風天道人の詩歌、歴史を酒の肴に

短歌や俳句の鑑賞を楽しみ、歴史上のエピソード等を楽しみます。
比べて面白い 比べて響き合う 比べて新しい発見がある

従軍慰安婦考

2013年07月24日 | 日記

私が、従軍慰安婦の存在を知ったのは、若い頃にヘミングウェイの『日はまた昇る』を詠んだ時でした。ヘミングウェイは、古株の従軍慰安婦のことを『戦友』とまで言っていました。仲間としての最高の褒め言葉じゃあないか。

韓国の元従軍慰安婦の女性たちは、怨嗟の声を発し、いまだに謝罪と賠償を求めています。

そして、性奴隷だったとも。これは真実なのでしょうか。

 

ネットで従軍慰安婦に関するテキサス親父の発言を知りました。

テキサス親父の調査結果の発言のコピペは以下の通り。

 

・慰安婦達の証言では、志願して雇用され高額の給料を貰っていた。

・街へ出かけて化粧品や洋服など好きな物を買っていた。

・時間の関係で全てのお客(兵士)にサービスができない事を悔やんでいた。

・日本人の兵士達とスポーツをしたり、ピクニックをしたり宴会をしたり様々なイベントを一緒に仲良くやっていた。

・借入金がある慰安婦は、その返済が終われば希望があれば国へ帰ることも出来た。

・日本の兵士と結婚する者もいた。

 

しかもこれは、ネットに1944年に報告された「マッカーサー電文」の「尋問調書」記載されている内容であったため、テキサス親父は米国の「国立公文書館」へ問い合わせた結果、本物であることが確認したという

ネットを通じ、世界中の人たちが事実を認識してくれるのは嬉しいな。

私は、このブログを目にした皆さんが、秦 郁彦先生の『昭和史の謎を追う』を読んでくれたらいいなあと思います。

また、黄 文雄先生の書物(書籍名は忘れちゃいました)で、ある島に配置されていた部隊での話しが忘れられません。

その島には、配属部隊の他に従軍慰安婦を含む一般人もいたのですが、敵がその島の奪還を目指していることが分かったので、一般人は船で脱出させることにしたそうです。

ところが、一人の慰安婦がある兵士と結婚したいとので島に残る覚悟を決めました。そして、もう一人、その慰安婦の姉的存在の慰安婦の二名が島に残こりました。

どうも、もう一人の慰安婦は、その部隊の司令官に思いを寄せているようでした。

他の一般人は、船で島を去りました。

慰安婦と兵士は結婚しました。

そして、予想通りに敵が島に進撃してきました。

夫婦は、弾運びに従事していましたが、敵の砲弾に打たれて死にました。

そして、守備隊は全滅寸前とまりました。敵に銃弾を発する機関銃の音も聞こえなくなりました。

そして、司令官は、静かに自刃に向かいました。

すろと司令官に恋していた慰安婦は、(男性の軍服に身を包み)敵弾を掻い潜りつつ機関銃ある山上のトウチカへと登って行きました。

そして、最後まで、敵に機関銃を放ち続けました。

が、敵の銃撃は、最終的に彼女の心臓を貫きました。

米兵は、最後まで抵抗していた者が誰だったのか確認しました。その勇者が女性だったことが分かると、米兵たちは哀悼の意を捧げたとのことです。

従軍慰安婦という言葉は、戦後の造語のようですが、私は敢えてこの名称を使いました。何故なら戦場の売春婦というよりも、彼女たちに敬意を込めた響きが感じられるからです。




褒められて嬉しい年頃です

2013年07月24日 | 日記

先日、初めてブログにコメントをもらいとても嬉しかった。

私がブログを書いていることは、恥ずかしいので、今のところ誰にも話していません。

詰まらない雑談ですが、コメントをもらえるととても嬉しいものだと言う事が分かりました。

ひょっとすると、gooの事務局の人が、新米ブロガーがメゲナイために書いてくれているのかもしれませんが、それでも嬉しい。

全くもって単純なんだなあ。

 

『浮世風呂』だったと思うけれど、吉原の花魁にどんな人が粋か聞いたら「普段は、きちんと働いて小金を貯めているんだけれど、息子が遊んでお金に困った時に、説教のした後で、お金を渡してあげる人」みたいなことが書いてあった。(記憶違いでなければね。)

まあ、本心は遊んだ息子の尻拭いよろしくねって所なんだろうけど、それでも、粋だねと言われれば嬉しいだろうね。


ミットより熱砂に突き出す指二本

2013年07月20日 | 日記

高校野球を詠んだ拙句です。

TVで甲子園の地方大会で、選手・観客が熱中症で救急で病院へ搬送されたと

言ってました。水分補給等ながら頑張って下さい。

そうそう、俳句や短歌を書く人で、野球を批判する人って少ないと思います。

なぜなら、ベースボールを『野球』と翻訳した人が誰あろう正岡子規だからだってさ。

野球→野ボール→『のぼる』は子規の本名(升)だそうです。

子規が野球を詠んだ歌は、とてものんびりとした草野球って感じだったなあ。(歌自体は覚えてないけど。)(汗)


お袋はおやじの腕でしぼんで居

2013年07月20日 | 日記
お盆に亡くなったおかあさんのことを偲んでいると、おとうさんの腕(お盆の暑い時期ですので、ふんどし姿です。)に彫られた刺青の母親の名前が大分しぼんできた(→おやじの腕が皺くちゃになってきた。)ことに、息子がおやじも年を取ったなあと感じた姿が浮かんで来る句です。
庶民的なもののあわれと愛情たっぷりの句だと思っています。
→但し、川柳は解説を読むと思っても見ない含意があることに驚かされるんですが。

この句は、『誹風柳多留』で読んだと思っていたので、図書館で借りてきましたが、
見つかりません。
ひょっとすると、句の解釈や表記等に誤りがあるかもしれません。

今昔物語を読んで、お話を書きました。(2/2)

2013年07月16日 | 日記
昨日の続きです。(投稿設定が正しく出来ていれば・・・ですが)


男は喘ぎながら、無我夢中で夕闇が押し迫った頃に、瀬田の国府の館に立ち返った。
館にいた者達は、恐怖で見る影もなくなった男の姿を目にすると、笑いものにする気も失せて「どうした。」と言葉を掛けずにはいられなかった。
男は意識も朦朧として、口もきける状態ではなかった。
人々は集まって、男を介抱し男を安心させるような言葉を掛けた。
男の意識が戻ると、近江守も心配して、安義橋での出来事を残らずお聞きになった。
近江守は、軽はずみな言動が元だとは言え、九死に一生を得た体験をしたことを哀れに思われ、馬を男に褒美として与えた。
男は近江守から馬を頂いたことが嬉しくて、恐怖心も忘れて家に帰った。
妻子や親戚を集めて、褒美の馬見せ、今日の体験を語った。
家について、安堵感を味わったが、今日の体験を語っている内に、鬼とであった恐怖心が蘇った。その恐怖心は、話を聞いた家族たちにも伝わったようだった。
その後、男は以前のように落ち着いた生活に戻ったのだが、ある日から、犬が遠吠えするしたり、異様な釜鳴りがするようことが起こったので、陰陽師を尋ね、ことの次第を話した。
陰陽師は、話を聞き終わると、神前に向かい一礼すると占ないを始めた。
占いの結果が出たらしく陰陽師は、男に「鬼が九月九日にあなたを襲おうとしています。この日は、物忌みをしなくてはなりません。肉魚を食べず、夫婦の交わりを行ってはなりません。無駄な話もせず、落ち着いた心持で神様のご加護を念じて下さい。また、家族以外の者を一切家にいれてはいけません。」と言った。
そして、九月九日、夜が明けきらないうちにこの護符を家の入り口に張るようにと言って、護符を手渡した。
男は陰陽師に礼を言って、大事そうに護符を抱えて家に戻った。
さて、九月九日を迎え、男は陰陽師の言いつけを守り、家の中で神様の加護を念じていた。
男には、一人の弟がいたが。弟は、陸奥守に従って母親をつれて、任国へ下っていた。
丁度、この物忌み日に任国から帰って来たので、兄の家の門を叩いた。
男は家の中から「おう、次郎か。残念だが、今日は物忌みで私は人に会うことができない。人を家に入れてはいけないんだ。」と言った。
弟は、「それは困った。今日は兄さんの家に泊めて貰うつもりでしたのに。私だけなら野宿でもなんでも我慢しますが、兄さんへのお土産の荷物があるんですが、どうしましょうか。また、私も仕事の所要で、今日でないと尋ねてこられなかったんです。それに、任地で亡くなった母の様子もお話したいのですが。」と言った。
男は、気がかりがった母が亡くなったことを知り、話を聞きたくて仕方がなくなった。
(今日の物忌みは、母親の亡くなったことを聞き、母親を偲ぶために用意されたのではないか。)と思えてきて、悲しみの涙が溢れてきた。
男の妻は、そんな気持ちを察し、「ことがことですから、客間にお通しして、ご膳でも用意いたしましょうか。」と言った。
男は頷き、弟を客間に通した。
精進料理を食わせた後で、男は弟と顔を合わせた。
弟は、喪服を着て泣いていた。その姿を見て、男も思わず泣き出してしまった。
男の妻は、隣の部屋で、もらい泣きをしていた。
すると、隣の部屋で大きな物音がしたので、驚いて客間に入った。妻が目にしたのは、兄弟が取っ組み合いの喧嘩をしている姿だった。
「いったい、どうなさったのですか。」
夫は、「枕元にある刀を取って、渡せ。」と言う。
「そんな、馬鹿なことを仰らないで。二人とも落ち着いて下さいな。」
「早くしろ、殺さちまうぞ。」
妻はおろおろするばかりで、刀を取ることも出来ずにいた。
気がつくと、弟が男の上に圧し掛かったかと思うと、男の喉に噛み付いた。
男の頸から、大量の血吹雪が上がった。弟は、溢れ出る生き血を啜り込んでいる。
妻は、体が震え動くことも出来ない。
弟は、更に口を大きく開き、男の頸を食いちぎってしまった。
弟は男の頸を食い千切ってしまうと、男の体から跳ね退き、男の妻を顧みた。
弟は嬉しげに笑うと「安義橋で掻かされた恥を拭えたわい。」と言った。
弟は、夫から聞かされていた鬼の姿に変わっていた。
鬼は地響きがするほどの笑い声を発すると、ふっと姿を消してしまった。
どれほどの時間が経ったのかは分からない。男の妻は、正気づくと家族を呼びたてた。
家のものも右往左往してどうして良いものやら一向に分からない。
七つになったばかりの末娘が、父親の切り取られた首を持ち上げて「おとうさま」と言った。
娘の着物へ血が滴った。