南部吟遊詩人の写真館

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古い歴史を語る風景~段々畑と野ざらしの石墓~

2011年04月15日 22時25分28秒 | 遠野小景
「遠野だから、どうせ次は『河童淵』あたりくるんじゃね?」
と、思ったアナタは甘い!ペプシより甘い!

南部吟遊詩人はマニアックに行きます。(誰に言ってんだ?)


今日は通勤路で目にとまった風景……


なんてことのない里山…で、段々畑なんですが……。

石垣も何も組まれていないこの土盛りの作りはあまりに素朴だと思いませんか?

おそらく、これから田植えが始まるから、水を張り始めたのでしょうが…、

水を張れば、田に鷺が来るのは自然の成り行き。

多分、アオサギ。鷺を見ると自分のふるさとを思い出します。私のふるさとは平地で水田が多く、コサギやダイサギを
方々で見ることができました。
思い出といってもただ、それだけなんです。でも、何年もふるさとに帰っていないと、そんなことでも時々強く思いだされてしまうのです。本当はもっと覚えなきゃいけないことはあるのに、そんなことでメモリーを消費しているヒマはないんですがね…。

ちなみに古代の日本では霊魂は鳥に宿って山に還ると信じられていました。ヤマトタケルの神話にその名残が見受けられます。

たとえば、あの石も何世紀にもわたって、この里の幾度も繰り返される四季をずうっと眺めてきたのでしょうか。

昔、前世占いというのが流行って、前世が石だとか言うハナシも聞かれました。当時は笑って冗談じゃねえや、と思っていました。
しかし、あの石を見ていると、そんな輪廻もまんざらでもないと思えてきます。
春のうららかな日にはあの石の上に座って、おにぎりでもほおばりながら、眼下の景色を眺めるでしょう。
おなかが一杯になったら、石の上に寝ころがって、青い空を眺め、春の陽のまぶしさに目を細めながら、ヒバリのさえずりでも聞いていることでしょう。
そんな石って、確実に人の役に立っていますよね。
人の役にも立たない人間になるくらいなら、あの石の方がナンボかマシかもしれません。

いや、自分が人の役に立っていないというわけではなく……。


段々畑を背にして右手奥、写真に小さく映った部分に、石がいくつか並んでいます。

例えば、この石。ドルメンやストーンサークルじゃありません。
石仏でもないです。
写真では見えませんが、よく見ると墓碑銘が見えます。
れっきとしたお墓です。
普通、お墓ってお寺の裏に集団で作られるものですが、田舎ではこのような独立したお墓も珍しくありません。
おそらくは私のようなことを考えた人が、死んでも自分の田んぼを見守りたいと思って丘の上に作ったのでしょう。

丘の上に咲くのは、もちろん「ひなげし」→元ネタ
多分…マリーゴールドかなあ…??

寒風吹きすさぶ山里にも、春はもうすぐ、日一日一日温かくなっています。

なんてことのないこんな景色に心を強く惹かれるのは、どこかに自分の心の原風景があるからなのでしょう。
ここで生まれ育ったわけでもないのに。
だから人間ってすごく不思議です。
その発見が無邪気に嬉しくて、人に話して聞かせると、
この感覚、話してもわかる人とわからない人と極端に分かれます。
そうして、わからない人からは変人扱いされます。

そうすると、私はとても疲れてしまいます。
そして、何も言いたくなくなってしまうのです。

そして、私は丘を後にします。


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