アマゾンをのぞいていて、ふと眼についたこの本。
「片付けられない…」という文字だけが飛び込んできて…。アホです。
とりあえず、関連関係の本をいくつか見た(中身ではなく、言わば宣伝文句)のですが、
どれも「片付けられない」「捨てられない」「お金の管理が苦手」…。
そんなことばかりに眼がいき、とりあえず読んでみようと…。
本はこちらです。類似本が多いのにも驚きました。
それって、大人のADHDかもしれません (アスコムBOOKS) | |
クリエーター情報なし | |
アスコム |
「ADHD」というのは、注意欠陥、多動性障害、という病気。
いわゆるアスペルガーとかLDなどとともに「軽度発達障害」といわれるもの、という説明がありました。
レビューには「アスペルガーとは違う」という意見もありましたが、そのあたりのことまでは、
私には説明ができません。私の周囲には、発達障害の方はいてもお付き合いがなくて、
話に聞くだけだったのですが、自閉症の子供を持つお母さんから、自閉症とかアスペルガーとか、
パッと見ただけではわからない障害は、理解されづらくてしんどい…と、聞いていました。
実際、その自閉症のお子さんの言動には、驚かされるものがありました。
そんなことも思い出し、今更ながらに、家族や周囲の協力が大切な病気なのだと思いました。
この本にはADHDの「判定」のめやすになるような点数表があります。
「用事を先送りにする。大事なことがあとまわしになる」「あれこれ手をつけて、どれも完成しない」など。
これを点数つけていくと、ADHDとみなされる段階か、その傾向があるか…そんなことがわかるわけです。
私は…まったく問題ありませんでした。
まぁADHDは、アスペルガーとおなじように天才や偉人が多い…わけで、
それからいったって、私がそれであるわけはない…のですが。
この本を買う気になったのは、要するにこのところの自分のふがいなさからくる重たいもの…、
不安というような言葉ではないのですが、なにかこう自分自身に閉塞感みたいなものがあり、
それに何か理由付けしたい…そんなキモチだったような気がします。
我が家に一度でもきたことのある方はご存知のことですが、つい先日まで、
我が家のリビングはリビングにあらず…ものが積み重ねてありました。物置みたいに。
それは昨日今日に始まったことではなく、いつもとりあえずのお片づけできたからです。
もっと大きなお屋敷ならともかく、ごく普通の住宅で、息子と暮らすのための生活動線や、
私の都合をメインにしての暮らしです。本来ならばソファがあったり、モダンなボードがあったり、
お客様がくれば、そこからティーカップなど出したり…そういう部屋で、
息子が自由に動けるだけのマットを敷き、その周囲には、息子にとって必要な日用品だの道具だのがあり、
常時息子の様子がわかるように、本来ダイニングテーブルがあるべきところにパソコンデスクを置き…。
それだけでも、普通の家とは違うのに、そこに着物のたとう紙だの箱だの、山ほどの本だの…。
別に、それに不満があるわけではないのですが、自分のやりたいことと、息子との暮らしの両方を
おなじところでやろうとするから無理が来る…。
そんなこんなのしわよせが、片付かない部屋になっていたわけです。
これを、ここ二ヶ月くらいかけて少しずつ片付け、夏カゼでダウンしながらも、
ついにリビングからは、仕事関係のダンボール箱やたとう紙に入ったものは、ほぼ追い出せました。
いや、まだまだ細かいものは残っておりますが…。
先日きた友人も、呉服屋さんも「ここって、こんなに広かったのねぇ」…。
といったって、元がそんなに広くはありませんから、ただ単にテーブル囲んでお茶飲めるようになった、
くらいのものなのですが、いかにモノがあったかがわかります。
今でも、実は片付けた分、そのひずみが他の部屋に行ってます。
ただ、ありがたいことに「断・捨・離」の、断と捨は、少しずつできるようになってきました。
やたら捨てるのではなく、ちゃんと片付け先を考え、自分の欲、たとえば「これはいつか○○になるかも」
なんていう、そういう気持ちそのものを「片付ける」ことを努めてやるようにしています。
これは○○にいけば、別の人に役立ててもらえる、これは△△に送れば、別の人に使ってもらえる…
そういうことをきっちり考えました。どうしてもこれだけは…と思うラインをちゃんと引くように。
今「ひずみ」がおしよせてる部屋も、少しずつ片付けを続けています。
思えば母の先行きが…となった数年前から、私の暮らしは「今、これをやっても、もしもの時には」…があり、
結局は中途半端なまま、なんでもかんでも一時休止、ばかり「とりあえず」ばかりでした。
今も、母のあとの父のことで、現状にあまり変わりはないのですが、
この自分自身の閉塞感は、結局自分自身にいいわけをしているのです。
介護の基本は「ベストよりベター、できないことはできないと決める」です。
それなのに、なにかしら言い訳がましく、ダラダラしてました。
この本が教えてくれたことは、私はADHDかどうか、ではなく、単に自分のだらしなさであったと。
面白半分で買ったつもりはありません。実際「片付けられない」という言葉には、ズキッときました。
でも、少なくとも「なぁんだ、ちがったよぉ」で終わらせては、この本にも、また実際にこの病気で、
日々苦労している方々にも失礼です。
体力の衰え、根気の減少、いろいろマイナス要因は増えていくばかりです。
それでもそれは年を重ねれば当然のこと。
その自分をどう御していくか、ムリがきかなくなったら、できる範囲でベストに近く…。
呉服屋さんが「このごろね、自分にもしものことがあったら、そのときに着物のことだとか、
どうなるのかいろいろ考えちゃうの」と言いました。
いわゆる「財産」と呼べるような、土地や現金はどうにでもなりますが、着物一枚、指輪一個…。
私は割りと、そういう執着はないので、たとえば私が死んだあと、着物になんぞ興味もないヒトたちが、
なんだこんな着物ばっかり・・・捨てちゃおう、となったとしても、それはそれで仕方ないと思っています。
でも、私の気持ちは(どうせそのときはあの世だし)いいとしても、着物たちがかわいそうです。
たくさんのお蚕さんや、綿の実から糸をひき、たくさんの人の手を経て形になったものを、
ゴミとして土に還すのは、ちょっとヒキます。だからこそ、自分でちゃんと分けて、
他人様にゆだねるもの、自分でなんとかするもの、いくらなんでもこれはもう土に還そうと思うもの、
そんなことをちゃんと考えておこうと思って、ひたすらカクトウしています。
もちろん、着物やハギレ以外のものも、たくさんやらねばならないのですが、
モノがなくなった部屋を見回して「アタシ、ほんとはシンプルが好きなんだよね」と…。
とりあえず…今日の猛暑のぶり返しには、さすがに参りまして、チマチマと小さく動いておりました。
夏が終わるころには、もう一部屋がすっきりするかな…です。
がんばれるさ、アタシ、と、母の写真に言ってます。
「用事を先送りにする。大事なことがあとまわしになる」
「あれこれ手をつけて、どれも完成しない」・・・
私にはかなり思い当たる節はあるものの
これは今の家に引っ越してきて 暫く立ってから
酷くなった という事は
私は本当のADHDでは無いのか 等と
読みながら 考えました。
母が亡くなり 始末の良い人だったはずなのに
それでも 大量の生活用品が残され
今もまだ その状態に頭を抱えている私なので
始末の悪い私が亡くなったら どうなるのかと思うと
恐ろしくなって 少しずつ片付け出したものの・・・
涼しくなったら と先延ばしにしている始末
自分のだらしなさを再確認
片付ける事に致します
片付けも今年こそと思いつつもう何年になるんだろうと我ながらあきれています。
冬の間は暖かくなったらと言い訳をして、今はもう寒くなってきました!
ああ、ダメダメ今年こそ何とかしなくては。
私は実母と義母を看取り、
後片づけをしながら、
いろいろ考えたものです。
結論から言えば、
<自分で出来るだけする>
と、いうことでした。
友人にはときどき
<貴女は思いっきりよく
ものを処分するけど、私には
できないわ>と言われますが、
後に残った子どもたちの
整理にかかる時間を考えれば
<出来る範囲は自分で>です。
今でさえ抱え込めないほどの
ことが、なんでこれから先に
すっきりと片付けることが
できましょう。
二人の母の後片付けから
学んだことでした。
今は業者を呼んで、
後片付けすべてをまかせてしまう
こともできるようですので、
それも考えておかなくては、です。
<大丈夫よ、まかせなさい!>とも
言われますが、できれば自分の
人生ノートの最後の文字の
余白は出来るだけ自分の手で
きれいにしてみたい!が、
願望ですね。
難しいけど心がけたいと
改めて思っています。
時々は押し入れの中の物を全部出して入れ替えを
するんですが、よく使うものを手前にしていても、普段
使わない奥の物が必要だったりすると、またひっくり
返ります。
人が来られた時にスッキリ綺麗にとは思いますが、
そうすると散らかさないように何もしないでじっとに
なってしまいます。
スッキリと暮らしたいのと片付かないジレンマで時々
イラッとしています。
電話で「片付けるのよ!」と。少しずつ片付けていたのですが、休憩♪
私の場合は多分ケチなんです。捨てられない。
お洋服買ってもらえなかったんですよ。ハギレならOKでした。
かといって、もうこの歳ではいつどうなるやら分からないわけで・・・。思い切って処分!
捨てきれないときはとんぼさんへな~んて(笑)
涼しくなったらお片付けしま~す。頑張ります。