写真は、昔出したもの「七五三用の帯」です。やや色変わりアリのもったいないものです。
少し前から、時々七五三のチラシがはいるようになりました。季節ですね。
貸衣装屋さんが「スタジオ」を兼ねている(どっちを兼ねているのか知りませんが)らしく、
その「かわいいおちびさんたちの写真」を見るたびにため息つく私です。
はい、ヒラヒラの、フリフリの、ド・ピンクの、キンキラの、毛皮もありィの、スワロフスキーもありィの…。
そしてそういう着物のモデルちゃんは、たいがいハーフっぽい子供さん。
最初から、古典的な日本の女の子には、そんなの合わないとわかっているからでしょう。
最近のギンギラ振袖もそうですよね。茶髪金髪、ハデメイクで、日本人離れしたモデルさん…。
着物そのものが、すでにベツモノになってしまっているのかしらと、寂しくなります。
毎年入る七五三チラシの表の面には、そのハーフッぽい子供さんたちの、キラキラ着物で、
裏を見ると、はじっこに小さく、お母さんと一緒の「古典的な」着物の、黒髪の女の子が写っています。
よく「オキャクサマのニーズ」に合わせる…といいますね。
でも、着物って、それを知らない人が着るなら、今のファッション感覚…がニーズになってしまいます。
だから「七五三ファッション」「七五三コスプレ」になってしまう場合も出てくる…。
ニーズに合わせるのは「七五三用の着物」であって、お母さんたちのイマドキの好みではないと思うのですが…。
ともあれ、いつの時代も「親が子供を思う気持ち」は、ちっとも変わらないと思います。
だからこそ七五三の意味をしっかり知ってほしいし、今の時代ではできないことと、できることを、
ちゃんと見極めてほしいと思うのです。それを伝えるのはやはり「母親」のはずなのですが、
それがもう伝わらないんですね。だから時代とともにあっという間に流されてしまう…。
元々七五三は、氏神様にそれまでの成長のお礼と、これからの健康をお願いする儀式です。
それは「昔は子供の死亡率が高かったから」。
7歳まではニンゲンではない(つまり半分神様みたいなもの)と言われたりしたわけです。
特に男の子は女の子より虚弱です。一姫二太郎といわれるのも、最初に女の子を産めば、
初めての育児も比較的楽だし、少し大きくなれば、下の子供が生まれても母の助けになるからです。
ちなみに「太郎」は男の子ではなく「跡継ぎ」、つまり長男のこと。
病気が恐ろしかった時代、とにかく少しでも大人の域まで育ってくれることが、親の望み。
三歳になれば「ありがたやー!」、五歳になれば「バンザーイ!」、七つ越えたら「ヤッタぜいっ!」???
そんな時代からの「親の願い」が、七五三になったわけですね。
なので、本来は氏神様…なんですが、今の時代「自分の氏神様」がどこなのかもわからない人もいます。
人の移動がひんぱんになりましたから。更にはたっぷりな情報から、
どうしても「有名神社」におまいりに行く…なんかやっぱりイベント化していますね。
以前住んでいた千葉は、七五三はまるで結婚式のように、ハデに行う風習がありました。
お祝いするキモチはわかりますが、お色直しだのご祝儀だの…披露宴までするのは…なんて思います。
神参りは、お祝いではありますが「御礼」ですから、あくまで厳粛であるべきもの。
華やかに装うのは、親の祝うキモチと同時に神様に対する礼装の意味もあるわけです。
たまに、子供には晴れ着を着せているのに、自分たちは軽装、しかもジーンズだったりする…なんて、
ちょっと「意味」をわかってないなぁと…。
形骸化という言葉がありますが、今の七五三は、形骸化の匂いがする上に、イベント化しているような…。
日本古来の…とか、古典的な…とか言うと「古い」といわれてしまいそうですが、
元々着物も七五三も古いものです。
かわいく装って記念写真を撮る日、ではなく、あくまで感謝と祈りの日であってほしいものと思います。
先撮りされている所が多いですね。
そうすると、本番の日の感動はどうなのかしらと
ついそちらの方が気になってしまいます。
集中すると大変ですからスタジオの都合が大方
だとは思いますが・・・
何だかなあと思いながら、そうは言っても着物(らしきもの)を着る体験があった方がいいかも…と思ったり。
知恵袋なんか見ていても、お宮参りとか七五三とか、その意味を分かっている方はどれだけおられるのかと思います。
お宮参りも七五三も神様にご挨拶するのですから、それなりの服装で…と思うのですが。
着物でも礼装で半襟は白で、というのが普通の感覚かと思っていたのですが、小紋でも、刺繍襟なんかでもいいという回答があったりして、どうなんだろう?と思ったりします。
何か分からないけど、子供の記念日、ついでに親もおしゃれして家族の記念写真を、というような行事になってしまっているんでしょうか。
綺麗で素敵な帯ですね~。
やっぱり古典はいいな、と思います。
最近の子供の着物の傾向、本当にどうしてこうなっちゃったんでしょう?
私も自分の子供用に浴衣や洗える振袖などを探していたりするのですが(海外なので)、フリフリやピカピカばかりで頭がクラクラしてきます。
呉服屋さんは「それでも着ないよりはマシ」と思うのでしょうか。。。
我が家の子供たちは文字通りハーフですが、去年写真館の貸衣装の着物(松田聖子ブランドの青白ストライプにいちご柄、フリフリ付き等)を見て「ママ、何あれ!?」とかなり衝撃を受けていました。(笑)
時代劇のテレビシリーズも減ってしまって、親も子供も「着物姿」を見る機会がさらに減ってしまっている気がします。きちんとした着物が「一部の人の贅沢」のイメージ先行に拍車をかけないように祈るばかりです。
写真は確かにいい記念ですけれど、
それが第一目的じゃなぁ…と思っています。
テレビでのスタジオや貸衣装のCMもありますが、
価格が安いとか、先行予約するとナントカサービスとか、
そういうのを見ていると、ため息でます。
おっしゃるとおり「記念日」感覚なんでしょうね。
お参りができた記念ではなく、晴れ着を着た記念…。
「神参り」ということ自体が、形骸化していたり、
観光気分だったりもするわけですし、
それはそれで普段は仕方ないと思いますが、
せめて「節目の日」くらいは、厳粛であってほしいと思います。
はじめまして。コメントありがとうございます。
子供のかわいらしさの表現と言いますか、
そのあたりの感覚もおかしくなっている気がします。
大人モドキの服装など、ただのおませさんとは、
いえない感じがして、かわいいねぇと言い難くて…。
海外にお住まいだと、かえって日本のよさがわかる…
というようなお話をよく耳にしますが、
その日本のよさが「現場」から消えそうで…。
私も、同じように、着物が一部のぜいたく品ではなく、
当たり前に普通のもので、
当たり前に普通の美しさでいてくれることを切望しています。
ブログ拝見いたしました。
あの黒い振袖、美しいですねぇ。この伝承があるのが着物ですね。
京都や金沢の町にいる方のブログのような、そんな錯覚を起しながら拝読いたしました。
最近の記事も拝読させていただきました。ステキにお暮らしですね。
私も少しでも「日本」を大切に、くらしていきたいものと思っています。
ガサツなおばさんなので、江戸の長屋暮らしみたいになりそうですが…。