多いように思います。
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Unknown (ゆん)
2008-08-18 11:09:31
こんにちは
CM料について廻るタブーのないNHKでも、視聴率が大事なのか~、ってしみじみしてしまう放送時間ですね…。
 ラジオの「心の時代」も、もっといい時間に放送してほしい!!聴覚だけだと、却って臨場感があって、心にしみてきます。

 私の祖父は、深酒する度、私にだけ、「満州」の話をしました。
 友人の義父は、引き揚げにかかった「10年」の話だけは、連れ合いにもせずに逝ったそうです。
 先日、「レイテ」の話を放送していました。90代の男性の涙というのは衝撃的でした。戦争の記憶というものは、どうしたって消化できないものなんだと思いました。
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テスト (陽花)
2008-08-18 21:04:40
テストです
返信する
もう一度 (陽花)
2008-08-18 21:08:00
テストで送りましたがようやく
入れました。
タイトルを入れていなかったから
入れなかったのかもしれません。
ややこしいことでごめんなさいね。
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Unknown (とんぼ)
2008-08-18 22:40:40
sayo様
「聞いた話」でもいいから、
伝えていかねばと思います。
私の母は長兄の出征を大阪まで見送りに
いったそうですが、初期のころは、
全員が革靴で、銃剣を持ち、
勇ましい行進だったのに、長兄のときは、
先頭の兵隊だけが革靴で、あとは地下足袋、
銃剣もなかったそうです。
そのとき「ああこれでは負けるな」と
おもったとか…もちろんそんなことは、
口に出してはいえませんが、
みんな少なからず感じていたのでしょうね。
誰にも止められなかった。悲しいことです。


zizi様
無事帰れても、かの地で果てた仲間を思えば、
身の幸せを単純には喜べなかったでしょう。
亡くなった人も生き残った人も、
その家族も、本当に忘れたい、忘れられない、
忘れてはいけない…。
そんなことしか残さないんですね、
戦争なんて。


ゆん様
結局何のためのだれのための
「放送・報道」なのかと思います。

お酒でも飲まなきゃ話せない、
話してもつらい…でも語ってもらわねば、
私たちにはわかりません。
聞けるときには聞いてしっかり聞いて
伝えなければね。


陽花様
いろいろすみません。
無事入るようでよかったです。
なにがどうなっているのか、わかりませんで
かえってお気遣いさせてしまってすみません。
なかなかむずかしいものです。
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同感です。 ()
2009-11-04 20:59:59
2009.11.4 静岡の放送局で放送されているこの番組を見ています。おっしゃる通り、こういう番組は大人も子供も見られる時間帯にキー局経由で全国に放送されるべきです。お笑いが流行れば何処のチャンネルを回してもお笑いばかり、クイズ番組もしかり、放送局のいい加減さには腹が立つことしきりです。もっともっと国民の意識を高めたり、社会問題を提起すべき番組を増やすべきです。夜中に放送するなんて社会的責任のある放送局としては失格ですよ。色々考えてほしいものです。
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Unknown (とんぼ)
2009-11-04 21:22:17
心様
この写真、今年の放送で写っている人が
わかったようですね。
今年もたくさんの終戦特集がありましたが、
やっぱり深夜中心…。
少しはマシなところもありましたが、
もっともっと「大々的」に
やってほしいものと思います。
毎年8月には、戦争関係のことを
書かせていただいてますが、
焼け石に水かと思いつつ、
書かずにいられません。

「本当の平和」というものを、
大切に思わなくなったらオシマイですよね。
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