旧年(ふるとし)に春立ちける日、よめる 在原 元方
年の内に春はきにけり去年(こぞ)とやいはむ今年(ことし)とやいはむ
年内に早くも春が来てしまったよ。この一年を立春の日の今日からどう呼べばよいのだろう、去年と言おうか、今年と言おうか。(岩波書店 新日本古典文学大系『古今和歌集』)
本日(2018年2月16日)は、旧暦での元日です。旧暦の元日からブログを再開。誰にも読んでもらえなくても、めげずにブログを更新しようと思う。
さて、この元方の歌を理解する為には、まず、旧暦について一寸した知識がないと理解できない。
日本が現在の暦(グレゴリオ暦)を採用したのは1872年(明治五年)からで、それ以前は旧暦(改定は何度かされている。)だった。旧暦は、太陽太陰暦で太陽の運行と月の運行とを考慮して作られている。(基本的に、その時の統治者の命令を受けた天文方が作成)月の公転(月が地球を一周する)のは、約29.5日であり、これで『月』を決めていく。(大の月(30日)、小の月(29)日というように)すると十二箇月で約354日となる。地球の公転は約365日なので、十二箇月で十一日間の差が生じる。そのズレを二十四節季(太陽暦)でカバーしている。因って、「年内に春が来ることもある。」ということだ。(私の拙い説明で不明な方は、暦に関する本やネットで調べて欲しい。)
どうして一年が一三箇月になる閏月を設けたりして、月の運行を重要視したのかと言えば、電気やガスがなかった(夜の明るさは月の明るさ)から。だから十五夜は満月。
さて、ここからが本題。「年の内に」の歌は、軽いユーモアの歌として評価されている。正岡子規にはくそみそに貶されている。(まあ、子規の後ろ盾は、賀茂真淵なのだろうが。)
確かに、この歌を素直に解釈すれば、それは間違いない。
だが、古今集の巻頭を飾るがなぜ歌なのかを考えると、それだけの本意だとは思えない。
暦を皮肉ってどうするのか、暦とは何か。暦は中国文明のことを指しているのではなかろうか。
この歌は、「まだ年の暮にもならないのに春が来てしまった。春が年内に来るなんて、今日の日を今年と呼べば良いのやら、去年と呼べばよいのやら。中国の暦(文明)にだって完全なものではないでしょう。中国の暦は有難いものですが、それだけに縛られるのも考え物でしょう。(漢詩だけ賦してればいいというものではないでしょう。)我々日本人は、日本の歌を詠んでいこうじゃありませんか。」という意味だと思う。
確かに万葉集のような益良雄振りではなく、雅男振りではあるが、歌意は雄々しい。
古今集編纂当時、日本語表記は、万葉仮名から平仮名、片仮名への大変革を進行中であり、新しい表現方法で自らを表現したいという意欲に燃えたのではないだろうか。
私は、何ら勉強をしたことがなく、知識が乏しいので良くは分からないが、古今和歌集の歌は、秘められた歌の意味を解いていく必要があるように思う。