風天道人の詩歌、歴史を酒の肴に

短歌や俳句の鑑賞を楽しみ、歴史上のエピソード等を楽しみます。
比べて面白い 比べて響き合う 比べて新しい発見がある

行く春や鳥啼き魚の目は涙 門付けで聞く小栗判官

2013年06月30日 | 日記
この”魚の目は涙”の意味が分かりませんでした。
白川静先生の漢字の本を読んでいたら、魚の目に涙の解説がありました。
「魚の目に涙」は「鰥」(やもめ)の字解きであると。

もうこの春も終わってしまう。
鳥が春が終わりを惜しむかのように啼いている。
やもめという字は、 魚の目に涙だが、やもめが涙することだってあるさ。
と下手な解説でした。
自分を卑下した笑いを含んだ句だったんですね。

ウィクペディアで調べた結果

鰥寡孤独(かんかこどく)とは、律令制において国家による救済対象とみなされた家族構成のこと。
古くは古くは『孟子』(梁恵王篇下)にも登場する言葉である。
日本では『令義解』の注釈にて具体的な解説が載せられており、
「鰥」とは61歳以上のやもめ(妻を亡くした夫)、
「寡」とは50歳以上の未亡人、
「孤(惸)」とは16歳以上の父親のいない子供、
「独」は61歳以上の子供がいない者を指したが、実際の運営上は鰥は60歳以上、独は50歳以上とされていた。
戸令では鰥寡孤独のうち、生活が困難な者に対しては三親等以内の者に対して扶養義務を課し、それが不可能な場合には地域(坊里)で面倒をみるものとされた。
また、賑給に際しては高齢者とともに支給の優先対象とされていた。

とのことです。

「門付けで聞く小栗判官」 下手な脇付けで申し訳ありません。
瞽女(ごぜ)が、農村を渡り歩きながら瞽女唄を唄っている姿です。
瞽女(ごぜ)のことを知りもしないのに、句が浮かんだので書いてしまいました。(汗)
瞽女(ごぜ)については、ネットで調べてみて下さい。
三味線奏者 月岡祐紀子ウェブで、書籍の紹介等あります。
http://www.gozeuta.com/
私も勉強したいと思います。

将軍の御落胤との触れ込みの騙りを暴く越前守

2013年06月30日 | 日記
徳川吉宗と江戸の改革 大石慎三郎 講談社 学術文庫
歴史に詳しい方は、以下の要約は読み飛ばして下さい。
あまりにも要約が下手すぎて、怒られそうなので・・・。(汗)
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江戸時代 開幕から五十年間は、巨大インフラ整備の時代。
①大河川の治水、用水開発のための大規模土木工事
②全国二百六十余の城下町、陣屋の建設
③五街道や他の道路整備、港湾・河岸の整備
④制度の仕上げは、法整備(武家諸法度・禁中並公家諸法度)

千六百六十年代(家綱の時代)は、税制改革、大減税の時代。
七公三民から三公へ。→千七百年頃、綱吉の時代に実現。
先行した巨大な社会投資と相乗効果をあげながら、わが国の庶民生活を一変させた。
”元禄の繁栄”
そして、バブル崩壊へ。
新井白石のデフレ政策。
待ってました。暴れん坊将軍、吉宗の登場。
将軍が大名に頭を下げて上米令(あげまいれい) いやあ、幕府の赤字財政を大名にばらします。

 江戸詰めの期間短く致します 将軍様のお米のおねだり

吉宗の政策は、幕府財政の建て直し。→年貢増徴と新田開発。
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歴史家は、エンターテイナーたれを実感させる著書です。
大石慎三郎先生、ありがとうございました。吉宗を身近に感じました。
で、問題は、吉宗ではなくて、田沼意次です。この著書で吉宗以降のことが書かれています。
後世、意次が何故評判が悪いのか。それは、大正時代に刊行された辻善之助『田沼時代』に原因がある。しかも資料の素性(信頼度)調査不十分、資料の読み間違えだとの歯に衣着せぬご意見・・・どうもありがとうございました。
「田沼意次の収賄を風刺した絵」(教科書にまで使われたとのこと)実はこの図は、島津重豪(しげひで)のことであろう・・・お客さんここから先が面白くなりますから、今しばらくのご辛抱を。
とまあ、一刀両断、どこかで読んだことがあるなあ。
これ、『逆説の日本史』で読んだのでありました。昨日は、この本に啓発されたことを書きましたが、今日は苦言。井沢元彦先生、どうぞ、出典は明らかにしてくださいね。(この説が、歴史の常識になっていて、出典名を出さなくても構わなければ別ですが。)
先人に対する敬意を・・・って、私みたいな一般人が言うのもおこがましいんですが。

タイトルの狂歌は、講談社の刊行物なので、講談の天一坊事件を題材にしました。

富くじに当たったような幸運に ねたみそねみが八百八町へ 

秀吉の右手の親指二本あり 噂話も夢のまた夢

2013年06月29日 | 日記
私が歴史に興味を持つようになったのは、五十歳を過ぎてから『逆説の日本史』を読んでからだ。
秀吉は、多指症で右手の親指が二本あった。これは、歴史研究者の間では、広く知られていることだそうだ。歴史家は、こういう事実を一般人にも、はっきりと知らせて貰いたいものだ。
何故ならこの事実を知っていれば、秀吉が信長から「猿」と呼ばれても根に持たなかったことがようやく理解できた。
信長は、秀吉を「猿」や「ハゲ鼠」とは呼んでも、「六本」とは呼ばなかったということだ。
信長は、秀吉のコンプレックスを認識し、そこはちゃんとカバーしていたことが分かる。
秀吉の人たらしの才能もこのコンプレックスを旨く昇華させたればこそ開花したのではないか。

中世は、間引き行われていたということを本で読んだことがある。
生まれた時に歯が生えていたいるだけで、異常と看做され、間引かれたとのことだった。
(残念ながら、出典名を忘れてしまいました。)
秀吉が生まれた時代がそうだったかはしらない。だけれど、間引かれる危険性は大いにあったのではないか。そうすると日本一の出世物語も生まれなかったのだ。
当時の世間一般の習慣を知っていればこそ、秀吉の母親に対する感謝の思いが理解される。

尚、表題の狂歌は秀吉の辞世「露と落ち露と消えにし我が身かな浪花の事は夢のまた夢」を本歌として『逆説の日本史』の賛歌として作成しました。

初投稿 ”志”

2013年06月23日 | 日記
『論語』學而第一
子曰、学びて時に之を習う。またよろこばしからずや。
朋有あり、遠方より来きたる。また楽しからずや。
人知らずして慍きどおらず、また君子くんしならずや。

>朋有あり、遠方より来きたる。
孔子が言う”朋”は、誰のことだと思いますか?
私には、朋は孔子が読んで学んだ書の著者であると思えてなりません。

師は、仰せになりました。
書物により学び、それを自分で実践することは、喜ばしいことではないか。
まるで遠方に住んでいる友人のように、ある著者は、私の心に飛び込んで来ます。なんて楽しいことでしょう。
今は誰も見向きもしない著作から不遇に嘆かず、平安の心を伝えている姿が、本文から伝わって来ます。この人は君子ではないでしょうか。

この意訳は、どうでしょう。

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