写真は、祖母の形見の櫛。祖母は存命なら110歳を超える明治の生まれですから、
若いころはまだ日本髪を、実際に結っていたわけです。それで戦火を逃れた櫛簪などをもらいました。
鼈甲のように見えますが、そんな高価なものは買えるわけないよぉ…と言ってまして
譲り受けたものはみな「ベークライト」 「セルロイド」「木製」です。
父は昭和の初期の生まれです。
終戦後のヨコハマの焼け野原もしっかり覚えている年代。
古いもののことは、当然知っていますので、時々話しを聞きます。
先日の「ツェッペリン羽裏」を見せたところ「昔、ウチに『ツェツペリン焼き』の型があった」と言い出しました。
探してといったのですが、父が子供のころの話で、すでにもうないと…がっかりです。
なんでも、昔はタイ焼きだけでなく、何か珍しいこととか、ニュースになるようなことがあると、
「○○焼き」として、縁日などで売られたのだそうです。
もうないだろうと思いましたが、検索してみましたら入間市の縁日でありました。2年前の情報ですが。
ほんとに飛行船の形をしていまして、細長くて魚なら「タイ焼き」ならぬ「アユ焼き」の感じ。
さてさて、私は骨董についての知識はほぼありませんので、
「庄屋さんの蔵にあった茶碗でしてね、江戸末期のモノ」…なぁんて、昭和のうつしなんか買わされても、
まーったく気がつかないタイプです。したがって、私の好きなのは「ただの古道具」であり、
金額ではなく「私が好き!」なもの。あっお高いものはダメです、せいぜい10000円どまりくらい。
趣味としてそうなったというよりも、昔見てたから、家にあるから…ですかねぇ。
父とはなしをしていて「煙草」の話になったのですが、父方の祖父は、明治24生まれでした。
存命なら日本一のご長寿様…です。その祖父は、昔刻み煙草をキセルで吸っていたというのですが、
私の記憶の中の祖父は、すでに「朝日」という紙巻煙草を吸っていました。
あまり画像がよくありませんがこちら。「朝日」の段の下、一番右です。
その祖父が「キセル」ですっていたころ使っていた「タバコ入れ」。
これも以前アップしていますが、底に細かいタバコがちょっちとだけついています。
根付は「鷹が殻を割ってでてくるところ」
父は、母と骨董市によくいきましたので、そこでみつけたものをいくつか私にくれました。
これも過去に出していますが、キセルの出し入れがめんどくさいタバコ入れ。
キセルのはいった筒部分は、自然のもの、まぁ太く育ってる蔦とかそういうものだと思います。
キセルの雁首が大きいので、ただまっすぐ引っ張ってもスンナリ出ません。
これはわざわざ、キセルの雁首を溝に合わせてくるくる回して取り出します。
煙草入れの方には中身が残っています。
先日の「アール・ヌーボー羽裏」でパイプから、キセル、タバコについてのコメントをいただきました。
タバコが日本に入ってきたのは室町のころですが、最初は当然富裕層、そして庶民へと広がりました。
需要が広がってくると、生産するものが増える…のは世の常で、米作りからタバコ作りにかわる農家も増え、
幕府としては「米が減るのはいかん」とか、風俗上云々とか…で、例によって何度も禁止令をだしましたが、
いっこう減る様子もなく…で、結局「まぁいいか」…に、なっていったと。
さて、タバコは大航海時代に世界中に広まったわけですが、タバコは「噛む、嗅ぐ、吸う」の三種。
「噛む」はガムのように噛むわけですが、当然ニコチンが溶け出すので「唾液」がキケンなものになります。
なので、常にペッペッとツバを吐くことになり、これは文化的な暮らしになってくると、実情に合わない…。
嗅ぎタバコは、まんま鼻先にくっつけて吸い込むのですが、シゲキが薄い。
結局「燃やした煙を吸引する」というのが、手間もかからず効果も得られる…で、流行ったわけです。
刻みタバコは、日本だけではありませんが、上の写真のような細かい刻みは日本独特の技術だそうです。
元々日本人は、美しいものに対する感性が豊かな民族です。
外国からはいってきたものを、日本人好みに進化させる…それで、キセルなどの「喫煙具」は、
最初はそのへんにあるもので…だったのものが、専用具として作り出されるようになりました。
写真のようなタバコ入れは携帯用、いつでもどこでもタバコを楽しめるようにと、考え出されたものですね。
キセル、刻みタバコ、それをそれぞれ入れる容器、火のないところでにそなえて火打石の道具、
そういうものを腰にぶら下げるための根付…そういうものが、それぞれに趣向を凝らして作られたわけです。
こちらのタバコ入れセット、コレも何度かアップしていますが、見た目はジミ、
止め具は「せみの抜け殻」、
そしてせみはここにいます。
このセットのキセルはただの銀ギセル、いや銀かどうかは疑問なんですが、とにかくおもしろみのない、
ただの金属キセルです。写真を撮り忘れたのですが、六角レンチを伸ばして曲げました…みたいな。
今でも、無賃乗車を「キセル乗車」といいますが、それはキセルは雁首と吸い口だけが金属で、
真ん中は竹だったり木だったり…なので、乗るところと降りるところだけ「金(属)」で、
真ん中は「金ではなくタダ乗り」と言う意味ですね。
キセル乗車にならない?こういう金属の銀ギセルというものも、イロイロ細工の凝ったものが出ました。
また花魁の使うようなものは、大きくて見事な金蒔絵だったり…一服も、普通の3回分くらいはいりそうです。
さて、こういう道具が「おしゃれなもの」として発達するのに合わせて、
日本の刻みタバコは、どんどん細かくなっていきました。
それには日本人の器用さや、繊細さが大きく影響していると思いますし、また「刀」の文化がありましたから、
刻むための刃物、と言う点でも群を抜いていたと言われます。
専売でなかったころは、タバコは量り売り、タバコの葉をまず選び(コレがブレンド)、
葉脈や傷んだところを取りのそぎ、重ねてきっちり丸め、これに圧をかけたものを、
小口から細かく刻んでゆく…太巻きとそば切りの要領???髪の毛ほどの細さになったといわれています。
一服しか入らないような小さなキセルの雁首にも、きっちり詰め込むことが出来たわけですね。
この技術は、その後機械化されて…と言っても原始的なものですが、葉を圧縮するものと、
それを切る…というより、これはカンナを当てて削る…なので、細かくはなりましたが、
葉を丸めるのに余分な油などを使ったり、金属なので匂いがうつったり…。
結局は「安物」というレベルになったそうです。
上の写真のものが、手刻みか機械かはわかりませんが、いずれにしても糸のように細いタバコ、
今のタバコにはありませんね。
私の持っている「タバコ入れ」関係は、父からもらったものだけですが、
根付はおもしろいので、時々骨董市や、ヤフオクで買っています。
もちろんせいぜい2000円くらいのもの、つげ細工の根付などには、当然名人と言われる人がいて、
名前も入っていたりします。そういうものはゼロひとつところか二つ違う場合もあります。
私はそういう「価値」で買うわけではないので、帯留めになりそーとか、見た目がおもしろーいとかで、
写しだの模造だのを買っているわけです。
こちらも再出、自分で骨董市でみつけた「楊枝入れ」、真ん中のつまむところは、
三味線の撥を立てた形になっています。今どきは、食事のあと爪楊枝も使いませんねぇ。
銜えて歩いている男性は「オヤジ」と言われてます。
ハブラシに歯間ブラシ?それもまた文化、でも「取り出しにくいハブラシ入れ」なんてのは、はやりませんね。
別に骨董趣味と言うわけではないので、いろんなものをちょっとずつ、
あ、お雛様道具と「おままごと」は、ちょっと熱入りますが…。
そんな中で、昔はこういうものをつかっていたんだよね…ということから、
先人の知恵とか、向上心とか、シャレ心とか、そういうものが見え隠れしてきます。
今、お金を出せばなんでも買える時代であり、その道具はボタンひとつで何でもやってくれる…。
それがシアワセなのかなあと、ふと思うのです。
おしゃべりする掃除機、が出て、テレビのスイッチもいれてくれるそうです。
そのくらい自分でやれよ…と思ってしまうのです。
そういうものは、高齢者や障害者が使う「福祉用具」にとどめておいたほうが、いいのではないかと。
そばに家族がいるのに、、ちょっと立ち上がればそこにリモコンがあるのに、
掃除機に向かってテレビつけて…という家庭を想像すると、
なんだか「豊か」というのが、大きな薄っぺらい立て看板かポスターのように思えて、
ちょっとした強風で倒れてしまったり、はじっこの紙がはがれだしたらペランとめくれて、飛んでいきそうで。
ネジネジとめんどくさいキセルいれを使っていた人は、面倒だという手間よりも、
珍しいカタチを好んで、人にも「いいだろ!?」と、見せたかったり…。
また見た人は「ふんっ、そんなめんどくせぇもん、よく使うわ」と言いつつ、
「もっとめんどくさくてかっこいいもの、探さなくちゃ」…なんてね。
そういう人間のあほさかげんや、無駄のなかに、楽しさってあるものじゃないかと、
そんなことを思ったりするのです。
今日は雨が降っています。明日にかけて、また季節が逆戻りするとか。
寒さもこれでおしまいであることを祈りつつ、またストーブのお世話になって過ごしましょう。
そういえばアナタもしゃべるんだったわねぇ「灯油がなくなります」…ん~ありがとね、教えてくれて。
この頃そう感じています。
武器としてより、武士の魂として、日本刀の外見(こしらえというのでしょうか?)が、趣味豊かに発達し、帯締めはそれの技術がいかされているものの一つでしょうか?
器用で几帳面で、日本人って素晴らしいわ~
身の回りが片付かない私、ナニジンでしょうか!?恥ずかしいわ~~~
まさか、さらに便利な時代になって、私以上にダメ人間が増えては困ります!!
でも、不自由な日常生活を緩和出来るのは、新技術に大賛成です。
頑張ると、身体中ガタガタになってしまうので、毎日、お座布団一枚分ほど、片付けをしております。
帯締めの元は「鎧兜」に使われた紐です。
日本の鎧は小さな金属片や皮を硬くしたものに、
穴をあけてそれを一つずつつなげたものです。
まず皮ひもでつないで、それを縦に組紐でつなぎます。
やがて太平の世になって、鎧などが頻繁に使われなくなって、
今度は刀の下げ緒などになり、
その刀もなくなって、帯締めや羽織の紐などに
活路を見出したと言うわけです。
真田紐も、同じような経緯ですが、
こちらはどちらかというと、お茶道具の箱の紐などから、
道具類になって行きましたね。
私も年齢を感じるようになってきて、便利なもの、
楽な道具はありがたいと思っていますが、
そこまでしてくれんでも…のものには、手がでません。
お座布団一枚分…それくらいがいいのだと思います。
木の火鉢の所でキセルで煙草を吸ってコンコンと
落す音で飛び起きたと母がよく言っていました。
煙草の葉も近くの農家で栽培していて、畑へ
入ったり葉っぱ1枚採ってもダメとよく言われ
ました。
遠い記憶を思い出させて頂きました。
どちらも素敵な根付けですね。
長火鉢にきせる…かっこいいですねぇ。
タバコの葉の実物は見たことないのですが、
大きなものですよね。
実父と母は喫煙者でしたが、記憶にあるのは、
父のジッポーライターだけです。
日本人の目の付け所に本当に感心してしまいます。
確か京都に根付けの美術館があると聞いたことがあるのですが、訪ねてみたいと思いながらナカナカ叶わず残念です。
私も古いものが大好きで(私の場合ガラクタと呼ぶべきか)ついつい妙なものが増えていきます。
主人との唯一の共通点なのでお互い、それはいいとか、わるいとかけなしあっております(笑)。
根付のあれこれを見ていると、ほんとに目の付け所に
驚かされます。
男物ですから、女物のような華やかさには用はないけれど
かわりにちょっと目を引くおもしろさ…。
京都は壬生の「清宗根付館」ですね。
私も何度も京都に行っているのに、ちと半端なところなので
いつも「この次は」なので次回は行くぞ…です。
壬生郷士の家なので、建物も楽しみなんですよね。
私のものも、専門家から見ればほとんど「ガラクタ」ばかりなのでしょう。
それでも古いものって、なんかいいんですよね。
人の手のぬくもり、なんていう陳腐な言い方しかできませんけれど、
作った人、持っていた人のことを思ったりしています。