毎晩、寝る前に必ず玄関を開けて外を見ます。
別にこれと言った決まりごとでもないのですが、習慣ですね。
少し前、いつものように戸をあけてそとを見ると、なんとなーく「明るい」。
あれっ満月だっけ…と思いながら道路を見ますと、なんかいつもと違う感じがします。
あぁ街灯を替えたんだわ…と気がつきました。それがトップの写真です。
街灯なんて、毎晩お世話になってるくせに、しげしげ見上げたことがない…。
以前のものは、確か昔ながらの普通の細長いヤツ…だったと思うのですが、記憶も定かではありません。
新しい街灯は、なんだか本でも広げたようなカッコで、たぶんあのLED、です。
お仕事中はこんな感じ。実際には電球がもう少しちゃんと見えます。
住宅地というのは、明るいうちはすぐそこに人がいる…という感覚ですから、安心といいますか、
あまり危機感みたいなものは感じません。それでも空き巣や車上狙いはあるんですけどね。
日が落ちたとたんに、暗い道路のところどころのポツンポツンと立つ街灯が頼り?
でも、街灯から次の街灯までは、道沿いの家の門灯や玄関灯がついてないと、まーっくらです。
引っ越してきたとき「防犯のために、道路に面した家では、できるだけ一晩中街灯をつけるよう
ご協力お願いします」と言うようなことを聞きまして、なるほどな、と思い、
我が家では毎晩、玄関脇の明かりをつけっぱなしておきます。
ちょうど反対側の道路の街灯と街灯の間になるので、少しは道行く人も安心かと…。
あの震災で、節電や計画停電がいわれ、長年つけてきた灯りも、しばらくは全くつけませんでした。
あのころはほんとに、毎晩周囲もまっくらでした。明かりというものがまるでなくなり、
昔はみんなこんなだったんだろうなぁと、京の都の百鬼夜行を思いました。
さすがに深夜帰宅する人の数も減り、妙に不安になったものです。
新しい街灯は、広範囲を照らすようで、今まで街灯から街灯の間は暗かったのに、
暗いところがなくなりました。それでも、深夜に歩きながらケータイをピコピコやってる女性が通ると、
危機感のなさに、ちと腹が立ちます。
今年は春が遅いですが、やがてはまた夏がきます。この夏の停電はあるのでしょうか。
原発問題はいっこうに進展せず、電気料金は上がる気配…。
元々、あまりにも電気に頼る暮らしをしていたのだと、去年しみじみ思ったのですから、
気を緩めないで、節電していきたいものだと思っています。
ちなみに、我が家のウォシュレット、去年の震災直後から不調になりまして、
この冬とうとう「切れてて普通」…になっちゃいました。このままいこうと思います。
ところで…スマホとやらで「話しかけると答える」というサービスが始まるとか。
CMでは「お天気」を聞くと「今日の天気は…」と天気予報画面が出て説明し、
「広尾に行きたい」と言うと「○○線の…」と道案内が始まる…。
これは目の不自由なかたとか、話すのが不自由な方には朗報だと思いますが…。
こういうものは「福祉機器」としては、売り出さないんですよね。
そのうち、町の中ではあちこちで「ラーメンの○○ってどこ」とか「二時間後の天気は?」とか…
ケータイに話しかける姿があふれるのでしょうか。
キモチわるいですねぇ。みんなあちこち向いてケータイに話しかけては「あっそーか」なんて独り言を言う…。
天気は朝テレビで見てくりゃいいでしょう。道くらい人に聞きなさい。
先日「便利は怠惰につながる」と書きましたが、今度は「便利は孤独につながる」ですかね。
あの震災の時、みんな外に出てきましたが、
お互いに「大きかったですねぇ」だけでした。
唯一、仕事で家にいなかった友人が、
しばらく経ってから「ダイジョブだったー?」と
たずねてきてくれました。
希薄ですよね、いろいろと。
便利道具がでるたびに、こりゃ福祉機器にしてよ、とおもうことが多々あります。
健康で五体満足なら、こんなもんいらんだろ、なんて、
一人毒づいたりしています。
なんというのか、複雑です。
以前大学生が、サークルでおせわになった先輩へのお礼を、
直接電話するかメールにするかなやんで、
結局メールにしました。
理由は、相手が忙しいといけないから、と、メールだと読み直して
間違いないか確認できるから…。
忙しいかどうかは、よく考えて時間を選ぶとか、
まず「今ちょっとお話してもいいですか」とたずねる、こういうことの訓練ですよ。
言葉に出して言うと確認も書き換えもできないから、
ちゃんと敬語を使うことや内容を考えて話すことなどを自然と学びます。
ラクをすることは、実践に向かなくなるんですよね。
便利はヒトを馬鹿にする…私もそうですー…。
機械は苦手だし、電話はハナシができればいーじゃないかのヒトなので、
たぶんずっと使わないままでしょうねぇ。
震災直後は街灯もしばらくつきませんでした。まっくらって、ほんとに不安になりますよね。
今度の街灯はたぶん省エネなので、真夏の電力需要多い時期も、
消えることはないと思います。
多いせいか、マナーがいまひとつ。
先日、外から、ものすごい悲鳴がきこえて
通りまでダッシュ…だれも出てこない。
ふつうにみなさん歩いていました。
震災の時も同じでした。いざというときの
危機反応に敏感なのか、鈍感なのかよくわからない世の中です。
スマホのSiri(音声機能)は期待しています。
だんだん、指先の打鍵がつらくなってきている身としては、アクセシビリティは、もっと広く共有されるべきだと思いますから。
バイブだけのアラームは聴覚障害者のみとして
ものすごい高価格です。保険適用されるから
とは思うものの、たったこれだけの機能のアラームさえ普及していないのも不思議です。
Siri機能を開発普及された方は、去年亡くなられまで
便利さとは広く共有されるものと定義づけて
後進にたくされました。その気持ちは忘れたくないと思います。
私にとっては、便利はひとを馬鹿にする、です。
あまりそれに頼りきりにならない方が良いなと痛感しています。
20代の頃、勤め帰りの真っ暗な夜道で門灯や玄関灯をつけて下さっているお家があると心強かったです。
何かあったら助けを求めようと思ったりで。
久しぶりに近くの街灯を注目して見てみようと思います。