写真は、我が家のミニ鉢植えツタ、
このところの涼しさで、あっというまに色づき始めました。
今年のようにお休みがうまくつながるのは、また何年か先だそうですが、
それにしても「祝祭日」がややこしくなって、よくわかりません。
第○日曜日とかなんとかいうやり方は、日で覚えられませんし、
重なったらどうのこうのとか、まるで「祝祭日の法則」みたいなアレ、
えっと今年は休みはいつなんだ?と、迷います。
父なんか、先週15日に「今年のバーちゃんへの花(敬老の日のイミ)は
買ったからいいぞ」とわざわざ言いにきてくれたんですが、
「じーちゃん、今年は21日だよ」と言ったら「…ウチは15日でやる!」。
んだな…。
ところで話題がコロっとかわりますが…
よそ様のブログで教えていただいたんですが
どうにも気になる一品、こちらです。
「大島紬の豪華な振袖」…ん~~ダレが、いつ、どこで着るんだべ。
この説明に「若い方に気軽に振袖を楽しんでいただけるよう…」
とあるんですが、まぁ価格的にっていう意味なのかもしれませんけどね、
今の振袖って「気楽に楽しむ」類にしちゃっていいのかなーと…。
えーとおさらいです。
元々女性の「袖の長さ」は、帯が太くなって脇に身八つ口ができたことで、
下に伸ばせるようになって変化したものです。
それまでは、袖付け=袖丈でしたから。
また袖口も安土桃山のころは、手首がやっとでる小さいもの、
小袖、という呼び方はこれに由来します。
対して十二単のフルオープンの袖口を「大袖・広袖」といいます。
小さい子の着物(掛け着など)の袖口が広袖なのは、
体温が高い子供は、袖を全部あけることで、熱を発散させる効果がある、
といわれたことも一因とされています。
袖が長くなった初期のころは、振袖は小さい子のもの、でした。
ある程度の年齢、今で言うならローティーンから上くらいになると、
袖は短くしました。これを「留袖」といったんですが、
「華美」に装う風潮になり、若い内は華やかに、で、振袖は娘の象徴となり、
嫁に行くと袖を切ることが「留袖」といわれるようにかわりました。
元々袖丈というのは、これといった長さの決まりがあるわけではありません。
身長(着丈)に対する比率です。
大正・昭和期の普段着物などを見ると、袖丈はさまざま。
柄はちょっと地味目でも、きっと若奥さんのものだったんだろうな、
というような小紋は、尺8寸くらいだったりします。
こちらは手持ちの「絽の留袖」、留袖なのにこの袖丈です。
両褄柄ですが、華やかさからいって若奥さんのものですね。
昔は、自分で縫いましたから、襦袢の袖の長さをあわせたりするのも、
今の私たちのように「あっ5センチ長いっ!どーしよー!」はないわけです。
だから、一つ屋根の下で暮らす女たちの中で、年の順で差をつけたり、
自分の好みにしたり…いろいろだったんですね。
「作り直し(リフォーム)」もよくやりましたから、
かわいい柄の小紋でも、袖が短かったりもするわけです。
さて、そんなわけですからして、実は小紋着物だって、
振袖とまでは行かなくても、長くしたってかまわないわけなんですが、
今はどの着物も、ほぼ尺3寸程度で、そろっちゃってますね。
振袖といえば、あの華やかな「礼装用」か「七五三」…。
だからといって
「若い方に気軽に振袖を楽しんでいただけるよう…」と、
大島の豪華絢爛な振袖ってのは、いかがもんでしょう。
過日「紬で結婚式」の記事をかきましたが、
今たしかに「紬の訪問着」もでていますけれど、やはり時と場所を選びます。
洋服でもそうですが、世の中には大きなお屋敷に暮らし、
毎日家の中でも一流ブランドの服を着て、しょっちゅうパーティーとか
レセプションなどに行くお暮らしの方もいらっしゃいます。
そういうかたは、車一台買えそうな値段の着物もたくさんお持ちです。
紬の訪問着も、お召しになる機会も、私たちよりはござんしょう。
でも、一般的にはそれは「ぜいたく品」であり、およそ持っていても
着る機会はないと思います。
「気楽に着る振袖」なんていうなら、いっそ、ごく普通の大島や色大島の
かわいい柄で、袖を2尺くらいにしたもののほうがずっと着易いと思います。
詳細写真を見ると、織りも一元のようで確かに高級大島ですけれど、
それに乗った豪華な刺繍や金彩は、目新しい感じはしますが、
なんとも違和感があります。これはいつ着るものなのでしょう…。
「気軽に着る」ということは、こういうことではないと思うんですけどねぇ…。
この記事を教えててくれた友人に「花嫁布団にはゴーカでいいね」と書きました。
さて、みょーに肌寒い日です。曇ってますがな。
朝顔のモチのいいこと、一日咲いてます。
ご近所の「鶏頭」、昔のお花の「赤」ですね。
私小さいころ「毛糸」だと思っていて、咲いた後毛糸が取れると
本気で思ってました。幼いというより「アホ」です。
このところの涼しさで、あっというまに色づき始めました。
今年のようにお休みがうまくつながるのは、また何年か先だそうですが、
それにしても「祝祭日」がややこしくなって、よくわかりません。
第○日曜日とかなんとかいうやり方は、日で覚えられませんし、
重なったらどうのこうのとか、まるで「祝祭日の法則」みたいなアレ、
えっと今年は休みはいつなんだ?と、迷います。
父なんか、先週15日に「今年のバーちゃんへの花(敬老の日のイミ)は
買ったからいいぞ」とわざわざ言いにきてくれたんですが、
「じーちゃん、今年は21日だよ」と言ったら「…ウチは15日でやる!」。
んだな…。
ところで話題がコロっとかわりますが…
よそ様のブログで教えていただいたんですが
どうにも気になる一品、こちらです。
「大島紬の豪華な振袖」…ん~~ダレが、いつ、どこで着るんだべ。
この説明に「若い方に気軽に振袖を楽しんでいただけるよう…」
とあるんですが、まぁ価格的にっていう意味なのかもしれませんけどね、
今の振袖って「気楽に楽しむ」類にしちゃっていいのかなーと…。
えーとおさらいです。
元々女性の「袖の長さ」は、帯が太くなって脇に身八つ口ができたことで、
下に伸ばせるようになって変化したものです。
それまでは、袖付け=袖丈でしたから。
また袖口も安土桃山のころは、手首がやっとでる小さいもの、
小袖、という呼び方はこれに由来します。
対して十二単のフルオープンの袖口を「大袖・広袖」といいます。
小さい子の着物(掛け着など)の袖口が広袖なのは、
体温が高い子供は、袖を全部あけることで、熱を発散させる効果がある、
といわれたことも一因とされています。
袖が長くなった初期のころは、振袖は小さい子のもの、でした。
ある程度の年齢、今で言うならローティーンから上くらいになると、
袖は短くしました。これを「留袖」といったんですが、
「華美」に装う風潮になり、若い内は華やかに、で、振袖は娘の象徴となり、
嫁に行くと袖を切ることが「留袖」といわれるようにかわりました。
元々袖丈というのは、これといった長さの決まりがあるわけではありません。
身長(着丈)に対する比率です。
大正・昭和期の普段着物などを見ると、袖丈はさまざま。
柄はちょっと地味目でも、きっと若奥さんのものだったんだろうな、
というような小紋は、尺8寸くらいだったりします。
こちらは手持ちの「絽の留袖」、留袖なのにこの袖丈です。
両褄柄ですが、華やかさからいって若奥さんのものですね。
昔は、自分で縫いましたから、襦袢の袖の長さをあわせたりするのも、
今の私たちのように「あっ5センチ長いっ!どーしよー!」はないわけです。
だから、一つ屋根の下で暮らす女たちの中で、年の順で差をつけたり、
自分の好みにしたり…いろいろだったんですね。
「作り直し(リフォーム)」もよくやりましたから、
かわいい柄の小紋でも、袖が短かったりもするわけです。
さて、そんなわけですからして、実は小紋着物だって、
振袖とまでは行かなくても、長くしたってかまわないわけなんですが、
今はどの着物も、ほぼ尺3寸程度で、そろっちゃってますね。
振袖といえば、あの華やかな「礼装用」か「七五三」…。
だからといって
「若い方に気軽に振袖を楽しんでいただけるよう…」と、
大島の豪華絢爛な振袖ってのは、いかがもんでしょう。
過日「紬で結婚式」の記事をかきましたが、
今たしかに「紬の訪問着」もでていますけれど、やはり時と場所を選びます。
洋服でもそうですが、世の中には大きなお屋敷に暮らし、
毎日家の中でも一流ブランドの服を着て、しょっちゅうパーティーとか
レセプションなどに行くお暮らしの方もいらっしゃいます。
そういうかたは、車一台買えそうな値段の着物もたくさんお持ちです。
紬の訪問着も、お召しになる機会も、私たちよりはござんしょう。
でも、一般的にはそれは「ぜいたく品」であり、およそ持っていても
着る機会はないと思います。
「気楽に着る振袖」なんていうなら、いっそ、ごく普通の大島や色大島の
かわいい柄で、袖を2尺くらいにしたもののほうがずっと着易いと思います。
詳細写真を見ると、織りも一元のようで確かに高級大島ですけれど、
それに乗った豪華な刺繍や金彩は、目新しい感じはしますが、
なんとも違和感があります。これはいつ着るものなのでしょう…。
「気軽に着る」ということは、こういうことではないと思うんですけどねぇ…。
この記事を教えててくれた友人に「花嫁布団にはゴーカでいいね」と書きました。
さて、みょーに肌寒い日です。曇ってますがな。
朝顔のモチのいいこと、一日咲いてます。
ご近所の「鶏頭」、昔のお花の「赤」ですね。
私小さいころ「毛糸」だと思っていて、咲いた後毛糸が取れると
本気で思ってました。幼いというより「アホ」です。
着古しのしなやかさはないでしょうから、
着物に慣れた人なら、
その着づらさもわかると思いますねぇ。
いきなり振袖だと「こんなもんか」?
それぞれの場所ってあると思います。
あのちりめんや綸子の「落ち感」や、
体に添う感じは、紬とはちがうものですよね。
新品の大島で袂が長かったら着難いように思えるんですけれど・・・・
てまりばなさんのリンクに飛んでみました。
振袖ではない着物を着ている人もいますね。
波に千鳥の方なんか、とても素敵に見えます。
若い方が地味な着物に艶やかな帯を締めるって、良いですねぇ。
地元なんだから、当たり前のように大島を着るって素敵だと思います。
振袖にした場合の問題は質感・・・ですけれども。
上のakkomam様へのお返事にも書いたのですが、同じ大島の振袖でも「泥染めや藍」の
普通の大島です。
袖を着れば普通の紬の着物として
着られますから、大島の本場として、
たとえば「京都だから京友禅」とか
「金沢だから加賀友禅」とか、
その産地のものを身につけるわけですね。
ただ、県外では、どうでしょう…ですね。
そこを考えて、普通のつむぎになるような
柄にしてあるのでしょう。
白紬でも染め紬でもいいと思いますが、
豪華絢爛、刺繍に金彩ではねぇ…です。
確かに染大島もありますし、
あれはわざわざ白地絣の上にのせたところが
新しいのでしょうけれど、
目になじむのには、時間がかかりそうです。
新しい工夫はわかりますが、
もう少し方向性を考えたほうが、
なんて思っちゃいます。
まだ紬を礼装にするという下地が
不足ですからねぇ。
それに、私はやっぱり「紬は紬」という
スタンスは変えないほうが、
つむぎの魅力のためだと思いますねぇ。
新しいものを広げたいキモチはわかるのですが
どこか違う気がします。
岡目八目といいますが、廻りで見ているほうが
見える気がするんですが…。
奄美大島の成人式では
大島紬の振袖を着る人が増えていると
報道していたのをみたことがあります。
これは大島紬の専門店のサイトですが
成人式の写真が載っています。
http://www.amakara.jp/special/seijin2007/index.php
結婚式でも着るようです。
是非はともあれ
奄美大島では着ているらしいですよ。
この振袖もその一つ。
写真からすると手描きではありませんね。
型染めの様ですが、白場の絣がそのまま出ています。
普通、型染めでも白場は胡粉を使いますから
型染めではなくインクジェットかもしれません。
白場は染めない事で表現しますから。
大島では訪問着から色留まで作っています。
しかし、悲しいかなその努力は報われた事がありません。
紬として存在している以上仕方の無い事です。
大島の振り袖は初めて見ました。
で、遠目では大島と言わなければ分からなかったんですが、確かに縮緬などと違い大島は多少の雨でもあまり縮む事がありませんから、気軽にと言っておられるのかも知れませんが、
今現在の大島紬のランク付けが問題ですね。
それに振り袖は独身女性の第一礼装になって
いますからそのあたりの事を考えるとどうかなと思いますね。
元々大島紬は、一度衰退しています。
本来紬ですから「紡ぎ糸」なのですが、
復興してからは生糸を使っています。
だから今の大島紬は「平織りの絣織り」なんです。
大島紬が広く知られるようになって、
地元では、成人式の振袖を大島紬で
作るようですが、あの普通の泥染めなどです。
これは「特産地」だからというイミですね。
袖を切れば普通の大島の着物になります。
お金に余裕のある人は、こういうものを
作るのかもしれませんが、
私かには「悪趣味」に見えてしまいます。
一元(ひともと)というのは
「出来上がった絣の形が、十文字に見えるもの」
もうひとつのカタスと言うのは
T字型に見えます。
技術的に一元のほうが高度と言われています。
私の知識のなかでは大島紬は手間ひまがかかり、
高価ではあるけど、趣味で楽しむものと思っていました。
織り方などわかりませんが、本場の方が
昔からの伝統をふまえて織られているのでしょうか?
それともずっと普通にあったのでしょうか?