ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

横浜駅東口

2011-07-10 15:54:32 | つれづれ

 

写真は見ればわかる「記念写真」…場所もいわなくてもわかる「長崎平和祈念像」。

ここが最初の見学場所だったんです。

 

昨日の記事から引っ張りまして…私の高校の修学旅行は、九州一周でした。

2007年のブログに「駅弁」のお話で一度書いていますので、再放送?

当時新幹線はすでに開業していましたが、まだまだ「修学旅行列車」というのがありまして、

私たちはそれで行きました。当日は早朝に横浜駅、東口集合でした。だだっぴろい広場で、

われわれ総勢300名以上の団体が並んでも、まだまだすみっこの方にチマッという感じでしたね。

時間になると「団体専用通路」が開かれ、そこからぞろぞろとホームに行きました。

なんか貨物の倉庫みたいなとこのそばで「あたしたちも荷物扱いだねぇ」なんていいながら歩きました。

修学旅行専用列車は一車両に出入り口がひとつだけ、1分だか2分だかの停車時間内に、

女の子300人以上が乗るわけですから、前もって「とにかく速やかに乗車するように」と注意もありました。

そのときがくると…先生方は必死で「何でもいいから早く乗れーっ!つめろーっ!おしこめぇ~~~っ!」と絶叫し、

私たちはキャーキャー言いながら、大きな荷物を持って狭い通路になだれこみました。

列車がガタンと動き出すととすぐに担任がゼーゼー言いながら入ってきて

「みんな乗ったか?駅に忘れてきたヤツはいないか?」やっぱ荷物扱いだわ…。

 

私は当時、クラス委員をやっていましたので、こんな資料もとってありました。今はない2等寝台、割り当て表です。

三段寝台で、私は最上段でしたわ。

 

       

 

今改めて日程表を見ると、なんと強行軍なことか…

クリックで「大サイズ」に飛びます。

 

                

 

たくさんの思い出を積み重ねてくれたあの旅の出発点、横浜駅の東口、

わくわくする時をすごした、あの広くてクラシカルな駅舎はもうありません。 

横浜駅は、生き物の成長のように「これで完成」がなくて、いついっても工事中。

発展はダイジかもしれませんが、私は昔の横浜駅東口の方がずっとずっと好きでした。

昔の東口、やっと写真を見つけました。このころから最後の解体に入っていたんですね。

上の写真の歩道橋とか通路のようなものは、工事用の仮設。

これがなんにもない、広い広いロータリーだったんです。

写真の「大時計」は、今も「市電保存館」にあると聞いたことがあります。

 

私の青春時代の前後、横浜駅は「西口」の方がどんどん開発されて、大手のデパートもみんな西口、

ダイヤモンド地下街とか、ちょっとあやしい西口五番街とか名店街とか、いつ行っても人でごった返していました。

それに比べて東口は、確かに人はいるものの乗り物の乗降のためだけの人ばかり。

これといった商店街もなく、バス乗り場やタクシー乗り場がつらなり、

広いロータリーと道路をはさんだ向こうに、やっとスカイビルというのができたのが、私が高校生のころ。

当時は最上階に全回転式の展望レストランがありました。

いまや東口とつながり「ヨコハマ・スカイ」などというシャレた高層ビルになっております。

このほかには、東口を出てすぐ右隣に「横浜中央郵便局」、その左に「崎陽軒」、ここは今でもあります。

あとはみんな「会社のビル」ばかり。なにしろすぐ目の前が港ですから、海運関係の建物が中心で、

味も素っ気もない…それが東口でした。

それでも横浜駅は本来東口がメイン。だから西口は、わざわざ「横浜駅西口」と呼ばれたのです。

 

昔は…あのころは…と言い始めると、年取った証拠だそうですが、

あの建物はただ懐かしいだけでなく「人間の匂い」みたいなものがあったように思います。

広くてムダに高い天井は効率の悪い建物だったかもしれません。

それでも 人がありんこのように小さく見える、あのだだっぴろい空間は、

横浜という港町の、大きな入り口の象徴ではなかったかと思うのです。

なかなか出かけられない私は、すでに横浜駅周辺では「浦島太郎症候群」ですが、

ただ、長くいっていないというだけでなく、姿かたちのかわりようが、よその町になってしまったようで、

ちょっと寂しいのです。

 

寂しい私の気持ちを映して??いえいえ単にカメラのテストですが、一眼レフの威力でしょうか。

とりあえずパシャッと撮って、ここまで映りました。三脚未使用のためブレてますが。

 

      

 


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9 コメント

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はじめまして (ピント)
2011-07-10 18:37:39
もんぺの作り方で検索、こちらにたどり着いてからいろいろと読み逃げしていました。
横浜駅・・・本当にすごく変わりましたよね。
いつも東と西、どっちがどっちか分からなくて「そごう側」「高島屋側」と呼んでましたが(笑)
東口は車で迎えに来てもらう場所だったな、私にとって・・・なんて、懐かしく読みました。
実は私は海外生活が11年になろうというところで、最後に横浜駅に行ったのは2年前の帰国時。
もうさっぱり訳分からん・・・でした。日本語読めてよかった(笑)
今では人ごみが苦手で、昔はあの辺を普通に歩いてたのが信じられないです。すっかり田舎者になってます。それとも年をとった証拠?(苦笑)
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Unknown (陽花)
2011-07-10 21:44:41
大事によく保存されていますねぇ
残しておられるから、こうして当時を
振り返る事も出来るんですね。

横浜は4年前に一度だけ行きましたが、
一度も行っていない時は想像も出来ません
でしたが、ちょっとでも見ると何となく
分かるのがやっぱり嬉しいですね。

月の写真くぼみまで写っていてスゴイです。
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こちらこそ (とんぼ)
2011-07-10 22:36:25
ピント様

はじめまして。コメントありがとうございます。

外国で暮らしておられると、懐かしさもひとしおかと思います。
私もいつも里帰りは車でしたので、実家の近くにようやく引越してきて、
さぁ久しぶりに電車で横浜に行ってみたら…
「ここどこ、私の行きたいとこはどっち…」で、ハマっ子が横浜駅で道を尋ねるという、
情けないことになりました。
父などは「あれは駅ではない、すでに町だ」と申します。
ほんとにすごい変わりようですねぇ。

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Unknown (とんぼ)
2011-07-10 22:40:16
陽花様

修学旅行から帰ってきて、「旅行記念アルバム」を作ったんです。
いつものことですが、途中であきて、中の文章が清書していないという、
私らしい中途半端です。

また横浜においでください。そのときまでにちゃんと、
駅構内地図、覚えておきますし…。
女二人で、山手など歩きましょうぞ…地図もって。
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Unknown (Unknown)
2011-07-11 01:08:24
全回転式の展望レストランで食事しました。
(えぇっと 誰としたっけ???)

昔の横浜駅の写真が懐かしい。

高島屋かそごう以外 カタカナビルは
何度聞いても覚えられないというか
覚える気が無く・・・

いつもいつも 駅構内が工事中だった横浜
どこもかしこも変わってしまって
行く度に???マークが飛び交います。
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Unknown ()
2011-07-11 01:10:14
名前を書かずに投稿してしまいました。
上記のコメントはわたしめです
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Unknown (とんぼ)
2011-07-11 01:22:03
惠様

ほんっとにいつ行っても工事でしたねぇ。
今でもすんなりいかれるのは高島屋だけ…。
なんだかいろんなビルができて、知っていたビルはなくなって…。
東横線は、昔、駅ビルの二階の小さな改札口から乗れたのに、
今はそれもないどころか「地下?」
それでなくとも地下ってのは周りが見えないから、
方向もわかんなくなるんですよ。
近いうちに、横浜の西口ではありますが、五番街を抜けた向こうに
行かねばならないんですが、父が心配して、
地図をプリントアウトして持っていけと…。
いらないわよ、といえなかった自分が悲しい…。
返信する
地上へ ()
2011-07-11 10:37:29
方向音痴では無かったはずですが
地下に入ったら 駄目です。
曲がり角のお店もドンドン変わって
目印になりませんもの。
街中では 多少の暑さや雨なら
地下から地上に出て歩きます。 
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Unknown (とんぼ)
2011-07-11 19:33:20
惠様

地下はほんとにダメですわ。
表示があってもたいがい不親切だし。
磁石持って歩くようだとか、今はナンタラナビとか、
何もナシでは歩けませんね。
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