実家の、今年最初に色づいてきたアケビ。
10センチもなくて小さいし、あまりいいデキではありません。
カメラをいつも忘れていく上、このときはケータイもバッテリー切れで充電中。
それなら「現物支給で」と、父が切ってくれました。
今年のアケビは出だし好調でしたが、あの暑さの中、急激に育ったりとまったり。
毎年今頃は、ちょうど次々にパカッと割れて、絵になる姿が見られるのですが…。
今年は全体に小ぶり、数は摘果などしていますので、それなりに普通ですが、
色づきもかなり遅いし、日のあたる部分のものは、逆にいやな黒っぽい紫です。
実家は住み初めて30年近くなりますが「こんなのは初めて」と父が言ってました。
毎年の今頃だと、ほんとはこんなです。大きさは12~3センチ。
思い出すのもしんどい今年の夏…暑い間もいろいろ「異変」が報道されましたが、
ようやく涼しくなった今でも、まだ余波は漣のようにコトを起こしています。
やたらと多い熊の出没は、山のどんぐりなどの実が少ないからだとか…。
お米も実ったけれど、いつもより質が落ちるし、野菜の高騰なども起きています。
自然と言うのは、結局全部つながっているわけですよね。
さて、出来不出来つながりで…と、無理やり話題をつなげておりますが、
こんなものを入手しました。゜「明治時代の養蚕の地図」…とあったのですが、
売るほうも買うほうもよくわかっていなかったという…ボケでして…。
明治34年の発行らしいです。
これはよくよく読んでみましたら「北海道の蚕種を使うといいよ」とか
「使うなら本州ではこんな時期だよ」とかそういったお話のようなんです。
いえ、実は「発行したところ」を先に見て、そこから調べればわかったのに、
それを最後にやったんです。相変わらずニブイ…。
なので、ここは見ていったとおりに、お話しを続けます。
オークションの写真も、細かいアップ写真はありませんでしたので、
地図なら例えば、その地方の蚕の産地が書いてあるとか、そういうものかなと…。
ところが地図はただの「地図」、但し、ここでは「県名」が入っていません。
明治政府は明治7年には「廃藩置県」をしていますから、
今とはちがっても「県」はあったはずなんですけれど…。
例えば関東地方はこんな感じ。
鉄道も通っておりますです。
これはですねぇ、ほかのことでもあるんですが、例えば「太陽暦」がそうですが、
ある日突然「今日から西洋のカレンダーにするからねぇ」と言われたって、
昨日まで「太陰暦」でくらしていたものが、そうカンタンには替えられません。
アタリマエのように今までの太陰暦の暦も売られ、
人々は日常生活を昔の暦にあわせて送ることが多かったわけです。
少しずつ変化していった結果、今「旧○○」とつく言い方で、いろいろなものが残ったわけですね。
例えば「旧正月」とか「旧盆」とか…。
こんなふうに、それが日常のことや毎日の仕事に深くかかわることであれば、
昔のままのほうがわかりやすい、使いやすい、があったのではないかと思うのです。
特に養蚕となれば、今でも「丹後ちりめん」「越後上布」「信州紬」など、
昔の名前が多く残って使われています。
先日の「三河木綿」もそうですが、今、三河市という市はありません。「三河地方」です。
とっくに「県名」で世の中が動いていても、養蚕に関しては「昔の呼び名がいい」、
で、こういう地図があるのではないかと、そんな風に想像しているのですが…。
この想像、あたっているでしょうか。
で、更にあちこち読んで見ますと…といったってアータ、なんなのこの細かさは…。
特大ルーペ使わにゃ、それこそ蚕のフンみたいに細かくって読めない…。
えーと「こくこうばい…」ちゃうちゃう、右からです「北海道秋蚕種予約発売広告」、ですね。
このころは北海道産での蚕種がはじまったばかりみたいで、質がいいと…。
だもんで、本州で使うならこうこう…みたいなことが…
すみません! 旧のかな使いってほんっと分かりにくいです。
とりあえず予約販売するための広告、なのですが、ほんとに実用本位な広告ですね。
発行者は「北海道秋蚕改良社」…まんまですがな。
驚いたのは「こんなにいいんだよ」のアピールだと思うのですが「蚕が病気になる確率」
ここではちゃんと「○○県」になってますね。
で、埼玉県48…半分近く病気になってしまうってことですか?
「原種」ですから、各農家の蚕が、と言うことではないとは思うのですが…。
それでも北海道は「3」、とりあえず、数値的には優秀ですね。
で、最後に見たのが(つまりここを先に見ればいいのに、のところ)こちら。
静岡県周智郡…今でもそのままでした。袋井から山に入ったほうです。
名前がすごいですね「帝国農家一致協会」。
最初は「なんだ『一地方都市の蚕の組合』かなにかが、宣伝のために作った地図なのか」
と思ったのですが、これを調べましたところ…これはこういうものだと…。
さらに「報国社」とはなんぞやと調べましたら今度はこちら。
農業のことを真剣に考え、守る、経済学的にも重要な機関・組織だったのですね。
蚕の産地がわかればいいなぁと思って手に入れましたが、意外な方向へ進みました。
この地図の端には「村会一致で、秋蚕は道内を飼育すると決めたところもある」とあります。
明治34年と言えば、日本の質のよい絹が輸出品として一番がんばっていた時期です。
結局、その後は大恐慌だの戦争だの…更には着物離れのと、
国内産絹にとって、厳しい状況が今でも続いています。
もっと着物を…というのは、養蚕農家だけでも、それを織り染するひとたちだけでも、
売る人だけでも、飼う人だけでも、どうにもならないことなんですよね。
みんなつながって、もっと蚕、だけではなくて農業とか営林とか、
考えなきゃいけないんじゃないかと、またごまめの歯軋りですが、思っています。
一枚のふるぼけた地図から、いろんなことが見えました。
落札価格1000円、メール便代80円…決して高くはありませんでした。
「くわばらくわばら」ですね。
桑は「畑」とよばれるほど手入れされていたものなのに、
養蚕がなくなったために野生化してしまったところ
たくさんあるようです。
私も草履のかかとは予備を買ってります。
ゲタよりずっとカンタンに直せますもんね。
いっとき「使い捨てることが豊かな証し」みたいな
つまらん時期がありましたから、なんでもポイポイ捨てる。
使えなくなったのではなく「使わなくなって」捨てるんですから、
もったいないことですね。
「いいもの」というのは単に安価で、すぐ買い換えられる
そういうものではないはずなんですが…。
桑は養蚕をやっていると毎度剪定も
こまめに行われますが、
やめるとそのまま大きくなりますしね。
でも、なんとなく「懐かしい木」です。
「絹」は、もう一度盛んになってほしい産業ですね。
がんばってほしいです。
ほとんど見かけませんが。。。
雷が鳴っている時に迷い込んで、「桑畑って雷落ちやすいんじゃないっけ」と顔面蒼白になりました。逆だっちゅうねん。。。
国内の伝統産業を大事にしない、というお話ですが、以前オークションで草履の踵のゴムを大量に譲っていただいたことがありまして。
なんでもその方のお父様が草履の職人さんだったそうです。
小さい頃手伝っていたとのことで、古い草履を見るともしかしてその方が作ったのかも、と思ったりします。
高級品は作らなかったとおっしゃっていましたが、昭和40年代の草履って、多分高級品ではないと思われる白地に赤い小さな花柄の鼻緒のものとか、とても可愛いですよね。
そして今出回っているウレタン底の大量に作られた草履よりはるかに履き心地が良かったりします。
「まるでゾウリムシみたいな草履ばかり、修理もできないウレタン底で、草履も使い捨てになってしまったのだ」と哀しくなられたそうで。
私の知っている人たちは自分で修理して皆とても大事に使っていますよ、とお伝えしましたけど。。。
今でもその方の事は時折思い出します。
いろんな人の心がこもっていると思うと、大事に使いたいと思います。
野性化したものが残っています。
保存目的でやってらっしゃる会もあるようです。
ニュー東京ファッションと銘打ち、ごく薄い綿シルクで
日本古来の色でプリントしたオートクチュールが
世界の注目を受けつつあるそうです。
東京エレガンスとも言うそうです。
ぜひがんばってほしいです。
ほんとにおかしくて、あのあと、
なんと庭からこぼれたらしい風船カズラが
道路の脇のわずかな土のところに
芽を出したんです。さすがに5~6cmで
かれてしまいましたが、
いまだに朝顔は伸びてるし…。
アケビは小粒ですが、ようやく気温も落ちついてきたので
これから少しまともな色になってくれるかと
持っています。
昔は近くに雑木林なんかありましたから、
桑のみとか、ぐみとか、野いちごとか…とりましたよね。
影響が出ていますね。
平年なら出来ている時期にならなくて、
とっくに終わっている時期に生ったり・・・
自然相手は難しいものですね。
またまた、珍しい物をゲットですね。
子供の頃、赤紫色に熟した桑の実を食べたの
ですが、この頃はまったく見かけませんね。