ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

家系図なるもの

2013-12-01 16:45:08 | つれづれ

 

今日、あるメルマガで「家系図についてのアンケートご協力」というのがきました。

要するに、家系図ソフトなるものの製作の参考…ですね。

アンケートには答えなかったけど、我が家の家系…のことをふと考えました。

 

写真は、まだ母が元気なころに、いなかへ行って写真を撮ってきたもの。

母の父方、つまり私のじいさまの家系図に添付されていたものらしいです。

ご先祖様が楊谷の観音様(こちら)の参道で、茶店をはじめて財を成した…ということで、

私の曽祖父はその何代目かはわかりませんが、

天保5年(1834年)6月10日生まれ…ということがわかっています。

当時の将軍様は「家斉さん」、子供が50人以上いたって、あの方ですね。

まぁ京都ですからして、天皇さんの方がだいじ…帝は「仁孝天皇」。

学校の歴史では、あまり出てこない名前ですが、明治天皇の二代前。

47歳で崩御されたそうで、長生きしてたら、明治維新はこのひとだったかも…の時代。

この人の遺志によりできた、公家の学問所が、やがて「学習院」となったそうです。

 

さてさて、身分高きお方のことはともかく、わがご先祖様は、茶店のオヤッさんとして財を成し、

当時の地元「浄土谷」から山を下って、今の長岡天神のちと手前に、

田畑買って暮らしましたとさ…実際には、山を降りたのが何代目なのかわかりません。

とりあえず、その子孫が私の祖父になるわけですが、元の地域とのつながりがあったのか、

お嫁さんは楊谷のすぐそばの出身です。これが私の祖母で、曽祖父母の名前は「湯川市兵衛」と「ミツ」、

母の名前はこの人からもらったそうです。

 

よほど代々続く…なんていう家柄でなければ、いや、実はどの家だって、

本当は代々続いているわけですが、今の時代、特に都会へ出てきて暮らしているような

私たちが知らされているのは、せいぜい曽祖父母くらいまで。

写真が一般的になったのも近代に入ってからですから、いなかのある人が里帰りすると、

紋付を着た葬儀のときの写真が仏間に飾ってあったりしますね。

それ以前のひとのことなんて、人相風体わかりません。

ご先祖様に感謝…といわれても、カオも見たことない話したこともない人に感謝って言われても…

そんな風には思います。人は勝手な生き物で、自分が物体ですから、

この目で見える物体には即反応できますが、実体のないものはイマイチ間をおいてしまいます。

ご先祖様に感謝…ってなにしたらええねん…と、高校生のときでしたかねぇ、

たぶん、そのくらいの年にはなっていたと思うのですが、何かと親に反発する時代、

母に言ったことがあります。母の答えは明解でした。

「ご先祖様のうちの一人でも欠けてたら、あんた今そこに立ってへんで」

 

昔のように、家(建物ではなくて)というものを、重要視する時代には、

ご先祖様、というものに対する思いも、今とは違います。

書き残したものがなくても、写真がなくても、口伝として、我が家の昔々を伝えたりしました。

檀家制度がしっかりしていた時代には、寺の過去帳を見れば、顔は知らないご先祖様でも、

いつ生まれ、なんと言う名前で、子供は何人いたか、いつなくなったか…みんなわかります。

今でいうところの個人情報データですよね。

今、こんなに「個人情報」がどうのこうのといわれる時代に、シンパイする個人情報は過去の…ではなく、

現在の自分と家族どまりです。まぁご先祖様に悪さしようと言っても、できませんけどね。

 

親から祖父母の話を聞いた記憶はありますか。

まぁ大きくなるまで生きていてくれたら、それなりにわかりますけれど、

私の母方の祖父母は、私が三歳までになくなっていますので、話でしか知りません。

私は母からそういう話を聞くのが、大好きでした。

おじいちゃ~んおばあちゃ~んと、甘えることはできなかったけれど、母の話を聞いて、

勝手に頭の中で「おじいさんおばあさん」を作ってました。(祖父の写真はありません)

子供のころは、会えなかった人のことを想像する楽しさだけで聞いていましたが、

年を重ねてくると、また見方が変わってきます。

着物という、過去の遺物になりかけている危ういものを扱うせいでしょうか、

振り返ることを大事だと思うようになりました。

あの時代を生きた人、あの時代に何を考えていたのか、今の時代に呼んだら、

何を喜び、なにを憂い、何を驚くのだろうか…。

それを考えることは、結局今の自分を見ることになります。

 

親子のつながりなんて、血だけではないと私は思っています。

なにしろ「家族」の最小単位の始まりである「夫婦」は、必ず他人同士ですから。

でも、たとえどんなつながりであっても、その人にはそれぞれの先祖がいる…

命の鎖…一つ欠けてもそこで途切れる、そういうものなのですよね。

でも命をつなげない人もたくさんいます。結婚しなかった、こどもに恵まれなかった…。

それでも、伝えることは、血だけではありません。

だいじなことをきちんと伝える、それが大きくまとまって「時代」というものになります。

昨日のお話でも、ほんとにこの先どうなっていくのか…の世の中ですが、

いろいろなものに翻弄されたとしても、人として大切なことには、そうそう変わりはないと思うのです。

なんとか左衛門だの何々兵衛だのといういかめしい名前や、トメ、ヤス、フキ…なんていう、

およそ簡素な名前を見ていると、どんな人だったのかなぁ、会って話してみたいなぁと、

そんなことを思うのです。ゼッタイ聞きます「縞の木綿ってどう思います?」「袴でトイレって面倒ですか?」

「あなた、機織できます?」「お蚕さん、飼ってました?」・・・。

ご先祖様はきっと「おらとこの子孫は、いったい何やってるんじゃ」と思うでしょうねぇ。

すんません、こんなシソンで…。

 

 

 

 

 

 

 


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6 コメント

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うれしいなぁ (べにお)
2013-12-01 18:58:22
私は結婚してませんし子供もいないので、私が死んだら未来に残るモノはなんにもないんだなぁ…と考えることがあります。
血を残す、ということからすると、まさにその通りです。
自分がいなくなってから先のことは、わかりませんけど、なんとなく淋しいような感覚を持ちます。
でも、残すのは血だけじゃない、と言われて、なんだかすごくうれしくなりました。
私にも残せるものがあるのかもしれない、そう考える余地があるというだけで、未婚のもう出産する可能性もなくなりつつあるオンナにはうれしく感じるものなんですね(笑)。
先日も記事に書いていらっしゃいましたが、先祖が今の日本を見たら…というのは、「帰國」でしょうか?
あの作品は、胸がしめつけられました。

私、とんぼさんの紡ぐ言葉たちがとても好きです。(告白?きゃー!/笑)とんぼさんの文章を読むと、ほっとします。
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Unknown (陽花)
2013-12-01 23:00:15
うちもご先祖様は古いのですが、父方の
祖父は早死にで祖母は1歳ぐらいで亡くなり、
母方の祖母も長患いの末、小学校3年
ぐらいで亡くなりました。
とんぼ様と同じくおじいちゃん、おばあちゃんと
言って甘えた記憶がありません。
こんな便利で楽できる家事を味あわせてあげたい
気もします。
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はじめまして (花菱)
2013-12-02 02:22:07
いつも楽しくブログ拝見しています。

私はまだ30前の若造?ですが、祖父母からはよく昔話をされたこと、覚えています。戦争で満州に行った話や、命拾いした話、、たぶん同世代は知らないのでしょう。最近になって有り難く感じます。そういえば、映画「風立ちぬ」は聞いた話と重なり、生々しくて涙も出ませんでした。

お母様の言葉、染みますね。ご先祖様がいなかったら入るお墓がないとは思っていましたが。
自分の存在をこうして実感するのかと改めて考えさせられました。
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Unknown (とんぼ)
2013-12-02 20:39:22
べにお様

私の一人息子も、結婚はできない状況で、
主人も私も一人っ子。そういう意味では、血は絶えます。
でも、あまりキにしていません。
着物についてのことくらいしか、
教えられることはないけれど、
それをやっていけば、だれか一人くらい、
あぁこういうことね…と、伝えてくれるかと思っています。

ドラマは「帰國」です。
あれはほんとにつらいドラマでした。
今もあの海の中に…と思うと、自分の怠惰を
申し訳なく思います。

年のせいか、どうも説教臭くなりがちで…と、
いつも気をつけているのですが、きっとこれからも、
こんな調子で書いていきます。
よろしくお願いします。
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Unknown (とんぼ)
2013-12-02 20:41:31
陽花様

母も、何かおいしいものを食べると、
「ばぁばに食べさせたかった」とか、
便利道具を買うと「ばぁばの時代にこれがあったら」と、
しょっちゅう言っていました。
思いは順に繰り返されるのでしょうね。
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こちらこそ (とんぼ)
2013-12-02 20:46:18
花菱様

はじめまして、コメントありがとうございます。

お若いのですねぇ。それでも、お年寄りからの「口伝」を
ちゃんと聞き取られたのですね。
すばらしいと思います。
お年寄りの中には、思い出したくないからと、
言葉にしない方も、たくさんいらっしゃいますから。
どうか、後の世にも伝えてください。

私は、一番あって話がしたかった母方の祖母と、
会うことができませんでした。
祖母は12で母親をなくし、弟妹を背負って、
家事一切を引き受けていたそうです。
母親からおしえてもらいたいことも、
たくさんあったでしょうにね。
生きているということは、つながっているということ。
命は大切に、という当たり前のことが、
あらためて思い出されます。

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