
こちら神戸では、阪神淡路大震災 1.17 メモリアルのイベントが、
各地で執り行われました。
娘たちの小学校も、休日を返上しての参観日。
防災訓練や炊き出しが実施されました。
寒空の下、校庭で、湯気立つすいとんをすすった途端、
15年来の被災者の叫びが聞こえるとともに、
今日の震災ハイチの、悲嘆と混乱に染まる人々の姿が思い浮かび
胸が締め付けられました。
人は、まさに死ぬその瞬間まで、生きています。
死は、人生の最後の、ほんの一瞬の出来事にすぎません。
心身が凍りつくほどの苦境に遭遇してもなお、
死ぬまで生きなければならない厳しさ。
その厳しさをかみしめ耐え忍んでいる人たちへ、
このあったかいすいとんを届けられたなら...と、
つい涙してしまい、食べあげるのに随分時間がかかってしまいました。
どうか、その魂までもが、苦難にのみこまれてしまいませんように。
たとえ ”暮らす” 場を失っても、
”生きる” 場は、失くしてはいないということを
どうか、忘れてしまうことがありませんように。

2010年1月16日の須磨浜
人は死ぬとき、何もかもを捨てていくわけではありません。
たとえば肉体やお金、家という空間や誰かとの絆、
大切な人たちとの思い出、その他すべてを、
後に遺していく人たちへ託して逝きます。
わたし達は、誰かが捨てていったもののなかで生きているのではありません。
先人達が託してくれたもののなかで、生きているということ。
だからわたしも、自分が死ぬその時まで、
自分に授けられたものを、大切に大切に、扱って生きていこう、
と、すいとんを食べる間に心しました。
今授かっているものが、この世界限りのものだとしても、
どうせ死ぬときには持っていけないのだからといって、
投げやりに扱っていいようなものは何一つありません。
この世界でのみ授かれるものなのなら、
せめてこの世界に存在している間は大切にさせていただきましょう。
やがて死ぬときが来た時、堂々と誰かに託していけるように。