日々の雑感をお話しする(時々動画)ブログです。

仕事漬けの毎日なので、仕事の話は多いですが、色々話します。

神経衰弱

2023-11-12 23:25:44 | 日記
今日も早出だった。もう年次点検、(停電させて精密点検をする)の季節がやって来た。早出は週に3回か4回になる。4時とか5時に出発して、1時間くらい運転して現場に行く。自分の持病は朝が1番調子悪い。自◯が多いのは朝だ。電車が人身事故で不通になっているというニュースは、皆飛び込みだ。俺、秋葉原駅でその瞬間に居合わせたことがある。運転席のガラスはヒビが入り、若い運転士は先輩に支えられてふらふらで降りて来た。駅員は数人でブルーシートを持って駆けてきた。俺は飛び込んだ人も見てしまった。が、怖いとか、大変だ、とは思わなかった。「この人は、これで全ての苦しみから、解放された。どうか成仏して下さい」と思った。家族がいたら家族はこれから苦しみを抱えて生きていかなくてはならない。絶対に自◯はしないように頑張らないといけないと思った。しかし、病気は強烈を極め、想像を絶する闘いとなった。夢も希望も目標も持てない。誰も助けてくれない。連れ合いからも見放され、友達も亡くなり、先輩も師匠も亡くなり、文字通り孤独となり、しかし休息の時はない。いつ呼び出され緊急出動になるかわからない。コンビニのオーナーと同じだ。コンビニのオーナーも常識外れの自◯率だ。
儚い希望は、俺を大事にしてくれる人を欲した事だった。何もしてくれなくていいから、手を握っていっしょに居てくれる人が欲しかった。女房にはそれを求めても無理なことはわかった。主治医にも言われた。家族には、病気で辛くなった時も絶対言わないと宣言した。
メンタルを病んだ家族の苦しみも良く知っていた。親友が俺と同じ病気で自◯したのを目の当たりにしたから。発病から終わりまで全て見ていたから。
どうすれば、俺は頑張れるか悩み、考えた。
短いスパンでの希望を実現させること。
大きな希望でなくていい。
月に1日、半日でもいいから、何にも優先して自分を大事にしてくれる人に巡り会いたい と。
だって、いつも後回しの扱いしかされて来なかったから。
でも、そんな事無理なんだよ。自分が愛した人にしか、自分の時間を犠牲には出来ない。
全て、遅きに失したようだ。
儚い希望は持たない方がいい。
どうやって生きていこう?

自損事故

2023-11-05 18:59:41 | 日記
自損事故を起こした話は先日ちょっと書いたが、一週間ぶりにワゴンRの修理を終えて帰ってきた。タイヤのホイールが婉曲し、その内側のホイール自身を支える部品とベアリングを交換したそうだ。それでハンドルの振動は止まった。
スズキのサービスの人の話では、クルマをリフトしてタイヤを回転させたら波打って回っていたので、まずそこを交換したとのこと。
まだ、後ろからはタイヤのうなり音がするのだけれど、様子を見て下さいとのこと。「相当激しくぶつかったようですね。」とのこと。
そう、居眠り運転だからノーブレーキだ。真っ暗な場所だから、場所さえ覚えていない。幸いだったのは人身事故を起こさなかったことだ。あと対向車線に出なかったのは幸運だった。トラック街道だから、どうなっていたかわからない。
早朝だからみんな高速道路じゃなかと思うほどスピードが出ている。
このことは、全て「自分の中で処理」した。他に被害がなかったから。修理代がかかっただけだから。「ちょっとぶつけた。」で済ませた。
本当は精神的に結構まいってしまい、誰かに泣きを入れたかったが我慢した。
そう、居眠りの原因はクスリだから。それは主治医も認めた。早朝出発の時は夜のクスリを時間を前倒しして飲むようにと言われた。
そう。もう病気のことは誰にも言わないと決めたから。先生だけに。
あまり人に病気のことを言おうとすると、その人の気分を害するようなことを言ってしまう。してしまう。自業自得なんだろうけど、好意的になんて聞いてくれるはずはない。絶対に。まして同情してもらおうなんて思ってもその逆、嫌われてしまう。メンタルを病んでいる人はみんな辛い気持ちを誰かがわかってくれるんじゃないかと思い、病気のことをちょっと知り合った人に言ってしまう。すると、相手は嫌な気分になりその人に近づかなくなる。
そういうことは、第三者としてずっと見てきたが、1人や2人、3人どころじゃなくたくさんの人を。
「自分はそうじゃない」と思っても、感じるのは相手だ。

もう、年齢的に「夢」というものが持てなくなった。というか、若いころから夢は成就せずに、とにかく稼ぐことが全てだったから。
趣味にガス銃の射撃大会(きちんとした競技です。外国では盛ん。銃が持てる国では、実銃での競技もガス銃での競技もある)に出ているが、何かやらないと脳がだんだん活性が悪くなるからと、運動になるからやっている。大好きだからやっている訳じゃない。インストラクターの人も親身に教えてくれるし。
だが、若い人とは同じには出来ないから、彼らの射撃を眺めていたりする時間が多いし、練習に行ける日も少ない。

これからの若い人に、何かを成就するためのお手伝い、経済的なお手伝いしか出来ないがそういうことをしていこうと、東日本大震災の後そう思いいろいろなところへ、または個人へ援助をしてきたが、本当はそういう大義の下、人とのふれあいを求めていたのかも知れない。

でも、なかなか上手くいかないな。ちょっと気を緩めると病気が出てくる。すると、人は去っていく。

今度は感電事故を起こさないように細心の注意を払っている。悲しい部分に心を奪われ、注意力不足になったら大変だ。
本当に、一撃必殺だから。それがむき出しで目の前にあるのだから。それが毎日続くのだから。
1人で病気とは戦いながら、神経衰弱のような仕事を毎日続ける

家族にもいうことは出来なくなった体調不良。一人で片づける。いつまでもつんだろうか?