ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

五月人形は誰が買う?

2014-03-16 20:42:46 | 昔の道具・暮らし

 

まだ早いけれど、またモタついていると出しそびれる…。

とはいえ、毎年せめて4月になってから…と、待つのですが、

今年はもう、五月どころか、早く春がきてほしい…とばかり、出してしまいました。

ただ、ちゃんとお飾りの位置に置くのは、さすがにちょっと…なので、

部屋のすみにちまっと置いておくことにしました。来月に入ったら、いつものお飾り位置へ…。

 

写真は、私が購入した陶器のお飾りです。下の黒い台が30センチくらい。

うしろにさがっているの、かわいいでしょ、いただいたんです。鯉のぼりは木製、あとは縮緬細工です。

こういうものは、つくづく「小さいほうが便利」と思っています。

こちらは、なんやかやと、買ったりいただいたりしたもの。左上の兜が100円玉にのるくらいの大きさです。

 

      

 

実は、息子にはちゃんと、私の実家から「兜飾り」がきています。

ここへ越してきた頃は、まだ頑張って飾っていたのですが、いかんせん「大きい」…。

最初から「やたら大きいと、飾るのに大変だから、小ぶりでいいから」と頼みました。

それなら「鎧」のほうはナシにして、兜だけね、と言ってたのですが…。

確かにね、兜そのものは、ちょうど私の手の上にのるくらいでしたよ。

でもね、結局、立派な台があり、そこに兜櫃がのり、その上に兜がのり、

更に左右に太刀かざりやこいのぼりなど…あれこれ飾り付けると、畳半分近く取る…。

かといって、ちっこい座布団に兜だけすわらせて、ってわけに行かないですし…。

なので、ほんっとに申し訳ないと思いつつ、ここ10年は一切出せずにいます。

代わりにこれを購入したというわけで…親の心子知らず…いえ、私の場合は逆じゃいっ!

 

さてさて、この「節句の人形」は、誰が買うか…というお話を、時々耳にします。

これってかなり地方地域でいろいろらしいですね。

よく聞くのは「女親の実家から」…、次が「女の子なら女親の実家、男の子なら男親の実家」というもの。

どれが正しいということはないのでしょうけれど、なんか女親の実家ばかりが…です。

だって岩田帯から女親の実家ですからねぇ。

 

こういう風習というのは、今の時代で考えると「なんで」とか「嫁の実家ばかり」とか、

そんな風に思いますが、その時代時代での状況というものもあるのですよね。

昔は「家に嫁ぐ」ことが当たり前でしたから、嫁がせた方も「どうかしっかり跡継ぎを生んでおくれ」でした。

もし男の子を生まなければ、離縁されることも珍しくなかったわけですから。

なので、まず妊娠したら「嫁いだ娘の安産を願って」帯を送り、生まれたら掛け着を送る…。

本当の意味は私もはっきりとは知りません。

ただ、昔の状況を思うと、娘が立派に跡継ぎや孫を産んだとしたら、それは嫁がせた親にとっても、

とても誇らしいことではなかったかと思うのです。

「どうですか、ウチの娘、たいしたもんでしょ」なんて気持ちでしょうか。

 

嫁姑とか、実家同志とかいうと、つい「いがみ合う」とか「張り合う」なんて思ってしまうのは、

ちと心が狭いかもです。お祝いしたりされたりは、実はどちらの家にとっても、うれしいことなのですから。

だから、おひなさまのときは、男親の実家からは「市松人形」が贈られる…。

私は両方の実家からお雛様が届けられたので、いちまはん(京都では市松人形をいちまはんと呼びます)は

もらいませんでしたが、友人で親からお雛様をもらえない状況にあって、

自分たちでお雛様を買ったその初子に、母は「私がかわりに」、と「いちまはん」を送りました。

これは「雛返し」といいますね。二つそろって両家からのお祝い、ということです。

送ったその子は、すでにお嫁に行きました。

 

物には思いが込められます。

元々ひな祭りだって、最初からあんな立派なお雛様があったわけではありません。

最初は「ひとがた」雛型ですね。つまり人の形をした紙に、穢れを移しとって、それを川に流す…。

このひとがたの形をとるのに「よい紙をお使いください」と、立派な和紙を贈り物にしていたわけです。

これと、子供のひいな遊びが交じり合ってきて、より、人間に近い這い子人形など、

原始的なお人形ができ、その人形を飾りたてる…そうなると流すにはもったいない…で、

それを飾って厄災を祓い、子供を守ってもらう…という形になってきたわけですね。

兜飾りは武家の風習で、男の子が立派に成長し、親とともに戦場で手柄を立てるように、

主君のお役に立つように、そして無事であるように…と、兜や鎧を飾り、

勇壮に幟や旗を立てて祝ったのが始まりとされています。

いずれにしても、乳幼児の死亡率がたかかった昔は、

とにかくまず「無事に生まれ」「無事に育て」の思いが強かったのですね。

もちろん、その思いはいまだって変ってないのですが、いろいろと豊かになり、

恵まれた時代にあっては、緊張感も違います。

見栄だとか、損得だとか、そんなつまらないことがカオをのぞかせたりして、

やってくれないとか、逆に「ウチがやるっていってるのに」とか…。

問題のない家族関係ができているのなら、あっさり「どうしましょうか」と、話し合うのが、

一番だと思うんですけどね。

しきたりは時代とともに、変わっていくものも珍しくないのですから。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« お片付けの本をいただきました。 | トップ | 礼装がかわっていくこと »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

昔の道具・暮らし」カテゴリの最新記事