風天道人の詩歌、歴史を酒の肴に

短歌や俳句の鑑賞を楽しみ、歴史上のエピソード等を楽しみます。
比べて面白い 比べて響き合う 比べて新しい発見がある

あはせつる 西行(比歌句 50 左)

2018年08月15日 | 和歌

あはせつる木居(こゐ)のはし鷹すばえかし犬飼人(いぬかいびと)の声しきりなり 西行(さいぎょう)

 

この歌を現代語に訳してみました。

獲物に向かって放った止まり木のはし鷹よ、素早やく獲物を捕らえよ。

捕えた獲物を追う犬の飼育係りの声がしきりに聞こえて来る。

 

<鷹狩というと鷹匠が腕に鷹を乗せ、獲物を見つけると鷹匠が腕を前に滑らせる。

すると、鷹が獲物目掛けて飛び立つ。>というイメージを持っていたが、古い時代は、(多分)鷹は止まり木に乗せられていたのだと、この歌を読んで思いました。

 

但し、西行は鷹狩りを見てはいない。犬飼人の声が聞こえただけだ。犬飼人の声を聞こえてきて、出家前の鷹狩りの状況が鮮明に蘇ってきた。そういう歌だと思います。

 

正統な解釈は以下のブログでどうぞ。 

山家集の研究  

http://sanka11.sakura.ne.jp/sankasyu5/jitenko.html

 

源氏物語に(どの巻きだったろう)蹴鞠に打ち興じている場面が描写されている。

<久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも>

に合わせるのであれば、蹴鞠の秀句があればと思ったのですが、今のところ出逢っていません。


久方の 正岡子規(比歌句 50 右)

2018年08月13日 | 和歌

久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも 正岡子規(まさおかしき)

 

俳句や短歌を詠む人は、なかなかスポーツを貶せない。それは、子規が野球が大好きだったからだ。虚子や碧梧桐も子規の勧めで野球をやったことがあるようだ。

“久方の”天や空に掛かる枕言葉だが、アメリカに掛ける自由奔放さ。だけれども、船でしか海を渡れなかった時代、確かにアメリカは久方にある国だった。

それにしても、子規の愛した野球は将に草野球だった。

 

ベースボールの歌から

打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて又落ち来きたる人の手の中に

いやあ、外野フライですね。しかし、のどかに楽しんでいる打者、外野手、そして歌人。

 

どの本に書いてあったのか失念していて申し訳ないのだが、「野球」という言葉も子規の考案らしい。しかも、“野”と“球(ボール”を合わせてノボール・・・升(のぼる)、つまり子規の本名だということだ。

子規は笑いが大好き。駄洒落が大好き。そうでなければ、秀吉以来最高の“ひとたらし”にはなれなかったのだろう。

 

ミットより熱砂へ突き出す指二本 風天


大いなる 高浜虚子(比歌句 49 左)

2018年08月10日 | 和歌

大いなるものが過ぎ行く野分かな 高浜虚子(たかはま きょし)

 

暴風に晒されたが、どうやら台風は過ぎ去るところだ。ひっきりなしに荒れ狂っていた風の音が、時折聞こえて来る程度になった。

そんな状況の中で、虚子は台風を巨大な生命体のように感じ、畏怖している。

<吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ>は、嵐が治まった後の挨拶だが、虚子は自分の安堵感を句にしたのだと思う。


吹くからに 文屋康秀(比歌句 49 右)

2018年08月09日 | 和歌

吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ 文屋康秀(ふんやのやすひで)

 

山から強い風が吹いてくると秋の草木は萎れてしまいますね、だから、その山風のことを嵐と書くんですね。そして、野原も荒らされてしまうわけですよ。

 

この歌は漢字を嵐という文字の成り立ちを、今更ながら面白可笑しく歌っている。

この歌の真意は何なのか?

<昨夜の嵐は凄かったですが、皆さんご無事で良かったですね。>という挨拶の歌ではないだろうか。

嵐が去った後で聞くと、心を和ませる不思議な魅力を持った歌です。

本日の台風13号は、上陸せずに関東の海岸線を舐めるように進んでる。これからまだ、大雨の心配はあるのかもしれないが、嵐が吹き荒れた地方の皆様への挨拶代わりです。


短夜や 竹下しづの女(比歌句 48 左)

2018年08月06日 | 和歌

短夜や乳(ち)ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまをか) 竹下しづの女(たけした しづのじょ)

 

この句を読んだ時、勇気をもって子育ての大変な思いを詠ったのだと思った。だけれども、<須可捨焉乎>と表記したのは何故だろう?まあ、この句のポイントはそこだと思った。心には浮かんだけれど、面と向かって人には言いにくいことだからなのだろうか。でも、<すてつちまをか>は、下卑た(投げやりな表現の)俗語だ。待てよ。しづの女に、暗号めいた<須可捨焉乎>の文字が浮かんできて、それを解き明かしたら、<すてつちまをか>だったのではないだろうか。この<すてつちまをか>は確かに下品だが、限りなく大らかで明るい響きがある。

育児ノイローゼ(今は言い方が違うのかもしれないが。)を吹き飛ばすような明るさだ。

この<すてつちまをか>は、子育てに疲れた人の気持ちを転換させる呪文のような効果があるのではないだろうか。そして、夜を短く感じた寝不足も笑と共に解消されることを願います。