防虫剤はまだあったかな、防湿材も見とかなきゃ…
なんたって、あっという間に日が過ぎていきますからねぇ…。
このところ、お天気がいいと、昼間の日差しは暑いくらいなんですが、
今日はうす曇り…、ちょっと近くのコンビニに行ったんですが、
ほんとに気持ちのいい日でした。ちょっと曇ってるくらいがベストですねぇ。
で、帰り道、あちこちで写真を写してきました。
トップの写真はたぶん「姫女苑」、電信柱を飾ってました。
雑草で、昔からそのへんにあると思っていたのですが、
明治に観葉植物として入ってきたそうで帰化植物だそうです。
柳葉姫菊とよばれていたんですと、かわいい名前ですね。
たぶんと書いたのは「ハルジオン」と間違えてたらと思って…。
なんか非常に見分けづらいそうです。
あちこちでバラが咲き、公園のつつじは満開でした。
名前のわからないお花がこちら。
聞くと「あぁそうそう」なんですよね。
こちらは我が家の庭に咲いていた「カラスノエンドウ」、
花が終ったら、しっかりおマメさんができました。
朝顔のグリーンカーテン計画、ジサマにポロッとこぼしたら、
さっそく種を買ってきてくれました。やらなくちゃ…。
毎日これといって変わりない暮らしでも、気がつくと花が咲き花が散り、
また次の花が咲き、季節がめぐっていく…。
春休みになると子供たちの登校姿が見られません。
おぉ入学式もおわって新学期だなーとおもっていたら、
今度は連休で、ここ数日ワンちゃんのお散歩も数が少ないです。
みなさんお出かけなんですねぇ。
ここへ引っ越してきてきがついたこと、「生活音」っていいなぁってことです。
結婚して4年すんでいたアパートは、町外れで周りは畑で、
下の階は独身者ばかり、買い物に出ないと話しする相手がいなくて、
私はウールのきものに割烹着で、近くのスーパーに、
たいして用もないのに出かけて行っては、
薬局のおばさんやレジのおねえさんとわずかでも言葉をかわしていました。
その次は公団の5階、そのつぎはマンションの7階、
だんだん高いところにすんで、特に10年暮らしたマンションは、
景色だけはそりゃぁもぉ、いいところでした。
でも、ドァをしめてしまえば何も聞こえない。
マンションの前は駐車場で、昼間はほとんど人が通りません。
あけていても何も聞こえてこない…。
当時は息子が何ヶ月かおきに入退院を繰り返す状況でしたので、
私は毎日疲れていたのだと思います。
窓の外に広がる、高くて青い空にはとても救われましたが、
誰とも話さない昼間は、今にして思えば人間的ではない暮らし…
だったのかもしれません。その時は気がつかなかったのですが…。
なんやかやとドタバタあって、ここへ越してきてきがついたこと、
それが「生活音」でした。
早朝はジョギングの人の足音や、通勤する人のハイヒールの音、
朝の8時を過ぎると幼稚園、小学校中学校に行く子供たちの声、
自転車、幼稚園の送迎車、ちょっとたつと、近くのケアセンターの車、
ゴミの収集車のキンコンカラコンの音楽、ワンちゃんの散歩で出会う人の話し声…
「ああ人の暮らしがあるのだなぁ、私も暮らしているのだなぁ」と思います。
あのマンションの暮らしは、
ポツンと一人で取り残されたような暮らしだったのだと、今になって思います。
そういえば、トモダチとのんびりしたりなんて時間はありませんでした。
あのとき、もし平屋とか、一階とかに住んでいて、
いつも誰かの足音や話し声が聞こえていたら、
もう少し心にヨユウをもてていたかもしれません。
マンションに暮らすのがダメだといっているんじゃないんです。
どこに住んでいても、誰かの声を聞いたり、誰かが通ったり、誰かがきたり、
そういうことが必要だと思うのです。
今、一人暮らしのお年寄りが多いです。
外に出られる人はいいけれど、出ることもできない人は、
たとえ音が聞こえていても、きっと寂しいと思います。
昔は家に年寄りがいたり、兄弟がいたり、それがアタリマエで、
近所とのお付き合いも学校でのつきあいも、
いまよりもっとむきだしだった気がします。
めんどうな部分もあったけど、そこでくらすことで、いつかは外にでていって、
ひとりで暮らすようになっても、帰るところもあり待ってる人もいた…。
扉を閉めれば誰とも関わらなくていい、個室を持てば親と話さなくてもいい、
それはそれでその時は心地よいかもしれませんが、
人は一人じゃ生きていけないし、年をとったら寂しいですよね。
マンションで暮らしていたとき、洗濯を干していると、
いつもベランダごしに話しかけてきた隣のおばあさん、一人暮らしでした。
家に呼んでお茶するヨユウもなく、毎日息子の病院とリハビリの連続でしたが、
それでも何かと声をかけたりしていました。
今その人は、たった一人で老人ホームに入っています。
毎年年賀状を出すと、電話をくれます。
楽しくやっているといいんですが…。
人は人と暮らしていくのですよね。
連休で、ちょっと静かなここ数日、ふとそんなことを考えました。
なんたって、あっという間に日が過ぎていきますからねぇ…。
このところ、お天気がいいと、昼間の日差しは暑いくらいなんですが、
今日はうす曇り…、ちょっと近くのコンビニに行ったんですが、
ほんとに気持ちのいい日でした。ちょっと曇ってるくらいがベストですねぇ。
で、帰り道、あちこちで写真を写してきました。
トップの写真はたぶん「姫女苑」、電信柱を飾ってました。
雑草で、昔からそのへんにあると思っていたのですが、
明治に観葉植物として入ってきたそうで帰化植物だそうです。
柳葉姫菊とよばれていたんですと、かわいい名前ですね。
たぶんと書いたのは「ハルジオン」と間違えてたらと思って…。
なんか非常に見分けづらいそうです。
あちこちでバラが咲き、公園のつつじは満開でした。
名前のわからないお花がこちら。
聞くと「あぁそうそう」なんですよね。
こちらは我が家の庭に咲いていた「カラスノエンドウ」、
花が終ったら、しっかりおマメさんができました。
朝顔のグリーンカーテン計画、ジサマにポロッとこぼしたら、
さっそく種を買ってきてくれました。やらなくちゃ…。
毎日これといって変わりない暮らしでも、気がつくと花が咲き花が散り、
また次の花が咲き、季節がめぐっていく…。
春休みになると子供たちの登校姿が見られません。
おぉ入学式もおわって新学期だなーとおもっていたら、
今度は連休で、ここ数日ワンちゃんのお散歩も数が少ないです。
みなさんお出かけなんですねぇ。
ここへ引っ越してきてきがついたこと、「生活音」っていいなぁってことです。
結婚して4年すんでいたアパートは、町外れで周りは畑で、
下の階は独身者ばかり、買い物に出ないと話しする相手がいなくて、
私はウールのきものに割烹着で、近くのスーパーに、
たいして用もないのに出かけて行っては、
薬局のおばさんやレジのおねえさんとわずかでも言葉をかわしていました。
その次は公団の5階、そのつぎはマンションの7階、
だんだん高いところにすんで、特に10年暮らしたマンションは、
景色だけはそりゃぁもぉ、いいところでした。
でも、ドァをしめてしまえば何も聞こえない。
マンションの前は駐車場で、昼間はほとんど人が通りません。
あけていても何も聞こえてこない…。
当時は息子が何ヶ月かおきに入退院を繰り返す状況でしたので、
私は毎日疲れていたのだと思います。
窓の外に広がる、高くて青い空にはとても救われましたが、
誰とも話さない昼間は、今にして思えば人間的ではない暮らし…
だったのかもしれません。その時は気がつかなかったのですが…。
なんやかやとドタバタあって、ここへ越してきてきがついたこと、
それが「生活音」でした。
早朝はジョギングの人の足音や、通勤する人のハイヒールの音、
朝の8時を過ぎると幼稚園、小学校中学校に行く子供たちの声、
自転車、幼稚園の送迎車、ちょっとたつと、近くのケアセンターの車、
ゴミの収集車のキンコンカラコンの音楽、ワンちゃんの散歩で出会う人の話し声…
「ああ人の暮らしがあるのだなぁ、私も暮らしているのだなぁ」と思います。
あのマンションの暮らしは、
ポツンと一人で取り残されたような暮らしだったのだと、今になって思います。
そういえば、トモダチとのんびりしたりなんて時間はありませんでした。
あのとき、もし平屋とか、一階とかに住んでいて、
いつも誰かの足音や話し声が聞こえていたら、
もう少し心にヨユウをもてていたかもしれません。
マンションに暮らすのがダメだといっているんじゃないんです。
どこに住んでいても、誰かの声を聞いたり、誰かが通ったり、誰かがきたり、
そういうことが必要だと思うのです。
今、一人暮らしのお年寄りが多いです。
外に出られる人はいいけれど、出ることもできない人は、
たとえ音が聞こえていても、きっと寂しいと思います。
昔は家に年寄りがいたり、兄弟がいたり、それがアタリマエで、
近所とのお付き合いも学校でのつきあいも、
いまよりもっとむきだしだった気がします。
めんどうな部分もあったけど、そこでくらすことで、いつかは外にでていって、
ひとりで暮らすようになっても、帰るところもあり待ってる人もいた…。
扉を閉めれば誰とも関わらなくていい、個室を持てば親と話さなくてもいい、
それはそれでその時は心地よいかもしれませんが、
人は一人じゃ生きていけないし、年をとったら寂しいですよね。
マンションで暮らしていたとき、洗濯を干していると、
いつもベランダごしに話しかけてきた隣のおばあさん、一人暮らしでした。
家に呼んでお茶するヨユウもなく、毎日息子の病院とリハビリの連続でしたが、
それでも何かと声をかけたりしていました。
今その人は、たった一人で老人ホームに入っています。
毎年年賀状を出すと、電話をくれます。
楽しくやっているといいんですが…。
人は人と暮らしていくのですよね。
連休で、ちょっと静かなここ数日、ふとそんなことを考えました。
なります。孫と一緒だと鳴らしますけどね。
マンション暮らしはしたことがないのですが、
わずらわしさが無いとはいえどうも馴染めない
気がします。家の中にいて外の音が聞こえる
のが当たり前になっていますから音の無い
生活はさみしいですよね。
今思い出しても寂しかったです。
私は今のマンションで20年経ちましたから、いいお友達も沢山出来て、まんざらでもない良い環境で暮らせています。
ペット禁止のマンションでしたが、条件付で飼育できるように運動したことや、三年前から「花の会」を作って皆で花を育てていることもマンション暮らしを円滑に出来た原因かと思います。
ところで、きれいな紫の花は「斑入りツルニチニチソウ」ですね。
気持ちの良い季節になりました。
「生活音」の聞こえる暮らし。すごくよくわかります。
結婚当初は平屋の賃貸でした。次に3階、1年ほど1階に住み、今は7階に住んでいます。
やはり地面に近い方が周りの様子も感じ取れ、街の人々と生活している感じがしますね。
今は家族だけで生活しているって感じです。
ヨソの声や様子がわかる暮らしっていいものですね。
ご近所さんとは(プライバシーが無くなる気がして)あまりに近すぎるお付き合いをしたくないな~ってのが本音でして・・・(あっ、もちろんご挨拶はしますよ!)
でも、地面に近くて、お日様に当たれて、風が通るところじゃないと落ち着きません。なので高層マンションには絶対住めませんね~
因みに、ヒメジオンとハルジオンの見分け方。
つぼみが垂れてるのがハルジオンで、立っているのがヒメジオンです。
声が聞こえないのも、本来不自然なこと
なのでしょうね。
それと、七階でしたが地震が怖かったです。
逃げようがありませんしね。
何度か走ってドアだけはあけに行ったことが
ありましたけれど、ほんとにドアが歪んだら
出るところないんですよ。怖いですね。
地震のたびに、ドアを開けると、
さすがにそういうときだけは、みんな顔出して
「揺れましたねぇ」とか「まだですね」とか
言い合ってました。不安なんですよね。
やっぱり。
ほんとに、お付き合いの仕方ひとつですよね。
私もその前の公団では、お友達もいたし、
いろいろお付き合いもあったんです。
人はやっぱり人と交わらなきゃいけませんね。
そう!ニチニチソウでした。
「斑入り入りツルニチニチソウ」ですね。
ひとつ覚えました、ありがとうございます。
「音」って大事なんだなーって思います。
子供のころ、隣の夫婦喧嘩の声まで
筒抜けのところで育ちましたから、
人の声がしないと寂しいです。
会話がなくても、誰かがそこにいるだけで、
なんか自分の居場所もはっきりする感じですね。
そうですね、本当は緑もいっぱいが夢ですが
今の都会ではねぇ…。
高層の窓からの眺めもすてがたいものが
ありますが、人間って、やっぱり地面が
安心なんでしょうね。
つぼみの上下、ですね、今度みてみます!
ありがとうございました。
会話は勿論、歩く音も聞こえる。
近所の食事の香りはまだしもタバコ・自動車の排気ガスボイラー等々
>因みに、ヒメジオンとハルジオンの見分け方。
もう一つあります。
茎を切ってみて中空ならハルジオンです。
昔そうでした。懐かしいです。
最近は音だけじゃなくて「排気ガス」とか
犬の○ンとか、クーラーの音や熱とか…
昔はなかった迷惑もあって、
なかなか難しいことですね。
茎の中、なるほどそういう違いもあるんですね。
ありがとうございました。(めもめも!)