つれづれ雑記ばかり続いて、すみません。
昨日の春の嵐は、夜半にはお月様くっきり…で、風だけになりましたが、ほんとにひどいものでした。
今日はまだ、名残の風が少し吹いています。
北はこれからですから、それでなくともたいへんなのにと思っています。被害が少しでもありませんように。
さて、実家の方も、一応備えてはおきましたが心配で、さきほど行ってきました。
幸い何か飛んだり壊れたりもなく、植木もみな無事でした。
風を入れながら片付けておりましたら、おもしろいものを見つけました。
それがトップ写真です。大事にセロファンに入っておりました。
何かの本のページをコピーしたものです。
アップしてみましょう。下の数字がページのようです。
これを読みながら、笑ったりうなずいたり…自分の親を当てはめてみたり、
私の年代では「いやこれはまだまだ」と思ったり「もう今から…そうだよね」と思ったり。
全てにそうだそうだと、うなずくことはできませんが、ギクリとすることも…。
昔は、舅姑が同居の家も多かったし、ご近所さんのおじいちゃんおばあちゃんとも、
よく話したりしていましたし、当たり前に「年寄り」、あっ「高齢者」が身近にいました。
なんとなく「付き合い方」といいますか、子供なりに感じたり考えたりしていたものです。
そして「おじいちゃんおばあちゃん」というだけで、なんとなく「大事にする対象」とか
「尊敬する対象」とか、まぁ大げさに言えば、そういう感覚がありました。
特に母なんかは、自分が娘のころに「戦争があった」ということで、
それに行って闘った人、土地に残って家を支え乗り越えた人…という目線があったのだと思います。
確かにそうなんですよね。
話をしていても「ちょっと○○さんちのおばあちゃんに聞いてみたら」なんていう「知恵袋」として、
頼りにしていた部分もありました。
今の時代、年寄りはただ単に「年取った人」いう感じもあって、不遇だなぁとも思います。
もちろん、それぞれの家庭や家族間では大切にされていたり、愛されていたりするわけですが、
たまに外に出ると、手持ち無沙汰のようすで駅前のベンチなどでぼーっと座っている高齢者が結構います。
居場所も行き場所もないのだろうか…と思うと、なんだか切なくなります。
この「老人の心得??」を見ていて、これに書かれていることは別段家族と一緒に暮らしていても、
必要なことだったり、そうしたほうがいいことだったりだとは思いますが、
読みながら、どうしても「独居老人」を思い浮かべてしまったこと、その現実が寂しいです。
昔の「年をとったら、あとは家族の中で楽隠居」が、一番いいとは思いませんが、
年寄りをターゲットに詐欺を働くバカがいたり、引ったくりにあって命を落とす最悪の事態を招いたり、
そんな世知辛い世の中、シャンと生きなきゃ…と、思ってしまいました。
一番ギクッとしたこと、
「よく捨てること」「死ぬまでにものを減らして死ぬこと」…きっついわぁ…。
きっとこれを書かれた方は、もうすこし
老境にゆとりがあった世代かもしれません。
とんぼさんのお父様とは、おはずかしいほどの
「リハビリ」の開始からしばし経過した我が親。
さいわい、いい院長先生にめぐりあえて
「しゃべりなさい!なんでもいい!聞くから!」と
強要?…ところが、変化したんですね。
すごいものです。リハビリそのものは、制限もあって、ゆっくりながら
表情、感受性がどんどん伸びしろが出てきました。
きっと、院長先生なら「本読む暇があったら、外へ出て、誰かと話しなさい!」とか言われそう、とほほえんでしまいました。
ほんとうに大切な言葉は4世紀で語り尽くされているとはいえ、耳というか目が痛いです。
なかなか捨てられない性分の私は、自分では
思い切れないから娘に手伝ってもらい、ゴミ袋
5個分処分です。1週間いる間にあれこれ手伝って
くれて随分スッキリしました。
読んでいて耳の痛い事ばかりですわ。
…モノを増やさない!!って今から気にして入るんですけど、本や着物って、繁殖してるんじゃないかと思うほど増えます!困ります…(人のせいみたいに!)。
思う方はまだその時期になっていないと
思う人か、もう実践している人かの
どちらかですね。
私は実践している人の年齢に入って
いますが、断捨離はお付き合いとか、
物を少なくすることばかりでなく、
新しく加えることの場所を精神にも
作る!ことを恐れないということも
入っているように思えます。
なんでも少なく、狭くするばかりで
老いていくのが老いていくものに
課せられているとは思えず、
無駄をなくしながら、より豊かに
暮らす算段をなさいよ!!と
言われているようです。
読みながら、頷きながら、
身辺をきれいにしながら、
おおいに生きることを楽しみたいと
思っていますが、年寄りの冷や水に
聞こえるかしら?
ちょっと古いもののようです。
老人の一人暮らしが目立ってきたころのではないかと。
親御さん、いいお医師に出会われてよかったですね。
人間の可能性ってすごいものだと思います。
捨てなさい、と言ってくれる人がいないので、
(逆に「もったいない、捨てるの?」ですもん)
ちっとも片付きませんが、父の退院が近いのを機に、
少しここで時間をすごすこともできるようにと、
先日来、ゴミ袋一杯出してます。
なんでこんなにモノがあるんだろ。
それも骨董的価値とか、皆無のものばかりが…。
ちょっとギクッっていうの、ありますよね。
「外へ出たら緊張していること」…。
よくケッつまずいたりぶつかったりするし~。
母によく「ぼーっとしてんと、しゃっきりしぃな」と、
いわれていましたっけ。
この場合は、庭のかたすみで黙々と草取りしたり、
盆栽とだけしゃべったり…のタイプのことでしょう。
実際には、庭いじりや花の好きな人は、
それがきっかけで人と話すものですよ。
本は増える、なぜ、買うからでしょーが。
わかっちゃいるけど、アマゾンの中古、
やすいんだもーん。
ここに書いてあることは、いわば「きっかけ」といいますか、
「そうそう」ということと、「そこから考えて」ということもありますね。
年寄りの冷や水なんてとんでもない。
いつもステキな生き方なさっておられると、憧れています。
この「目次」はひとそれぞれ、きちんと自分の人生を考えていこうよ…と、
そういうことだと思っています。
母がこれに当てはまらないところもありましたし、
それで不幸ではありませんでしたしね。
楽しみながら老いたいものです。