今日は頭痛が治まらない一日だった。
昨夜から頭痛が始まりそのまま治らず今に至ってしまった。
まあ、良くあることなんだけれど。
一昨日夜から九州で大雨で甚大な被害が出ているような報道・情報が耳に入ってきた。とても気がかりな方が住まわれているところなので、「何か出来ることはないだろうか?」そればかり考えていた。
熊本地震の時のように被災地の方の目に止まれば役に立ちそうな情報を探してSNSで流そうと考えた。同時に募金の申し込みもした。
今まで違うところでブログを長くやっていたのだけれど、そちらの過去の記事はほとんど消してしまった。東日本大震災の時のことが事細かに書いてあり、それは自分の歩いて来た奇跡なんだと思っていたんだけれど、それは勘違いかもしれないなどと思ってしまったから。
そして、ここに新しいブログを開設した。ユーチューブにも動画投稿を始めた。動画投稿は以前に少しだけやってチャンネルはそのまま放置状態だったので、それを復活させた。しかし、先日仕事関係の人から「あなたユーチューブに動画投稿してるでしょう。」そう言われた。
「こりゃ仕事関係者全員に伝わるなぁ」「せっかく最近楽しみになってきていたのになぁ」
とか考えてしまった。
仕事で関わる人は全員私に善意を持っているわけじゃないことは自覚している。それどころか、気づかないうちに というか、人の心の内を想像出来ない性質なので、自分に対して悪意を持っている人がいることにも気づいてしまった。
ユーチューブへの投稿を続けるか否かとても悩んでいる。
話は戻って昨日の話。
恐らく一生お会いすることは無いだろうけど、幸せになって欲しいかたが熊本県に住んでいて安否がとても心配だった。
それで、上に書いたような社会正義面をしてその人のためにたくさんの情報を流そうと考えた。もちろんその人のところまでそれが届くかどうかはわからない。
しかしじっとしていられなかったんだよ。
もし避難が必要になったらどう判断するだろう? とか、
避難所へ行くのに新型コロナ感染リスクがあるから判断に迷うだろう とか、
介助が無ければ避難できないから、必要だったら家族のかたの判断は難しいだろう とか、
その他たくさんのことを考えて同じ事を繰り返し繰り返し、「ひょっとしたらスパムだとサイト運営者から判断されてアカウントを凍結されてしまうかもしれない」と考えて短時間にネットのあちこちのサイトの防災情報をコピーペーストしてSNSに乗せた。果たして届いたか否かはわからない。
東日本大震災のときに左目の網膜が破れて眼底出血し、手術は成功したのだけれど左目の視力がとても弱くなってしまった。そのせいか疲れると頭痛がして頭痛薬も効かないほど痛くなり長時間続く。
まあ、この歳になればみんな悪いところの一つや二つは持ってるからたいした話じゃあないんだけれど。
今日もこれからまだ線上降水帯が九州北部から南下するようなので心配だよな。
このブログは知ってる人居ないよな。
地震と停電、水害はトラウマになってしまったようだ。
昨年10月12日の台風19号による水害に自分の地域は襲われた。
ものすごい雨で夕方には我が町の中心を流れる川の上流のダムが毎分4トンの放水を始めたと防災メールが来た。登録しておけば市役所から防災メールが来るんだ。19時すぎに「3時間後にダムの放水量を毎分8トンに増やします」というメールと共に「避難勧告」のメールがきた。
川が決壊したら家まで水はくるだろうか?避難した方がいいだろうか?
迷っていたらスマホに電話が入った。
それは町の防災本部からだった。
そこの建物の電気室が水を被ってしまいどうしたらいいか?
という内容だった。
そしてこちらへ来て処置をして下さいというお願いだった。
一瞬悩んだがすぐに出動の準備をした。
家族には、「危険を感じたら逃げなさい」と言って家を出た。
家から出て路地を曲がるとクルマが水に飲まれて放置されていた。
なんとか通ることが出来たが、家に電話して外にはもう出ないように話した。
道路冠水と、すでに中小の河川が氾濫していたのでそこへ行ける道を電話で指示してもらった。
一番危険な大きな川も渡れる橋は一本しかなかった。
この町は市の真ん中を大きな河川が町を分断する形に流れている。
一番決壊する危険のある場所は、たくさんの建設会社の人が土嚢を積んで見守っていた。
橋の手前で、橋の橋脚を超えてもう橋のすぐ下まで水は来ていた。
恐怖に襲われた。「これは、ダムの放水が今の二倍になったらもうダメだ」
そう思った。「俺、ここでもう人生終わるかもしれない」
そう思った。引き返そうかとも思った。橋を渡るのが怖かった。
でも、ここで引き返したらもう10万人以上の市民のみんなに「避難指示」や災害情報全ては発信出来なくなる そう思い直しそこへ向かった。
もう、いつブラックアウトしても不思議ではない状況だった。サーバーがダウンしたら全ての機能は停止してしまう。ちょっと考えて結論を話した。
そして高圧の引込を切断して、非常用発電機で建物に電気供給することにしてその操作はうまくいった。燃料が切れるまでは大丈夫だ。
作業を終えて上階に行くと「ダムの放水増量は中止になったそうです」とうれしそうな声が聞こえた。
しかし、その行動は所属する団体の人になぜか伝わってしまった。役員の人からは批判の言葉が出た。自分の契約先では無いところへの緊急出動はまずいのではないかと。
みんなに白い目で見られた。
そしてそれはトラウマとなってしまった。
堤防の決壊による氾濫の被害を受けたお客さんもあった。
翌日は道路が河川氾濫で通行止めになっている箇所がほとんどで、土砂が積もった山間部の道を通って2時間かけて隣町の被災した事業所へ行った。
さらに、山間部を通り土砂でスリップしながらさらに離れた町の事業所へ行った。
すごい光景だった。山沿いで横を川が流れる道は、土砂崩れと川が道路を削り、電柱が倒れており、迂回を繰り返しながら移動した。
テレビなどが入らなかった地区はボランティアの人も集まらず自衛隊も来ていなくて、各家で家族総出で片付けと掃除をしていた。
大変神経と体力を消耗した時期だった。
間髪入れずに新型コロナが蔓延しさらに大変なこととなった。
ずっと仕事を減らしたいと思ってきた。
精神的にも体力的にもきついので。持病もあるのできつい。
そう何度も女房に頼んだのだけれど、どうしても家に入れる給料(自分で自分に払う給料)を減らすことに首を縦に振ってくれない。
だから20年前より忙しくなってしまった。本当は減らさないといけないのだけれど。
みんな働いているのだから、分担すればいいじゃないかと何度も頼んだけれどもダメなんだ。
息子の問題はあるのだけれど、一年ちかく仕事に同伴させて社会と接触させて今はまだ1人で暮らしていける収入は無いけれど(あと2倍は必要だ)、離して行けば自立できるんじゃないかと思っている。
「自閉症」なんだよ。大人になってからわかった。勤労意欲は無い。
しかし、医師に聞くと自閉症でも頑張って普通の社会人としてやって居る人はたくさんいるし、話が出来ない訳じゃないからなんとかなると思いますよ という。
子供の時に気づいてやれなかったことをとても悔やんで来たのだけれど、「お宅のお子さんの障害は気づかないことが多い。気づかず普通に会社に勤めて暮らして居る人もいます」 そう慰められた。
我が家はもうそんなにガムシャラに働いて家計に入れなくても経済的には大丈夫だと思うんだよな。
自分は家族の為に働くだけの存在になってしまったんじゃないかと思うんだよ。
みんなは自分の趣味や、どこかに出かけたり、やりたいことをやっているんだけど、自分はいまだに仕事100%なんだよ。
女房にそう話したら「どうしたらいいかわからない。少し楽にさせてあげたいけど、どうしたらいいかわからない。」
そう返答されてしまった。
結局、本当に生涯このままたくさん仕事を抱えて行かなくてはらないんだろうか?
自分の人生っていうものはなかったなぁ と思ってしまった。
時々何もかもから解放されてどこかへ行きたいと思うことがある。
まあ、愚痴は読んで楽しいものじゃないよな。
ごめんなさい。
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