健さんが、逝ってしまわれましたね。83才。
昭和がまた遠くなった気がします。
写真は、昭和30年私5歳のころ。この数年前から、今も住んでいるこの小さな町に、
当時映画館がありました。映画館の手書き看板の前です。まぁ映画つながりということで…?
父が映画がすきだったのか、よく私を「ダシ」に連れて行き、映画見てました。
私は映画には興味がなかったのですが、映画館がおもしろくて、ついて行ってはちょこちょこ席を離れて、
コンクリートの通路をいったりきたり、ロビーに置かれたソマツな赤いビニール張りの、
ソファらしきものにすわったり、そしてなにより、父がくれる10円玉で、
売店の「のしイカ」を買うのが楽しみでした。私の映画の思い出は「のしイカ」…わぉっ。
昨日のショックなニュース…もうあと少し、もうあと1本、見せてほしかったなぁと思います。
特に氏のファンではありませんで、申し訳ないのですが、ヤクザ映画でならしていたころは、
ああいう任侠ものとかヤクザものが好きではありませんでしたので、ステキだとは思いませんでした。
父も少しずつ私を連れて行くことがなくなりました。父は見ていたのかなぁ、健さん…。
その後こちらはだんだん思秋期、今ならアイドルと言われる歌手やタレントに「うつつをぬかして」ました。
氏の方は、ヤクザ映画以外のものもやりたい…から、あれこれあって東映をやめてフリーになられました。
それからの映画の方が、みましたね。もっともみんな「テレビ」放映ですが…。
まだちょっとヤクザっぽい色を残していたけれど「幸福の黄色いハンカチ」を見て、
へぇぇぇと思ったものです。
歳をとるにしたがって、ヤクザや犯罪者以外の役で、ほんとにステキな男性だわと…
今更のように気がついたりしてました。賛否両論あるそうですが、私は「ぽっぽや」で泣きました。
言っちゃなんですが、あの声ですし、しゃべり方もいつもおんなじ感じ…
つまり、あんまり「芝居」はしないのですよね。それなのに、ちゃんと役になりきってる…
すごいなあと思っていました。
まぁ、私、お芝居とかそういうことには、疎いんではありますけれどね。
今年に入ってからも、様々な「訃報」が報道されました。
あぁ残念だわぁと思うこともしばしば、林隆三氏、米倉斉加年氏、蟹江敬三氏、
古田足日氏、まどみちお氏、芸能人ではないけれど三瓶明雄氏、とうとう浪江町には戻れませんでした。
来月になると「今年の追悼」のような番組で、いろいろ紹介されるでしょう。
今日また「喪中はがき」が1枚届きました。
有名人であろうと、名も知れぬ市井に生きる人であろうと、その「知らせ」を受けるときは、
手が止まり、心がじーんとします。またたくまにその人やその家族の顔が思い浮かび、
よく知る人なら、あんなことがあった、いつもこうしてくれた…と思い出す…。
この時期は、そんなことがいくつもあるのですよね。
多くの人に惜しまれて、シャイな高倉氏は「いゃあ自分、不器用なもんで」と、
アタマを掻きながら、天国への階段を上っておられるような気がします。
「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」が座右の銘であったとか。
プロモーションのFAXに見えた「生ききった…」という言葉、あぁそうありたい、と思いました。
ファンでした…などとは、口が裂けても言えない私ですが、
やっぱりお疲れ様でした、ありがとうございました、そして安らかに…と言葉が出ます。合掌。
存在感のある方でしたね。
今頃の80代ってまだまだお若いのに残念ですね。
晩年の作品は、楽しませていただきました。
私生活を絶対出さない方でしたから、
具合が悪いとか、闘病中とかそんな報道もなくて、
いきなり悪性リンパ腫で…とのニュースで、
ほんとにびっくりしました。
90でもお元気な方は、いますからねぇ。
残念です。