風天道人の詩歌、歴史を酒の肴に

短歌や俳句の鑑賞を楽しみ、歴史上のエピソード等を楽しみます。
比べて面白い 比べて響き合う 比べて新しい発見がある

のろひ歌 与謝野晶子(比歌句 38 五)

2018年05月26日 | 和歌

のろひ歌かきかさねたる反古(ほご)とりて黒き胡蝶をおさへぬるかな 与謝野晶子(よさのあきこ)

この歌は、人を呪ったことの告白である。そして、呪いは歌の中に閉じ込め、相手に呪いを発することを抑えたことを語っている。

「(唾棄すべき人を)のろった歌を数多き書きましたが、それは(心の慰めであって、人に聞かせるような歌ではありませんので)反古としていました(が、捨てることは出来ませんでした。)。その反古を取って、(そこから湧き出て来る式神のような)黒い蝶を押さえて、その人に向わないようにしました。(のろいは歌の上に留めました。)」


その友の 与謝野晶子(比歌句 38 四)

2018年05月25日 | 和歌

その友のもだえのはてに歌を見ぬわれを召す神きぬ薄黒き 与謝野晶子(よさのあきこ)

「その友は身もだえながら歌を詠むという。(私は、神様の告らす言葉を歌にしています。)私をお招きになる神様は、薄黒い着物を召されています。」

 

晶子にとって「歌」とは、考えるものではなく、浮かび出て来るものだったのだろう。

しかも、その言葉は神様がおっしゃたこと。つまり、晶子は巫女(或いは、イタコ)の立場であると言っているのだ。

だから、大胆な歌を堂々と発表できたのだと思う。


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 探します。時間は掛かると思いますが、よろしくお願い致します。


のらす神 与謝野晶子(比歌句 38 三)

2018年05月24日 | 和歌

のらす神あふぎ見するに瞼(まぶた)おもきわが世の闇の夢の小夜中(さよなか) 与謝野晶子(よさのあきこ)

 

「名乗りを上げてお出ましになった神様を私は仰ぎ見上げたが、眠たくて瞼がとても重たい。私一人の世界の闇の中の夢みるような真夜中の出来事。」

与謝野晶子は、神様とお付き合いがあったようだ。こういう神様に見守られていたので、怪異と出会っても驚かなかったのではないかと思う。

 

小夜中にあふぎ見給ふ神のらす言葉を継ぎて歌となす君 風天


ぬしや誰れ 与謝野晶子(比歌句 38 二)

2018年05月23日 | 和歌

ぬしや誰れねぶの木かげの釣床(つりどこ)の網のめもるる水色のきぬ 与謝野晶子(よさのあきこ)

 

「あなたは誰なの?ねむの木陰に吊り下げられたハンモックの網目から水色の着物を覗かせているあなた。」

 

水色の着物召されし人ぞ誰れこの集まりにその色のなき 風天

 

この歌は確か歌会か何かの席で詠んだ歌ではなかったか。

その場にいた人々は、怪訝な思いをされたのではないかと私は思っている。


みなぞこに 与謝野晶子(比歌句 38 一)

2018年05月22日 | 和歌

みなぞこにけぶる黒髪ぬしや誰れ緋鯉のせなに梅の花ちる 与謝野晶子(よさのあきこ)

 

「水底に漂う黒髪 あなたは誰なんですか(ふっと現実に戻ると)緋鯉の背中に梅の花が散っていた (あなたは誰なの)」

 

この歌は帰宅時の電車の中で読んだのだが、電車を降りてから夜道を歩いている時に背筋が寒くなった。物の怪に憑りつかれるような恐怖を感じたからだ。

これほど恐ろしい歌を読んだことはない。晶子は見たものそのまま歌にしているが、晶子は、物の怪に対する恐怖心はなかったのだろうか?

 

我が恋の遂げざらましを水底に身悶へながら幾代経にける 風天