石楠花の花、これも好きな花です。実家にあるのはもう少し薄いかな?
とりあえず、お楽しみ頂いて…本日はつれづれ。
風が吹けば桶屋が儲かる…
今日、よそ様のブログにお邪魔致しまして「黄砂」のお話しを拝読しました。
ここに「のぞき」に、いえ、時々いらして記事を覗いてくださる
maymayman様のブログなのですが、黄砂の飛来エリアが拡大している、
それはモンゴルの砂漠化によるもの、というドキュメンタリーを
ご覧になってのお話でした。おっしゃること、私も「そうそう!」と…。
最初の「風が吹けば…」ということわざは…、
江戸は風の強いところで、特に春先などは砂埃がひどかったそうです。
それほど砂埃が舞い上がると、それが眼に入って目を悪くするものが増える、
眼が悪くなると見る楽しみがへるため、三味線を弾いて
「小唄」だの「都都逸」だのをやる人が増える、
それをする人が増えると三味線が売れるのでネコが減る(三味線の皮はネコ皮)、
ネコが減るとねずみがはびこる、はびこったねずみが桶をかじる、
桶がだめになって桶屋が儲かる…というわけ。
この話しは、本来「物事というのは、けっこうあれこれリンクしているものだ」
という意味に使われますが、最初と最後がかけ離れている、ということから
『うさんくさい儲け話』とか、『アテにならない話』のことをさしたりしもます。
実際には、この世のすべてのものは、何らかのつながりを持っています。
「春の強風が桶屋の売り上げに貢献する」というのは、あり得る話し…です。
何かひとつ「種」の絶滅があれば、それは食物連鎖にかかわってきますし、
それがまた別の世界に影響を及ぼします。
「温暖化」が騒がれてひさしく、ゴミ問題が騒がれてひさしいです。
でも、その解決については、遅々として進まない。
ダレもが「たいへんだよね、この先どうなるんだろ」といいながら、
でも、それが大きなうねりになかなかかわらないのは、
どこかに「他人事」という気持ちがあるような気がします。
黄砂がとんでもないところまで飛んでくるようになって、
最初は「どうしたんだろね」と言っていてもそれが10年も続けば、
「なんか10年くらい前から飛んでくるようになったんだよねぇ」というだけで、
何千キロも先のモンゴルの草原の心配をする人はいない…。
文明の発達が悪いことだとは申しませんが、どんな場合でも「マイナス面」と、
きちんと向き合わねばなりません。
ペットボトルの回収がうまく進まない、とか、スーパーの袋を廃止する、とか、
そういう話しを耳にするたびに、私は「ノーベル」のことを思い出します。
ノーベルは、ご承知の通り「ダイナマイト」を発明した人です。
よく耳にする話しとして、採掘などに利用するために開発したダイナマイトが、
武器として戦争で使われたためそれを悔やみ、自分の死後は遺産で
「科学・文化に貢献した人に賞を」と言い残したものが今のノーベル賞。
これだけだと、彼は平和主義者で自分の作ったものが一人歩きして、
やがて武器として人殺し道具になってしまった、それを悲しんで…
なんかそんなふうに聴いた記憶があります。逸話として…。
実のところ、彼はずっと「武器商人」でした。それで富豪にもなったのです。
一説には「どこか一国が武器を持って強くなると、そこが他国を蹂躙する、
だから全部の国がヤマほど武器を持てば、けん制しあって平和になる」
という説を持っていたとか…。ん~まぁわからなくもないですが…。
ペットボトルやスーパーの袋が出たときは、軽くて便利だ、
バッグがいらない、あとで使える…と、いいことづくめのように思っていたものが
いまややっかいなゴミのランキングで常に上位確保?
ダイナマイトのように、ドンといったら自分も危ないものは、
彼の考え(かどうかはわかりませんが)のように
「みんなあふれるほど持っちゃえばそれがブレーキになる」かもしれません。
しかし、ペットボトルはそうはいきません。
でも、今、直接命の危険はないけれど、どんどんあふれていくゴミは、
今とめなければダイナマイトのような「即効」ではなく、
じわじわと何年何十年も先に被害の出る「遅効」で、人を襲うわけです。
今、心配を断ち切るのに一番確実なのは、
「今日からプラを使ったものは一切作らない、使わない」です。
しかし、それは今すぐには無理なこと、ダイナマイトも同じで、
人を殺す道具に使われるから、今日からもう作らない、というわけにいかない、
なればこそ「みんな持っちゃえば」というようなことも考えたのでしょう。
今のゴミ問題や温暖化に即効性のある解決策は、すぐには考え付きませんねぇ。
だからこそ、まずはひとりひとりから、なのだと思います。
一軒の家で、ペットボトルを一本使うのをやめれば、100軒で100本、
1000軒で1000本のペットボトルゴミが減らせることになります。
クーラーの設定温度を高くする、ペットボトルを買わずに家で作った麦茶飲んで、
扇風機頼りに、時にはうちわなんぞを手にして…、
すぐに「こうなってよかった」は見えないかもしれませんが、
みんな少しずつが積み重なれば、きっとどこかで結果はでるはず。
どこかの砂漠化がとまったり、どこかの国の子供たちが豊かになったり…。
自分は春の風、いつかどこかで「桶屋」さんが儲かりゃいいさ…なんて、
シャレっ気を持ってみたいと思います。
自分もいい桶つかいたいですしねぇ。
とりあえず、お楽しみ頂いて…本日はつれづれ。
風が吹けば桶屋が儲かる…
今日、よそ様のブログにお邪魔致しまして「黄砂」のお話しを拝読しました。
ここに「のぞき」に、いえ、時々いらして記事を覗いてくださる
maymayman様のブログなのですが、黄砂の飛来エリアが拡大している、
それはモンゴルの砂漠化によるもの、というドキュメンタリーを
ご覧になってのお話でした。おっしゃること、私も「そうそう!」と…。
最初の「風が吹けば…」ということわざは…、
江戸は風の強いところで、特に春先などは砂埃がひどかったそうです。
それほど砂埃が舞い上がると、それが眼に入って目を悪くするものが増える、
眼が悪くなると見る楽しみがへるため、三味線を弾いて
「小唄」だの「都都逸」だのをやる人が増える、
それをする人が増えると三味線が売れるのでネコが減る(三味線の皮はネコ皮)、
ネコが減るとねずみがはびこる、はびこったねずみが桶をかじる、
桶がだめになって桶屋が儲かる…というわけ。
この話しは、本来「物事というのは、けっこうあれこれリンクしているものだ」
という意味に使われますが、最初と最後がかけ離れている、ということから
『うさんくさい儲け話』とか、『アテにならない話』のことをさしたりしもます。
実際には、この世のすべてのものは、何らかのつながりを持っています。
「春の強風が桶屋の売り上げに貢献する」というのは、あり得る話し…です。
何かひとつ「種」の絶滅があれば、それは食物連鎖にかかわってきますし、
それがまた別の世界に影響を及ぼします。
「温暖化」が騒がれてひさしく、ゴミ問題が騒がれてひさしいです。
でも、その解決については、遅々として進まない。
ダレもが「たいへんだよね、この先どうなるんだろ」といいながら、
でも、それが大きなうねりになかなかかわらないのは、
どこかに「他人事」という気持ちがあるような気がします。
黄砂がとんでもないところまで飛んでくるようになって、
最初は「どうしたんだろね」と言っていてもそれが10年も続けば、
「なんか10年くらい前から飛んでくるようになったんだよねぇ」というだけで、
何千キロも先のモンゴルの草原の心配をする人はいない…。
文明の発達が悪いことだとは申しませんが、どんな場合でも「マイナス面」と、
きちんと向き合わねばなりません。
ペットボトルの回収がうまく進まない、とか、スーパーの袋を廃止する、とか、
そういう話しを耳にするたびに、私は「ノーベル」のことを思い出します。
ノーベルは、ご承知の通り「ダイナマイト」を発明した人です。
よく耳にする話しとして、採掘などに利用するために開発したダイナマイトが、
武器として戦争で使われたためそれを悔やみ、自分の死後は遺産で
「科学・文化に貢献した人に賞を」と言い残したものが今のノーベル賞。
これだけだと、彼は平和主義者で自分の作ったものが一人歩きして、
やがて武器として人殺し道具になってしまった、それを悲しんで…
なんかそんなふうに聴いた記憶があります。逸話として…。
実のところ、彼はずっと「武器商人」でした。それで富豪にもなったのです。
一説には「どこか一国が武器を持って強くなると、そこが他国を蹂躙する、
だから全部の国がヤマほど武器を持てば、けん制しあって平和になる」
という説を持っていたとか…。ん~まぁわからなくもないですが…。
ペットボトルやスーパーの袋が出たときは、軽くて便利だ、
バッグがいらない、あとで使える…と、いいことづくめのように思っていたものが
いまややっかいなゴミのランキングで常に上位確保?
ダイナマイトのように、ドンといったら自分も危ないものは、
彼の考え(かどうかはわかりませんが)のように
「みんなあふれるほど持っちゃえばそれがブレーキになる」かもしれません。
しかし、ペットボトルはそうはいきません。
でも、今、直接命の危険はないけれど、どんどんあふれていくゴミは、
今とめなければダイナマイトのような「即効」ではなく、
じわじわと何年何十年も先に被害の出る「遅効」で、人を襲うわけです。
今、心配を断ち切るのに一番確実なのは、
「今日からプラを使ったものは一切作らない、使わない」です。
しかし、それは今すぐには無理なこと、ダイナマイトも同じで、
人を殺す道具に使われるから、今日からもう作らない、というわけにいかない、
なればこそ「みんな持っちゃえば」というようなことも考えたのでしょう。
今のゴミ問題や温暖化に即効性のある解決策は、すぐには考え付きませんねぇ。
だからこそ、まずはひとりひとりから、なのだと思います。
一軒の家で、ペットボトルを一本使うのをやめれば、100軒で100本、
1000軒で1000本のペットボトルゴミが減らせることになります。
クーラーの設定温度を高くする、ペットボトルを買わずに家で作った麦茶飲んで、
扇風機頼りに、時にはうちわなんぞを手にして…、
すぐに「こうなってよかった」は見えないかもしれませんが、
みんな少しずつが積み重なれば、きっとどこかで結果はでるはず。
どこかの砂漠化がとまったり、どこかの国の子供たちが豊かになったり…。
自分は春の風、いつかどこかで「桶屋」さんが儲かりゃいいさ…なんて、
シャレっ気を持ってみたいと思います。
自分もいい桶つかいたいですしねぇ。
よく耳にする言葉なんですが、なぜそう云うのか
わからないままでした。でも、そういう話の流れが
あったんですね。なるほどと納得です。
季節が狂ってきました。人間が自然を破壊して、人間も含めて地球上の生物がどんどん生きにくい地球になってきていますね。っとそういいながら、昨日、あまりの暑さに、ペットボトルの水を買って呑みましたし、スーパーにはマイバッグを持って行ってませんねぇ。法律で規制をすればと思うけれど、ペットボトル屋が政治家に圧力かけるか・・・。あぁ・・・。神様が怒っています。
もう少し柔らかい表現にしてね・・・
だいいちサンマの様な出っ歯じゃないし!!!
ビニールを食べるバクテリアを見つけたという記事がありましたが、その後どうすべきかについては聞こえてきません。
ペットボトルを風車にして垣根を飾って、さらに風車にしてエネルギーを起こすという発想はいかがなものでしょうか?
ことわざとか、故事とかって、調べてみると
けっこうおもしろいことがあります。
昔の人って、ほんとアタマいいですねぇ。
風船葛様
今日も暑くて強風…、ほんとにヘンですね。
いつかバチあたるーーーと、そんな気がしています。
謙虚に、生きなきゃねぇ、「自然」と「神様」に
申し訳ないですー。
maymayman様
ははは、「出歯亀」って、この言葉も、
わかる人も少なくなったんじゃないでしょうか。
えーと「柔らかい表現」だと、「そっと見に来る」
抜き足差し足で…ホラまた違う方向へ…。
どうぞ堂々と胸はっておいでくださりませぇ。
iina様
ようこそ!
ペットボトルの風車、どこの家でも
ズラリと並べたら、壮観でしょうねぇ。
風力発電だって「数」でいけるかもしれません。
小さいことだって、意識が同じほうをむけば、
大きな力になるんじゃないかと思います。
やっと連休の疲れがとれて普通の生活リズムに戻ったようです。
でもためていた家事がどっさりと、片っ端から買い集めたガラクタを手直ししたり、洗ったり整理したりと毎日充実しています。
・・・本題から逸れましたが、確かダイナマイトを発明したノーベルは自身も狭心症で原料のニトリグリセリンを舐めていたとか。
平和主義といえば、アインシュタイン。
彼もノーベルと同じで、エネルギー源として利用して欲しいという願いも空しく、米国で亡命したユダヤ人技術者などで構成されたマンハッタン計画で原爆が発明されてしまいます。
やはり、便利すぎるのにも裏があって、その部分が問題になると皮肉なものですね。
ちなみに私の旦那の仕事着背広は、会社から支給されたものなんですが、ペットボトルで出来ているそ~です。
去年の福岡天神の巨大クリスマスツリーもペットボトルだったし~。
我が家もペットボトルは洗って使い回して、出掛けるときはそれに麦茶入れて持っていきますw。
がはは。。。
着物もリサイクルって大好きだしぃ。
今からの時代は、そんな風にリサイクルへの方法まで考えることが大事なのではと思ってしまいます。
いっきにやっつけることができなければ、
誰かさんの決まり文句じゃありませんが、
「小さなことからコツコツと」、ですね。
私も、ダレにみせるわけじゃなくても、
できることは…と思っています。
着物は究極のリサイクル、この「ワザ」を見ると、
まだまだ~と思いますねぇ。