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年とともに(と言いたかないんですが)、感動というものに鈍くなっていますが、
やはりオリンピックはきになりますね。
「写真は高校生の時のとんぼ」、場所は「箱根・強羅」、
たしか学校でのイベントで行ったと思います。毛糸の帽子はお手製
靴は「まい・しゅーず」、スケートは小学生の時からちょこっと行っていたので、
足の大きさがほぼ固定したこのころ、拝み倒して親に買ってもらいました。
数年後、傷もついたし当時出始めの「皮染め染料」を買ってきて染めました、銀色に!
人と同じはイヤだったし、子供のころ読んだ「銀のスケート靴」にちなんで…、
だったのですが白い靴紐がなんかぼんやりして見える…そこで真っ赤な靴紐に替えました。
次に友達と滑りに行ったとき「アンタはウルトラマンか、三分で転ぶ?」…
即、替えました、白と黒の「登山靴用」に。なぜふつーにできんのだと言われた記憶が…。
その靴は、今でも物置にあります。カビて変色してるだろうなぁ、出すのはコワイ。
さて、カナダのバンクーバーという地名は知っていても、どのへん?なんて状態。
グーグルで検索検索…はいはいここね、あぁ遠いなぁ…時差あるよなぁ、
またしばらく深夜族だなぁ…。
五輪といえども、いろいろ「裏」があったり、商業ベースにしてどーのこーの、
開会式がやたらと凝りすぎるのどーのこーの…いろいろあるけれど、
とにかく「出場選手」たちは、この日のために死に物狂いで鍛えてきたわけで、
その晴れ舞台、単純に彼らの「全力投球」を無心で見たいと思っています。
昨夜、NHKで「笠谷選手」の画像を見ました。あの「日の丸飛行隊」ですね。
古めかしい画像を見ながら「あれっ、なんか違う」…ジャンプの「飛び出し」部分です。
そりゃもぅ、夏季冬季どちらも、全ての競技の全てのお道具やら練習方法やら、
またそれを撮影したり、計測したり…そういうことが驚異的に進歩しました。
笠谷さんのころのユニフォームなんて、どうみたってただのセーターにスキーパンツって感じ。
様変わりするものです。
いや、それにしてもなんだろうこの違い…あっそーか、スタート方法だわ。
今はジャンプ台のてっぺんに横に渡された板みたいなのにおすわりして、
ズリズリと真ん中行って、そこからスタート。
笠谷さんのころは、使う高さにあわせて作られた「横の洞窟」みたいなところから
ほいっと飛び出すんでした。
ついでのことに、あのころは「人の目」で計測してましたから、
ジャンプ台の脇に、数字を書いた丸い「特大うちわ」みたいなボードを持った計測係が、
ずらーっと並んでいて、選手が自分の前で着地すると
「ここだよー」と、「特大うちわ」を持ち上げる…アナログですよねぇ。
晴天とばかりは限りませんし、例え晴れていたってああいう状況では、
じっと立っているのが一番寒いわけです。飛ぶほうもたいへんだけど、
それを計測する彼らもたいへんだったろうなぁ、と思ってました。
私の記憶で一番古い選手といえば「トニー・ザイラー」です。
もっとも、まだテレビは一般家庭にはそんなにありませんでしたから、
知ったのはもっぱら「映画」、それにでたことでアマチュア規定にひっかかって、
オリンピックには以後でていませんが、出ていたらまた記録も違っていたでしょうねぇ。
だってまだ22歳だったんですよぉ。
キリー、ミッタマイア、トンバ、ジャネット・リン、ステンマルク…、
いえ、年代はバラバラですが、思い出す名前です。外国人ばっかじゃん…。
そう、冬はなかなかねぇ。でも最近は楽しみですね、
スケートとかジャンプとか、競り合えそうだし。
どれといって特別好きな競技はないんですが、一応スケートはちびっとすべれるので、
フィギュアよりもスピードスケートが見たいです。
あのスケートの「刃」、長いんですよ。ついでに薄いんです。
私ハーフスピードというのをトモダチにちょっと借りて履いてみたことがあるんですが、
刃が薄すぎてまっすぐ立てない…。立ってるだけで神業に見えます。
なんとかスタートしようとしたら先が突っかかってコケました。
ホッケーも前に「ぎざぎざ」がないので、氷に降りたとたんに足だけ先に行きました。
フィギュアは、今でこそ規定もフリーも、まるでショーのように美しい衣装で
華麗に滑りますけれど、今のショートプログラムにあたる「規定」というのは
昔は実にジミーでした。「コンパルソリー」と言ったかなー。
スケートリンクの中、審査員が立ってみているそばで、
氷上に書かれた図形の上を、選手が「ここは右足、ここで方向転換、ここで左足」
というように、決められた線をちゃんと規定どおりにトレースできるかどうか…。
これはほんとに見ていてもつまらなかったのですが、あまりのテレビ写りの悪さに、
今のような全部盛り込んだプログラムをすべる…という方法にかわったのだそうで。
私はスケートはとりあえずすべるだけ、スキーは経験たったの三回、ではありますが、
雪や氷、空、風、緑…そんな中で、つめたーい空気を吸いながら、
滑ったり転んだり…あの爽快で楽しい気分はまだ覚えています。
すでにゥン十年たった今でも、「もう一度行ってみたいなー」という気持ちになりますー
と言いつつ、ぬくぬくの部屋の中で、熱いお茶をすすりながら応援いたしましょう。
やはりオリンピックはきになりますね。
「写真は高校生の時のとんぼ」、場所は「箱根・強羅」、
たしか学校でのイベントで行ったと思います。毛糸の帽子はお手製
靴は「まい・しゅーず」、スケートは小学生の時からちょこっと行っていたので、
足の大きさがほぼ固定したこのころ、拝み倒して親に買ってもらいました。
数年後、傷もついたし当時出始めの「皮染め染料」を買ってきて染めました、銀色に!
人と同じはイヤだったし、子供のころ読んだ「銀のスケート靴」にちなんで…、
だったのですが白い靴紐がなんかぼんやりして見える…そこで真っ赤な靴紐に替えました。
次に友達と滑りに行ったとき「アンタはウルトラマンか、三分で転ぶ?」…
即、替えました、白と黒の「登山靴用」に。なぜふつーにできんのだと言われた記憶が…。
その靴は、今でも物置にあります。カビて変色してるだろうなぁ、出すのはコワイ。
さて、カナダのバンクーバーという地名は知っていても、どのへん?なんて状態。
グーグルで検索検索…はいはいここね、あぁ遠いなぁ…時差あるよなぁ、
またしばらく深夜族だなぁ…。
五輪といえども、いろいろ「裏」があったり、商業ベースにしてどーのこーの、
開会式がやたらと凝りすぎるのどーのこーの…いろいろあるけれど、
とにかく「出場選手」たちは、この日のために死に物狂いで鍛えてきたわけで、
その晴れ舞台、単純に彼らの「全力投球」を無心で見たいと思っています。
昨夜、NHKで「笠谷選手」の画像を見ました。あの「日の丸飛行隊」ですね。
古めかしい画像を見ながら「あれっ、なんか違う」…ジャンプの「飛び出し」部分です。
そりゃもぅ、夏季冬季どちらも、全ての競技の全てのお道具やら練習方法やら、
またそれを撮影したり、計測したり…そういうことが驚異的に進歩しました。
笠谷さんのころのユニフォームなんて、どうみたってただのセーターにスキーパンツって感じ。
様変わりするものです。
いや、それにしてもなんだろうこの違い…あっそーか、スタート方法だわ。
今はジャンプ台のてっぺんに横に渡された板みたいなのにおすわりして、
ズリズリと真ん中行って、そこからスタート。
笠谷さんのころは、使う高さにあわせて作られた「横の洞窟」みたいなところから
ほいっと飛び出すんでした。
ついでのことに、あのころは「人の目」で計測してましたから、
ジャンプ台の脇に、数字を書いた丸い「特大うちわ」みたいなボードを持った計測係が、
ずらーっと並んでいて、選手が自分の前で着地すると
「ここだよー」と、「特大うちわ」を持ち上げる…アナログですよねぇ。
晴天とばかりは限りませんし、例え晴れていたってああいう状況では、
じっと立っているのが一番寒いわけです。飛ぶほうもたいへんだけど、
それを計測する彼らもたいへんだったろうなぁ、と思ってました。
私の記憶で一番古い選手といえば「トニー・ザイラー」です。
もっとも、まだテレビは一般家庭にはそんなにありませんでしたから、
知ったのはもっぱら「映画」、それにでたことでアマチュア規定にひっかかって、
オリンピックには以後でていませんが、出ていたらまた記録も違っていたでしょうねぇ。
だってまだ22歳だったんですよぉ。
キリー、ミッタマイア、トンバ、ジャネット・リン、ステンマルク…、
いえ、年代はバラバラですが、思い出す名前です。外国人ばっかじゃん…。
そう、冬はなかなかねぇ。でも最近は楽しみですね、
スケートとかジャンプとか、競り合えそうだし。
どれといって特別好きな競技はないんですが、一応スケートはちびっとすべれるので、
フィギュアよりもスピードスケートが見たいです。
あのスケートの「刃」、長いんですよ。ついでに薄いんです。
私ハーフスピードというのをトモダチにちょっと借りて履いてみたことがあるんですが、
刃が薄すぎてまっすぐ立てない…。立ってるだけで神業に見えます。
なんとかスタートしようとしたら先が突っかかってコケました。
ホッケーも前に「ぎざぎざ」がないので、氷に降りたとたんに足だけ先に行きました。
フィギュアは、今でこそ規定もフリーも、まるでショーのように美しい衣装で
華麗に滑りますけれど、今のショートプログラムにあたる「規定」というのは
昔は実にジミーでした。「コンパルソリー」と言ったかなー。
スケートリンクの中、審査員が立ってみているそばで、
氷上に書かれた図形の上を、選手が「ここは右足、ここで方向転換、ここで左足」
というように、決められた線をちゃんと規定どおりにトレースできるかどうか…。
これはほんとに見ていてもつまらなかったのですが、あまりのテレビ写りの悪さに、
今のような全部盛り込んだプログラムをすべる…という方法にかわったのだそうで。
私はスケートはとりあえずすべるだけ、スキーは経験たったの三回、ではありますが、
雪や氷、空、風、緑…そんな中で、つめたーい空気を吸いながら、
滑ったり転んだり…あの爽快で楽しい気分はまだ覚えています。
すでにゥン十年たった今でも、「もう一度行ってみたいなー」という気持ちになりますー
と言いつつ、ぬくぬくの部屋の中で、熱いお茶をすすりながら応援いたしましょう。
流石ですね。私も若い頃は何度か京都アリーナ
へ行ったんですが、いわゆる手すり磨き、
危ないと思ったらすぐに届く位置で滑っていました。
オリンピックは故郷日野出身、モーグルの
伊藤みき選手を応援しなければと思っています。
どの選手も練習の成果が出せるといいですね。
アナウンサーの方が苦労されていたのを思い出します。
高校生のとんぼさん、かっこいい!
運動オンチの自分にはうらやましいお姿です。
成績に関係なく、怪我や事故がなく帰って来てくれれば…と
願いながら見ています^^
8歳か9歳か…そんなころに、
福島出身のお兄ちゃんが近くにいまして、
つれていってもらったのが最初でした。
回数にしたらそんなに多くはないのですが、
富士急ハイランドの徹夜コースなど
行きましたので、とりあえずバックまでは滑れます。
今行ったらどんなでしょ。
最後にやったのは25歳くらいですー。
伊藤みき選手、日野出身なんですね。
モーグルはすぐですよねぇ。
私も応援しますね!
いろいろ長い名前もありましたね。
ジャンプで「アフォネン」さんが出たときは、
そーじゃないんだ違うんだと思っても
「あほねん、やりましたっ」と聞くたびに、
なんかずりこけてました。
ジャンプは、できるものならやってみたい、
といつも思ってみています。
みんな無事に競技を終えられるといいですね。
お天気や事故もですが、物騒なことも
ありませんように…。
颯爽とした、お嬢様だったのですね!
それに比べ、私ときたら。。。これ以上は
何も申しますまい。。。
北海道の十勝地方の出身だった私は、
その土地を離れるまで(小学校卒業まで)
冬の体育の時間はスケートでした。
それも、スピードスケート(滝汗)
スケートの時間が恐怖でした。みんな上手くて
速いんだもん。
リレーとかをやらされる時は、クラスみんなの
冷たい視線を一身に浴び、とにかく転ばないように、
必死になったものです(泣)
スケートの歯も自分で研がされたなぁ~。
あんな薄っぺらい物にエッジを付けろとな?と
子供心に思ったものでした。
アフォネンさん。。。私も違うって分かっていても
脱力していました。
あと、ついでに、アルペン競技の「スタンガッシンガー」さん。
合体ロボが出場しているのかと、余所見をしていた
視線がテレビに釘付けになりました(苦笑)
いえいえただのおてんばでした。
スピードスケートは「包丁」履くようなもんです。
とてもじゃないけど立つこともできませんでした。
先にフィギュアはいてましたから余計ですね。
バックとイーグルくらいはできたんですけど、
今やったらヘルメットにひじアテ、ひざアテ、
お尻にざぶとんくくりつけて…ですわ。
外国のかたのお名前は、わかっていても
わらっちゃったり、舌かんだり…ですね。