風天道人の詩歌、歴史を酒の肴に

短歌や俳句の鑑賞を楽しみ、歴史上のエピソード等を楽しみます。
比べて面白い 比べて響き合う 比べて新しい発見がある

瘦蛙 小林一茶(比歌句 30左)

2018年04月29日 | 和歌 俳句 詩

瘦蛙(やせがえる)まけるな一茶是(これ)にあり 小林一茶(こばやし いつさ)

 

水前寺清子歌うところの『365歩のマーチ』<幸せは歩いて来ない、だあから歩いて行くんだよ。・・・・>この歌が流行った当時は、人生応援歌と呼ばれていた。

一茶の瘦蛙の句も将に「応援歌」だ。

「お前が応援したからって、どうにかなるわけでもあるまい。」と言われる。

ところが、アスリートは「皆さんの声援のお陰で頑張れました。」と言う。

アニメ、ドラゴンボールの孫悟空は、「みんなの力をオラに分けてくれ。」と呼びかける。

観客の子供たちは画面に向かって必死に念を送っている。

そして、悟空はカメハメ波で敵をやっつける。

ひ弱そうな者を応援しようと思うのは、小兵が戦いを挑むというその心意気を買ってのことであり、自分の姿に重ねるからでもある。

瘦蛙、ガンバレ!!


竹の子や 服部嵐雪(比歌句 29左)

2018年04月27日 | 和歌

竹の子や児(ちご)の歯茎のうつくしき 服部嵐雪(はつとり らんせつ)

 

「今日のおかずは若竹煮だ。旨い!我が子も無心に筍を食べている。いやあ、しかし子供の歯茎は桃色で何とも美しいものだなあ。」というのが、私の意訳です。

 

またまたですが、『古典詞華集一』 山本健吉 小学館より

<『源氏物語』横笛巻に、薫の君が幼かった時、筍を食べようとして、「御歯のおひ出づるに食ひあてむととて、笋(たかうな→たけのこ)をつと握りもちて、雫もよゝと食ひぬらしたまへば、いとねぢけたる色好みかなとて」という、源氏の君の戯れに言葉をうちかえして、「うつくしき」とと言った。

櫑子(らいし→高坏)に盛った笋に、児(ちご)が早くも目をつけたのを、源氏は「あなろうがはしや」(ふしだらだ)と取り片付けさせて、女三の宮をはじめ女房たちの多い中で、こんな児のふるまいは一寸困ったことだと言った、そのことを含みとして、なお笋を離さないでしゃぶろうとする児の姿に、「ねぢけたる色好み」との言葉があるのだ。

嵐雪の句は、そんな含みを拭いさって、ただ「美しき」と言った。ねぢけた色好みから、無心の美しさに転じたのだ。>とある。

山本健吉さんの鑑賞を読んでいると、日本の文芸は古典を下地や俤にして発想を膨らませていくものだということが理解でき、とても良い勉強をさせて頂きました。

まずは、『伊勢物語』と『源氏物語』を熟知しておくことが基本だと。

いやあ、勉強できるかなあ。

但し、嵐雪の句が、「そんな含みを拭いさって」いるのか、「そんな含みは考えてもみなかった」のか。私は、「無心の美しさに転じた」のではなく「無心の美しさを詠んだ」のだと思いました。

もし、この句が<笋(たこうな)や>であれば、山本先生に同意したのですが。


万緑の 中村草田男(比歌句 29右)

2018年04月26日 | 和歌

万緑(ばんりょく)の中や吾子の歯生え初(そ)むる 中村草田男(なかむら くさたお)

 

「山々が若葉の新しい緑色で覆われ自然界が若やいだ時に、私の子供の歯も生え始めた。」

草田男は自分の子供が育ってゆくことの喜びを万感の思いで詠んでいる。

歌句を詠むためには、素直さが必要であることが分かるが、その前に自分の人間性を高めていかなければ、素直さは素晴らしさにはならないことが分かる句だ。

こんな風に詠われた子供が、将来この句を読んだ時の喜びが想像される。


清水へ 与謝野晶子(比歌句 28右)

2018年04月25日 | 和歌

清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき 与謝野晶子(よさのあきこ)

 

大原や蝶の出てまふ朧月 内藤丈草 と比歌句する歌は?と思ったら、まず浮かんだのが

方丈の大庇(おおびさし)より春の蝶 高野素十

だった。

まあ、良く似合う。だが、この組み合わせならどの俳句歳時記にも載っているだろうなあと思った。何か他に響き合うような歌句はないものかと。

そして、浮かんだのがこの一首。

 

旅をしたことのない私は(くどいようですが)またしてもバーチャル旅行。

 

“京都清水”で検索してください。

キナリノというサイトの写真がとても素晴らしい。(どういうわけかurlをコピペで貼り付けられない。)

 

清水寺周辺の街並み、五十年近く前に修学旅行で行っているはずなのだが、込み合っていたせいか、ほとんど覚えていない。(清水の舞台は覚えている。)

大原から祇園、清水へ。朧月から桜月夜へ。そして、蝶から人へ。

人みなを美しく感じのは、逢う人がみなうきうきと楽し気であること、また、それらの人々を眺めている人の心も浮き立っていること。そういう共有空間での貴重な一時だ。

私は「花火大会」で、このような気分を味わったことはあるが、舞台、桜、月夜でこの歌に対抗しようとは思わない。


大原や 内藤丈草(比歌句 28右)

2018年04月24日 | 和歌

大(おほ)原や蝶(てふ)の出(で)てまふ朧月(おぼろづき) 内藤丈草(ないとうじょうそう)

 

『古典詞華集一』 山本健吉 小学館より

 

<「大原」は、洛北左京区大原と、洛西右京区大原と両説あるが、『平家物語』「大原御幸」で知られる洛北大原と取るのがよい。ことに下ニ句には、どこか艶なる情緒がただよい、ほのかに女人の匂いを感じさせる。それは、能舞台にも移し出された「大原御幸」の建礼門院の姿に通う。>

山本健吉先生ありがとうございます。

旅をしたことがなく、また、歴史的な知識にも疎い私にとりましては、大変参考になるご説明でございました。

 

大原に関する私の知識はデューク・エイセスさんの「女ひとり」のみです。

「京都大原三千院 恋に疲れた女がひとり」ですね。

ですから、私は子供の頃から、大原は心を癒してくれるスポットであると想像していました。

未だに行ったことがありませんが。で早速、バーチャル旅行。

 

大原―三千院とその周辺の美しい名所

https://kazenotabi-kyoto.com/area-kyoto/area-ohara/ohara-course.html

 

更に 

https://www.travel.co.jp/guide/article/2535/

 

元気な内に行ってみたいなあと思いました。

写真を見て一番気になったのが、寂光院でした。建礼門院が生涯を過ごしたということに惹かれてしまうのかもしれませんが、高貴な佇まいのある雰囲気ですね。

宵闇に寂光院の門を伺い、朧月の淡い光の中で蝶が舞っていたら・・・。そこに建礼門院が佇み静御前のような白拍子が舞っているような幻想に囚われるような気がします。

大原、蝶、朧月 この要素を華麗にまとめ上げた句ですね。

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