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まだ早いけれど、またモタついていると出しそびれる…。
とはいえ、毎年せめて4月になってから…と、待つのですが、
今年はもう、五月どころか、早く春がきてほしい…とばかり、出してしまいました。
ただ、ちゃんとお飾りの位置に置くのは、さすがにちょっと…なので、
部屋のすみにちまっと置いておくことにしました。来月に入ったら、いつものお飾り位置へ…。
写真は、私が購入した陶器のお飾りです。下の黒い台が30センチくらい。
うしろにさがっているの、かわいいでしょ、いただいたんです。鯉のぼりは木製、あとは縮緬細工です。
こういうものは、つくづく「小さいほうが便利」と思っています。
こちらは、なんやかやと、買ったりいただいたりしたもの。左上の兜が100円玉にのるくらいの大きさです。
実は、息子にはちゃんと、私の実家から「兜飾り」がきています。
ここへ越してきた頃は、まだ頑張って飾っていたのですが、いかんせん「大きい」…。
最初から「やたら大きいと、飾るのに大変だから、小ぶりでいいから」と頼みました。
それなら「鎧」のほうはナシにして、兜だけね、と言ってたのですが…。
確かにね、兜そのものは、ちょうど私の手の上にのるくらいでしたよ。
でもね、結局、立派な台があり、そこに兜櫃がのり、その上に兜がのり、
更に左右に太刀かざりやこいのぼりなど…あれこれ飾り付けると、畳半分近く取る…。
かといって、ちっこい座布団に兜だけすわらせて、ってわけに行かないですし…。
なので、ほんっとに申し訳ないと思いつつ、ここ10年は一切出せずにいます。
代わりにこれを購入したというわけで…親の心子知らず…いえ、私の場合は逆じゃいっ!
さてさて、この「節句の人形」は、誰が買うか…というお話を、時々耳にします。
これってかなり地方地域でいろいろらしいですね。
よく聞くのは「女親の実家から」…、次が「女の子なら女親の実家、男の子なら男親の実家」というもの。
どれが正しいということはないのでしょうけれど、なんか女親の実家ばかりが…です。
だって岩田帯から女親の実家ですからねぇ。
こういう風習というのは、今の時代で考えると「なんで」とか「嫁の実家ばかり」とか、
そんな風に思いますが、その時代時代での状況というものもあるのですよね。
昔は「家に嫁ぐ」ことが当たり前でしたから、嫁がせた方も「どうかしっかり跡継ぎを生んでおくれ」でした。
もし男の子を生まなければ、離縁されることも珍しくなかったわけですから。
なので、まず妊娠したら「嫁いだ娘の安産を願って」帯を送り、生まれたら掛け着を送る…。
本当の意味は私もはっきりとは知りません。
ただ、昔の状況を思うと、娘が立派に跡継ぎや孫を産んだとしたら、それは嫁がせた親にとっても、
とても誇らしいことではなかったかと思うのです。
「どうですか、ウチの娘、たいしたもんでしょ」なんて気持ちでしょうか。
嫁姑とか、実家同志とかいうと、つい「いがみ合う」とか「張り合う」なんて思ってしまうのは、
ちと心が狭いかもです。お祝いしたりされたりは、実はどちらの家にとっても、うれしいことなのですから。
だから、おひなさまのときは、男親の実家からは「市松人形」が贈られる…。
私は両方の実家からお雛様が届けられたので、いちまはん(京都では市松人形をいちまはんと呼びます)は
もらいませんでしたが、友人で親からお雛様をもらえない状況にあって、
自分たちでお雛様を買ったその初子に、母は「私がかわりに」、と「いちまはん」を送りました。
これは「雛返し」といいますね。二つそろって両家からのお祝い、ということです。
送ったその子は、すでにお嫁に行きました。
物には思いが込められます。
元々ひな祭りだって、最初からあんな立派なお雛様があったわけではありません。
最初は「ひとがた」雛型ですね。つまり人の形をした紙に、穢れを移しとって、それを川に流す…。
このひとがたの形をとるのに「よい紙をお使いください」と、立派な和紙を贈り物にしていたわけです。
これと、子供のひいな遊びが交じり合ってきて、より、人間に近い這い子人形など、
原始的なお人形ができ、その人形を飾りたてる…そうなると流すにはもったいない…で、
それを飾って厄災を祓い、子供を守ってもらう…という形になってきたわけですね。
兜飾りは武家の風習で、男の子が立派に成長し、親とともに戦場で手柄を立てるように、
主君のお役に立つように、そして無事であるように…と、兜や鎧を飾り、
勇壮に幟や旗を立てて祝ったのが始まりとされています。
いずれにしても、乳幼児の死亡率がたかかった昔は、
とにかくまず「無事に生まれ」「無事に育て」の思いが強かったのですね。
もちろん、その思いはいまだって変ってないのですが、いろいろと豊かになり、
恵まれた時代にあっては、緊張感も違います。
見栄だとか、損得だとか、そんなつまらないことがカオをのぞかせたりして、
やってくれないとか、逆に「ウチがやるっていってるのに」とか…。
問題のない家族関係ができているのなら、あっさり「どうしましょうか」と、話し合うのが、
一番だと思うんですけどね。
しきたりは時代とともに、変わっていくものも珍しくないのですから。
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