風天道人の詩歌、歴史を酒の肴に

短歌や俳句の鑑賞を楽しみ、歴史上のエピソード等を楽しみます。
比べて面白い 比べて響き合う 比べて新しい発見がある

火を投げし 野見山朱鳥(比歌句 42 左)

2018年06月27日 | 和歌

火を投げし如くに雲や朴の花 野見山朱鳥(のみやま あすか)

 

高浜虚子は、“如く”という言葉を使うなら、このぐらい大胆に表現しなさいというようなことを述べていた(と思う)。何に書かれていたのか、記憶が曖昧なのですが。

“火を投げし如くに雲や”は、雲に火を投げ入れたように赤い(本来火は黄色だが、何故か赤いと表現する。)

しかし、雲に火を投げること行為はないのだろうか?

それがあったのです。

『炉辺夜話(ろへんやわ)』宮本常一 河出書房新社

離島の生活と文化 焼火信仰

「隠岐島の島前(どうぜん)に焼火(たくひ)という山がある。これは、ぜひ皆さん方にも登っていただきたい山なのですが、この焼火神社、焼火権現というのは、日本海側の海に浮かんでいる島の中で、海を航海する人にとっては、一番大事な山だった。日本海を航海する船は、どの帆船でも、夕方日が沈むときには、必ず麦わらに火をつけて、その束を海に投げこんで、それを焼火権現に捧げるわけです。」

 直接、朱鳥の句との関連はないが、朱鳥にこのことを伝えれば喜んでくれたような気がする。

 ついでに、私の拙い如く俳句(“如く”という言葉は使っていない。)を掲げます。

 礼拝の姿浮き輪の空気抜く 風天


夏草に 山口 誓子(比歌句 42 右)

2018年06月25日 | 和歌

夏草に汽罐車の車輪来て止まる 山口 誓子(やまぐち せいし)

この句は、写生の句だという。「汽罐車が止まった。」と言うのでなくて、「汽罐車の車輪」と言うことによって、車輪が大写しになっている。だが、それだけだろうか?

正岡子規の「十たび歌よみに与うる書」に「新奇なることを詠めというと、汽車、鉄道などといういわゆる文明の器械を持ち出す人あれど大いに量見が間違いおり候。文明の器械は多く無風流なるものにて歌に入りがたく候えどももしこれを詠まんとならば他に趣味あることを配合するのほかこれなく候。それを何の配合物もなく「レールの上に風が吹く」などとやられては殺風景の極に候。せめてはレールの傍らに菫がさいているとか、または汽車の過ぎた後で罌粟(けし)が散るとか薄(すすき)がそよぐとかいうように他物を配合すればいくらか見よくなるべく候。」という記述がある。

誓子がこの文章を読んでいないはずがない。とすれば、この句は、子規に対して「どうですか、夏草と機関車の車輪を取り合わせてみました。」という挨拶の句という風にも読めなくもない。

どうでしょうか。(但し、句集全体からは、そのような匂いは感じない。)


流れゆく 高浜虚子(比歌句 41 左)

2018年06月24日 | 和歌

流れゆく大根の葉の早さかな 高浜虚子(たかはま きょし)

 

山本健吉は、この句をクローズアップ手法だと説明されていた。確かにそうなのかもしれないが、私は心惹かれなかった。

ある日のこと、<五月雨を集めて早し最上川>の隣に、この句を並べてみた。

芭蕉の句の“雅”に対し、虚子の句は“俳”になっていると感じた。

句を並べることによって、句の面白さが引き出されたのだ。私がこの比歌句を書いてみようと思ったきっかけでもある。


五月雨を 松尾芭蕉(比歌句 41 右)

2018年06月04日 | 和歌

五月雨を集めて早し最上川 松尾芭蕉(まつお ばしょう)

 

『奥の細道』によると

<最上川のらんと、大石田と云所に日和を待。爰に古き俳諧の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、 芦角一声の心をやはらげ、此道にさぐりあしゝて、新古ふた道にふみまよふといへども、みちしるべする人しなければと、わりなき一巻残しぬ。このたびの風流、爰に至れり。

最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす。ごてん・はやぶさなど云おそろしき難所有。板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。是に稲つみたるをや、いな船といふならし。白糸の滝は青葉の隙々に落て、仙人堂、岸に臨て立。水みなぎつて舟あやうし 。>

芭蕉dbより

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno24.htm

 

この旅の風流はここに至れりと言っているのだから、奥の細道の旅の目的は、この最上川ライン下りだったということだろうか。

ライン下りに適した日和を待って乗船したが、難所では水がみなぎり溢れて、舟が転覆しそうになったという。

芭蕉にとって「風流」というものは、ただの花鳥諷詠ではないということだ。身を危険に晒してまで勇壮な自然を観察し、風流を極めた先人の跡を尋ねている。そうすると、風流人は人生のアスリートなのではないかと思えて来る。

そこまでの覚悟はできないまでも、せめて一度は最上川のライン下りぐらいはしてみたいと思う。(アスリートのファンの心境です。)

ついでにですが・・・

この句で良く取り上げられる<集めて早し>と<集めて涼し>の違いについてだが、これは、発句には、二種類あることを示している。

連歌、連句の発句と、句を独立して鑑賞する発句(後の俳句)。

<涼し>は、挨拶だと『去来抄』に書かれている。


呆れたる 石川 啄木(比歌句 40 左)

2018年06月01日 | 和歌

呆れたる母の言葉に

気がつけば

茶碗(ちゃわん)を箸(はし)もて敲(たた)きてありき       石川 啄木(いしかわ たくぼく)

 

この歌は私でなければ、解釈できないと思う。啄木すらこの歌の意味するところが分からないからだ。

脳神経外科医であるワイルダー・ペンフィールド博士の『脳と心の神秘』(私が若い時に読んだ時は、『脳と心の正体』というタイトルだった。)に、追体験とはなにかが記載されている。

ペンフィールド博士は、てんかん治療のために行われる回頭手術の際に、脳の特定部位を電極で刺激すると「鮮明な記憶が蘇る」ことを発見した。その蘇り方は、「過去を思い出す」ということではなくて、「過去にあったことを今まさに体験している」という感覚だ。

私は、この追体験は、電極で脳を刺激せずとも起きることを知っている。

私自身にその体験があるからだ。

その体験がどのようなものであるかを知りたければ、三島由紀夫の『仮面の告白』の冒頭を読んでみればよい。但し、私は、三島の言う生まれた時の記憶は、たぶん生後三ケ月から九ケ月頃の体験だろうと思っているが。

 

その昔揺籃(ゆりかご)に寝て

あまたたび夢にみし人か

切になつかし

 

「一握の砂」の中の別の歌だが、これには、幼児期の記憶が述べられている。「夢にみし人か」と、「追体験」という現象を知らないために「夢」の語を持ちているが、睡眠中に幼児期の「追体験」を繰り返したということだ。

しかし、啄木は自分の見たものが何であるか分からないまま、素直に歌にした。これは、勇気のいることだ。

歌の意味を問われてみても分からずと答えながらに見たものを詠む 風天

 

若い頃、この追体験を理解した時に、このことは、『パブロフの犬』のように一般常識になると思っていたのだが、一向に世間全体に知られていない。こんな重要なことが!!

少し古い話だが、確か、インフルエンザの治療薬である「タミフル」を投与された人が、幸せそうな顔で、ビルから飛び降りたというニュースを見た。

私は、この時に、この不幸は追体験に因るものではないかと直感した。しかし、私はただの体験者であり、研究者ではない。だから、このことをどう伝えて良いのか分からない。

この追体験についての理解が、広まることを祈ってやまない。