のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり 斎藤茂吉(さいとう もきち)
「もう玄鳥が来る春になり、屋梁に巣を構へて雌雄の玄鳥が並んでゐたのをその儘あらはした。下句はこれもありの儘に素直に直線的にあらはした。さてこの一首は、何か宗教的なにほひがして捨てがたいところがある。世尊が涅槃に入る時にも有象がこぞって嘆くところがある。私の悲母が現世を去らうといふ時、のどの赤い玄鳥のつがひが来てゐたのも、何となく仏教的に感銘が深かった。」 斎藤茂吉『赤光抄』より
と、ご本人が解説されているのだから、これを素直に聞くべきなのだろうが、私にはこの歌の価値は別のところにあると思っている。
それは、<感情と感覚の乖離>だ。感情が高まってパニック状態のような自分でもどうしようもない感情に蔽われた時に、感覚はその感情とは別の動きをする。茂吉が母親の死をも目前にした時に、視覚が異常をきたし、屋梁に居たつばめが迫って見えたのではないかと思う。
それを、茂吉は<その儘あらはした>と言っている。
梁に居たつばめと死んでゆく母親。そこに茂吉がいる。
歌を詠む場合、多分、詠み込む情景や言葉の取捨選択を行ってしまう。
関係のないものは捨てられてしまう。母親の死んでいく姿、そして悲しみにくれる者達、そこに思いを馳せる。それはそれで当然のことだ。
見た儘を素直に詠うことの難しさだと思う。
茂吉が言う<何となく仏教的に感銘が深かった。>のは、詠み手としてではなく、歌を取捨選択する、つまり鑑賞者の立場での感慨だと思う。(確かに、つばめに見送られた母親は仏に看取られたのと同等であると思う。)
なぜ、この歌を<感情と感覚の乖離>を素直に詠った歌だと断定しているのかと言えば、茂吉には更に次の歌があるからだ。
氷きるをとこの口のたばこの火赤かりければ見て走りたり
師である伊藤左千夫の死を知って、島木赤彦の家まで、夜道を走った時のことを詠んだ歌だという。
<感情と感覚の乖離>が起こり、<氷きるをとこの口のたばこの火>が迫って見えてきたのだと思う。感情が限界を超えることを感じることは、そんなにあることではない。一生、そんな経験をしない人も大勢いるだろう。茂吉の溢れかえる感情の深さがあり、且つ、見たものを素直に表現でいるからこその歌だ。