風天道人の詩歌、歴史を酒の肴に

短歌や俳句の鑑賞を楽しみ、歴史上のエピソード等を楽しみます。
比べて面白い 比べて響き合う 比べて新しい発見がある

またや見む 藤原俊成(比歌句 18 左)

2018年03月30日 | 和歌

またや見む交野のみ野の桜狩花の雪降る春のあけぼの 藤原俊成(ふじわらのとしなり)

 

この歌を簡潔に解説して下さっている「心に残る、名言、和歌・俳句鑑賞」ブログから 記事を転載させていただきます。

https://blogs.yahoo.co.jp/sakuramitih15

 

<意味・・また再びこのような情景に出会うことがあろうか、

    望めはしまい。交野の桜狩の、桜の花が雪のように散る、この春の曙の美しい景色よ。

    もう再び目にし得ないかも知れない老いの身を意識して詠んでいます。

 

 注・・交野=大阪市枚方市交野。

    み野=野、「み」は美称。

    桜狩=桜の花を見て歩いて観賞すること。

 

作者・・藤原俊成=ふじわらのとしなり。1114~1204。

   正三位皇太后宮大夫。千載和歌集を撰進。>

このブログでは、満開の桜山の景色の映像が楽しめます。

 

この歌を読んでいたら、故地井武男さんの「ちい散歩」のとある映像を思い出した。地井さんが散歩中に雪のように舞い散る桜吹雪と遭遇した。その桜吹雪を浴びる笑顔満面の地井さん。テレビを通して、皆凄いだろうと手を広げて語り掛けていた。私もバーチャルで桜吹雪を楽しんだ。

その後、地井さんが亡くなられたと聞いた時に、その場面を感慨深く思い浮かべた。

自然は、様々な美しさに溢れている。桜は、その美しさを人に理解させるかのように、咲いては散る美の伝道者だ。


子規逝くや 高浜虚子(比歌句 17 左)

2018年03月29日 | 和歌

子規逝くや十七日の月明に 高浜虚子(たかはまきょし)

 

この句をただ解釈すれば、「子規は九月十七日に逝ってしまった。長月の十七日の月が明るく照らしている中で。」ということになる。(俳句では、単に「月」と言えば、「秋」ということになっているということだ。)

しかし、この“九月十七日”とはいつのことを言っているのか。(大丈夫、まだ呆けてはいない(多分)。)

子規の命日は、一九〇二年(明治三五年)九月十九日だ。

しかし、旧暦に直すと十月十七日に相当する。そして、子規は西行を敬愛していた。

これらを考えあわせて、「(西行は自ら望んだようにお釈迦様」に遅れること一日、如月十六日に逝かれましたが)子規は、(花ではなく、月を愛でる月の)長月十七日の月が明るく照らす夜に逝かれました。(西行慕う子規には、ふさわしい死に時だと思って、亡くなられたことを偲びましょう。)」と、私は解釈した。

 

仏にはさくらの花をたてまつれわがのちの世を人とぶらはば 西行

柿喰ヒの俳句好みしと伝ふべし 正岡子規

 

さあ、どう思われますか。


願はくは 西行 (比歌句 17 右)

2018年03月28日 | 和歌

願はくは花の下にて春死なむその如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ 西行(さいぎょう)

 

お釈迦様の入寂が太陽太陰暦(旧暦)の二月十五日とされている。暦を西暦に換算すれば、三月下旬(若しくは四月初旬)の満月の日ということになる。お釈迦様は、沙羅双樹の花の下で亡くなられた。

この歌で、西行は桜の木の下(しかも、花が満開の時期に)で死にたいという願望を述べている。そんなに思い通りにはいかないでしょうと思っていたら、本当に旧暦二月十六日に亡くなられたとのことだ。

しかし、僧侶としての自分と桜(或いは花鳥風月)を愛でる自分とに矛盾はなかったのか。

(仏教徒ではあるが)仏教を知らない私としては、この辺のことがわからない。(今後、西行について勉強します。)

「山川草木悉皆成仏、人だけではない、山や川そこに生きている植物も皆、六道輪廻を抜け出して仏になることができるのだ。」ぐらいのことしか私には言えない。


蔓踏んで 原石鼎(比歌句 16 左)

2018年03月27日 | 和歌

蔓(つる)踏んで一山(いちざん)の露動きけり 原石鼎(はら せきてい)

 

この句を理解する為には、まず、蔓を踏むようなところとは、どこかを思い描く必要がある。

人がよく通う山道を歩いていても蔓を踏むようなことはまずない。人があまり踏み入れない山道か、若しくは、山の斜面を分け入って登っているのだろう。そして、“一山の露”が動くような感じは、標高600メートル以下の広葉樹が生い茂っている山であることが想像される。(私は、山に登ったことがないので、ネットで調べたら、高尾山(標高599m)程度の山までが、山全体木々に蔽われている感じがしたため。)

次に、“露”(秋の季語)を多く含んでいるのは早朝であり、“一山の露”と感じるのは、紅葉前の時期、9月下旬から10月中旬ではなかろうか。これらの推理に基づいて、この句を解釈すると以下のようになる。

「朝早く秋の山中に分け入って、道なき斜面を登っていると、蔓を踏んでしまった。すると、山全体の木が揺れるように思われるほどの夥しい露が降って来た。」

(句の鑑賞では、あまりに細かな推理までは、盛り込まなかった。)

しかし、どうしてこの句を<一僕とぼくぼくありく花見哉>と並べたかのか。

それは、<蔓踏んで>の句にある引っかかりを感じたからだ。

「大山鳴動して鼠一匹」

<蔓踏んで>の句の裏側には、ことわざを詩情に転換したユーモアを感じる。

どうだろう。


一僕と 北村季吟(比歌句 16 右)

2018年03月26日 | 和歌

一僕(いちぼく)とぼくぼくありく花見哉 北村季吟(きたむら きぎん)

駄洒落好きにはたまらない句だ。気の合った使用人を一人伴って、花と花見客の宴を楽しそうに眺めながら、ゆっくりと桜並木を歩いている。「いやあ、今日はとても良いお日柄で。」そういう感じだ。