風天道人の詩歌、歴史を酒の肴に

短歌や俳句の鑑賞を楽しみ、歴史上のエピソード等を楽しみます。
比べて面白い 比べて響き合う 比べて新しい発見がある

のど赤き 斎藤茂吉(比歌句 40 右)

2018年05月31日 | 和歌

のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり 斎藤茂吉(さいとう もきち)

 

「もう玄鳥が来る春になり、屋梁に巣を構へて雌雄の玄鳥が並んでゐたのをその儘あらはした。下句はこれもありの儘に素直に直線的にあらはした。さてこの一首は、何か宗教的なにほひがして捨てがたいところがある。世尊が涅槃に入る時にも有象がこぞって嘆くところがある。私の悲母が現世を去らうといふ時、のどの赤い玄鳥のつがひが来てゐたのも、何となく仏教的に感銘が深かった。」 斎藤茂吉『赤光抄』より

と、ご本人が解説されているのだから、これを素直に聞くべきなのだろうが、私にはこの歌の価値は別のところにあると思っている。

それは、<感情と感覚の乖離>だ。感情が高まってパニック状態のような自分でもどうしようもない感情に蔽われた時に、感覚はその感情とは別の動きをする。茂吉が母親の死をも目前にした時に、視覚が異常をきたし、屋梁に居たつばめが迫って見えたのではないかと思う。

それを、茂吉は<その儘あらはした>と言っている。

梁に居たつばめと死んでゆく母親。そこに茂吉がいる。

歌を詠む場合、多分、詠み込む情景や言葉の取捨選択を行ってしまう。

関係のないものは捨てられてしまう。母親の死んでいく姿、そして悲しみにくれる者達、そこに思いを馳せる。それはそれで当然のことだ。

見た儘を素直に詠うことの難しさだと思う。

茂吉が言う<何となく仏教的に感銘が深かった。>のは、詠み手としてではなく、歌を取捨選択する、つまり鑑賞者の立場での感慨だと思う。(確かに、つばめに見送られた母親は仏に看取られたのと同等であると思う。)

なぜ、この歌を<感情と感覚の乖離>を素直に詠った歌だと断定しているのかと言えば、茂吉には更に次の歌があるからだ。

 氷きるをとこの口のたばこの火赤かりければ見て走りたり

師である伊藤左千夫の死を知って、島木赤彦の家まで、夜道を走った時のことを詠んだ歌だという。

<感情と感覚の乖離>が起こり、<氷きるをとこの口のたばこの火>が迫って見えてきたのだと思う。感情が限界を超えることを感じることは、そんなにあることではない。一生、そんな経験をしない人も大勢いるだろう。茂吉の溢れかえる感情の深さがあり、且つ、見たものを素直に表現でいるからこその歌だ。


菫程な 夏目漱石(比歌句 39 左)

2018年05月30日 | 和歌

菫程(すみれほど)な小さき人に生まれたし 夏目漱石(なつめ そうせき)

 

鷗外の書斎には“寸ばかりなる女(をみな)”が現れたが、漱石はそういうものに私はなりたいという。小さいもの持つ美しさ、そのものへの憧れだろうか。

しかし、菫程の大きさに生まれた人は、お椀の舟に乗って打出の小槌を探しに行く。


書の上に 森鷗外(比歌句 39 右)

2018年05月29日 | 和歌

書(ふみ)の上に寸ばかりなる女(をみな)来てわが読みて行く字の上にゐる 森鷗外(もり おうがい)

 

比歌句38で、与謝野晶子の神様や物の怪に関する歌を取り上げたので、外の人の歌も取り上げてみようと思った。

森鷗の歌で今のところ唯一気に入っている歌だ。

森鷗の前に現れた“寸ばかりなる女”は、どうも座敷童(ざしきわらし)の仲間ではないか。

鷗外も楽しそうだ。私の前にも表れてくれれば、読書も進むのに。

 

この鷗外の体験を味わいたいならば、ディスコトップマスコットをインストールすれば良い。

ただ、どうせなら読書人向けのマスコットを開発してもらいたいものだけれど。


あな不思議 与謝野晶子(比歌句 38 七)

2018年05月28日 | 和歌

比歌句 38の一から六までは、『乱れ髪』中の歌。

この歌は、遺歌集である『白桜(はくおう)集』中のもの。

 

夫である与謝野鉄幹が亡くなり、その遺体を納めている棺の上に神様が現れたという。

 “あな不思議”と言っているので、思いがけない神様がおいでになったということだ。

しかも“神の子”と言っているから、若い姿でお出ましになったのだろう。

 

その“天稚彦”とは、

<葦原中国を平定するに当たって、遣わされた天穂日命(アメノホヒ)が3年たっても戻って来ないので、次にアメノワカヒコが遣わされた。

しかし、アメノワカヒコは大国主の娘下照姫命と結婚し、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻らなかった。そこで天照大御神と高御産巣日神(タカミムスビ)は雉の鳴女(ナキメ)を遣して戻ってこない理由を尋ねさせた。すると、その声を聴いた天探女(アメノサグメ)が、不吉な鳥だから射殺すようにとアメノワカヒコに勧め、彼は遣わされた時にタカミムスビから与えられた弓矢(天羽々矢と天之麻迦古弓)で雉を射抜いた。

その矢は高天原まで飛んで行った。その矢を手にしたタカミムスビは、「アメノワカヒコに邪心があるならばこの矢に当たるように」と誓約をして下界に落とす。すると、その矢は寝所で寝ていたアメノワカヒコの胸に刺さり、彼は死んでしまった。

アメノワカヒコの死を嘆くシタテルヒメの泣き声が天まで届くと、アメノワカヒコの父のアマツクニタマは下界に降りて葬儀のため喪屋を建て八日八夜の殯をした。シタテルヒメの兄の味耜高彦根命(アヂスキタカヒコネ)も弔いに訪れたが、彼がアメノワカヒコに大変よく似ていたため、アメノワカヒコの父と妻が「アメノワカヒコは生きていた」と言って抱きついた。するとアヂスキタカヒコネは「穢らわしい死人と見間違えるな」と怒り、神度剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。喪屋が飛ばされた先は美濃の藍見の喪山だという。>

 

ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%8E%E3%83%AF%E3%82%AB%E3%83%92%E3%82%B3

 

もし、鉄幹が天稚彦の生まれ変わりであるとするなら、晶子は大国主の娘下照姫命ということになる。(どちらも守護神なのかもしれないが。)

天稚彦は、天照の側からすれば、裏切り者ということになる。しかし、天稚彦は、大国主命を葦原中国の支配者として認めらからの行動だろう。裏切り者の汚名を着せられても、美しいものは美しいという心を持っていたということだ。

そして、天稚彦は、大国主命に天照のことを話したではないか。だからこそ、後日、すんなりと国譲りが、行われたのではないのか。

下照姫のその後は分からないが、天稚彦を生涯慕い続けたことだろう。

<シタテルヒメの兄の味耜高彦根命(アヂスキタカヒコネ)は、アメノワカヒコに大変よく似ていた。>ということであるので、鉄幹は、晶子の親類縁者若しくは知り合いによく似ていたということになるのではないかということが推測されるが、歌から推測できるのはここまで。

これから先は、色々な文献を漁って、研究しなくてはならないところだろう。

だが、私にはそんな時間はない。なんせ、休みは原則、土日のみ。そして、女房は七十才まで働けという。

とまあ、最後は自虐ネタでした。


消えむものか 与謝野晶子(比歌句 38 六)

2018年05月27日 | 和歌

消えむものか歌よむ人の夢とそはそは夢ならむさて消えむものか 与謝野晶子(よさのあきこ)

 

晶子は、“歌よむ人”と言う。なぜ、私と言わないのだろうか?私と“歌よむ人”との違いは何か?

生活人としての自分と、歌をよむ自分は、同じ自分でありながら別人格であると言っているのではないだろうか。

歌人晶子が見ている夢、“そはそは夢ならむ”ということは、夢なのか現実なのか定かではない“夢”は、消え去って欲しいと念じているが、どうしても消え去らないのだ。

みなぞこにけぶる黒髪ぬしや誰れ緋鯉のせなに梅の花ちる(比歌句 38 一)

歌人となった時に、ここで見ている物の怪のような存在が現れるのではないか。

のらす神あふぎ見するに瞼(まぶた)おもきわが世の闇の夢の小夜中(さよなか)(比歌句 38 三)

その友のもだえのはてに歌を見ぬわれを召す神きぬ薄黒き(比歌句 38 四)

と、神様との交際も詠んでいるので、歌人晶子の見る夢は“悪い夢”ばかりではないと思う。