ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

せめてお福ちゃんに新春を~

2011-01-13 16:53:05 | つれづれ

 

今年はお福ちゃんも全く着替えナシで、寒い玄関先におかれっぱなし。

寒かろうと着せたせめてもの道行きが、これまたド・ピンクの古着…

「あたしの趣味じゃなーい」と聞こえてきそうで…。

もうすぐ小正月ですし、そろそろお福ちゃんにおしゃれを…。

 

というわけで先日「袴下にした着物」の、長着のほうです。

長さがあると、ちょっと離れてみてもくっきりした印象の着物ですね。

帯は、ヤフオクで見つけたもの、ちょっと赤いですが、柄の色が地味なのと、

おもしろさで、えーいしめちゃえと落札したもの。

ちょっと赤さが気になるので、私がこの帯を締めるときは、もう少し帯揚げ帯締めを渋めにと思います。

実際には手持ちでちょうどいい色がなかったので、ちょっと若目に帯揚げは薄い肌色、

帯締めはオレンジの濃淡です。半衿もと思ったらちょうどいいのがありませんでした。

手抜きのコーデで年の始まり…ごめんなさーいです。

さて、柄ですが…こちらが前柄、あんちーくな電話ですね。

 

         

 

実物はもうちょっとサビた朱かな…です。

なんと、久しぶりの「着物写真」で、カンジンの「お太鼓写真」を撮り忘れました。なんてこったい、です。

せめて平らにしたところです。地は市松の変わり織りです。

ハンドル式の電話、かなり古いですね。木目もリアルです。

 

       

 

では、電話のお話しを…って、私も電話の最初の時代に生きていたわけじゃありませんが…。

テレビや親の話などで壁にくっついてる「ハンドルを回す」電話があったことは知っています。

もっと大きい箱みたいなのでしたね。

母の娘時代には、村長さんとか、そういう家にあったようです。

あれは交換手を呼び出す方式です。「トトロ」で、でてきましたね。

交換手は最初は男性が多かったとか。電話という顔の見えない道具は初めてなわけですから、

「呼びかけ」とか「答える」とか、そういうものがなかなか…。

「おいおい」とか「誰?」とか…すこぶる評判が悪かったそうで。

そこで女性の交換手が登場し「申し上げます」「申す申す」というのが「もしもし」になったのですと。

実は友人が、昭和47年ごろからしばらく「会社の交換手」をやっていました。

当時は「電話交換士」という、資格がありました。国家試験ほどのものではありませんが、

友人はちゃんと学校に行き、免許をとって就職しました。

当時は外線がかかってくると、指示された部署につなぐのが役目。

たしかジャックのようなものを指定のところに差し込む…だったと思います。

当時の決まりで、交換手は1時間勤務して30分の休憩…ではなかったかと思います。

耳の保護ってことらしいですけどね。私は友人が狭い「交換室」で、1時間ごとにお菓子食べたり、

おしゃべりしたり…と聞いて、なんてラクなんだろう…と思ってましたっけ。

やがて全部が機械化され、自動交換になって彼女は失職し、そのまま同じ会社のOLさんになりました。

あのころはよかったわぁ…とよく言ってましたっけ。

 

我が家は自営業でしたから、近所ではワリと早いうちに電話が入りました。

もちろんダイヤル式。近所の人がよく電話を借りに来ました。

市内電話は、どこでもいくらしゃべっても10円でしたね。公衆電話もです。

まさかとお思いでしょうが、昔は「長電話」なんてのはほとんどなかったのですよ。

元々電話がない時代は、手紙がアタリマエ、電話を使うのは急いで話したいときですから、

ほんとに要件のみ、です。ちょっとおしゃべりしても、電話をしている間は何もほかのことができない、

ということはお互い分かっていますから、用事と挨拶とちょっとしたおしゃべりだけです。

だから10円ですんだのですね。公衆電話が3分で10円、と制限付きになったのは

昭和44年だそうです。私が高校を卒業したころですね。今じゃもっと短いですね。

 

最近実家でも電話を変えましたが、父は「使いこなせん」…。

ちょっと昔のFAXつき電話だと、受信すると勝手にプリントしてでてきたものですが、

最近のは「いらないものは印刷しません」ですから、父は「きたFAXをどうやってみればいいんだ…」。

母のこともありまして、京都とのやりとりに必要になって 今回やっとFAXの送受信を学習完了。

言ってる私も、いまだに「知らない機能」がいっぱいなんです。

 

さて、少し着物にも触らなきゃ、ですね。

この前いただいたウールの一枚、ちょっともこっとした織りで、あったかそうですが…、

よりにもよって左のかけ衿に直径8ミリくらいのシミ…。写真だとほとんどわかりません。

普段着なら、気にしなくてもいい程度ですが…。

 

     

 

「お返しモノ」のことなどで、出たり入ったり…もう少し落ち着きませんね。

母がなくなって早一ヶ月…父は今日、冬場に元気に咲いてる花を…と

雲間草と大きなつぼみのヒヤシンスを買ってきました。ウチの分も…。

花の少ない今の時期、母に見せたいのでしょう。

ヒヤシンス、好きなほうとっていい、といわれたので「濃いピンク」をもらいました。

もう一つの紫っぽいブルーは、母の好きな色でしたから。 

 


コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 遠くアメリカから… | トップ | 羽織ぃーず? »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (陽花)
2011-01-13 19:41:10
帯の柄が電話って珍しいですね。
今みたいに各家に電話が無い時代は
掛かってくると呼びにきてもらい、
母が畑でも行っている時は子供の私でも
背伸びをして柱に付いているラッパの
ような物に向かって返事していました。
そんな時代もあったんですよね。
今じゃ便利すぎて使いこなせないです。

お父様もお元気そうでなによりです。
相変わらずこまめな方ですね。

返信する
なかなかの雰囲気が... (akkomam)
2011-01-13 23:08:34
 地味な雰囲気の着物に紅い帯、そしてレトロな電話柄、
 ひとつひとつに物語があるようでいいですね。

 お母様が亡くなられてもうひと月になりますか、
 早いですね、お父様のいろいろな気づかいがうかがわれ、
 かえって胸が痛むような...。

 納骨がおわるといっぺんに寂しさがましますので、
 体調を崩さないようにご注意です。
 寒さ、冷たさが増すこの頃です。
返信する
Unknown (さえ)
2011-01-14 21:24:38
最初の電話の交換手は男性だったんですか。
マンがはじめて物語で女性(良家のお嬢さんだったらしいです)を募集してたと言ってたのを覚えてるんですが、その前は男性だったということなんでしょうかね。

うちも小さい頃電話は無かったです。
近所の牛乳やさんに借りに行きましたっけ。
夜に単身赴任の父から電話がかかってきたと呼びに来て戴いて、母と妹と真っ暗な道を牛乳やさんまで歩いた事を覚えています。今考えると、数少ない電話がある家で、牛乳をとっていたからって、夜8時にわざわざ呼びに来てくれるなんて、、、ありえないですよね。そういう時代だったんだなと思います。
返信する
Unknown (とんぼ)
2011-01-14 21:58:31
陽花様

道具柄というとお茶道具などが多いのですが
電話と言うのは、私もコレがはじめてでした。

ウチも電話がなかったころは、
お客様が来るとお蕎麦屋さんまで、
出前を頼みにいかされました。
遊びながら帰って、出前の方が早くついてたりして。
公衆電話もちょっと歩かないとありませんでしたね。
今では考えられない時代ですよね。
返信する
Unknown (とんぼ)
2011-01-14 22:03:35
akkomam様

フシギな帯です。
こういうものを柄にしようと思ったセンスに脱帽ですが、
ちょっと赤いので着物を選ぶかと…。

時のたつのは早いですね。
冬場で花がないので、父はいろいろ探しているみたいです。
母の花好きが、父にも影響したみたいで…。

少しずつ落ち着いてくると、あぁもういないんだなと
ふと思います。
「だったね」となんでも過去形になってしまう。
切ないものですね。
返信する
Unknown (とんぼ)
2011-01-14 22:05:55
さえ様

我が家も、公衆電話がちょっと先の雑貨屋さんでした。
電話って、テレビや冷蔵庫より普及が遅かったですから、
近所の人がよく借りにきてました。
今は一人に1台…そのうえ固定電話なんて…の時代、
変われば変わるものですね。
返信する

コメントを投稿

つれづれ」カテゴリの最新記事