
平野先生が、図工で「手」の絵に取り組んでいます。出入りの授業で教室に入り、描きかけの絵がふと目に入るだけで、本物の手がそこにあるようでどきっとするほど、リアルで、ふくよかですばらしい出来映えです。
この日は、その絵ができあがったようです。「やっと、できました。」「見てください。」と学年団の先生方に見てもらいます。「す、す、すごいなあ。」「どうやって指導したの?」と学年団の先生方が集まり、のぞき込みます。
「まず、下絵が大事なんですよ。このね、爪からかき始めるように指示するんです。一番描きたい物が、真ん中になるように指示してね...。」「へ~。」「うん、うん。すごいね~。」「これなんか、本物みたいだよね。よく見ているね~。」
「それからね、色を塗るときにはね、まず黄色を塗って、皮膚の下の色を付けとくんです。その上にね、色の濃いところには少し濃く、色の薄いところには少し薄く茶色をぬって、それでそれから筆から絵の具をとって、水だけでその今付けた茶色を、こう、こっちの方向へ広げていくんです。」「それからね、皮膚の中には血が通っているでしょ、だから血の色の赤をね、こうした皮膚の薄い部分に入れて、それをまた水で...。」「へ~。」「うん、うん。すごいね~。」「これなんか、本物みたいだよね。よく見ているね~。」
「この、爪のところはね、3色の色を作っておいてね..........。」...。」「へ~。」「うん、うん。すごいね~。」「これなんか、本物みたいだよね。よく見ているね~。」
「最後に、この手のしわや、影の部分だけど、それはね.....。」「へ~。」「うん、うん。すごいね~。」「これなんか、本物みたいだよね。よく見ているね~。」
「でもね、なんか、こう、固くなっちゃうんだよね。もっとこう......、柔らかく....。」「...............。」「すごいとおもうなあ.........。」
平野先生は、他の他の先生方に見てもらい、褒めていただくかわりに、もっとこうしたら良いという指摘ももらって、今後の指導に生かしたいと考えています。しかし、あまりに絵のレベルが高くて、私たちではどう指摘したらいいのか、すぐには分かりません。
そこで、平野先生は、絵の指導が専門の大桑先生のところに絵を持っていきます。大桑先生の机は中学年部にあるので、今度は中学年や低学年の先生達が集まってきます。
「まず、下絵が大事なんですよ。このね、爪からかき始めるように指示するんです。一番描きたい物が、真ん中になるように指示してね...。」「へ~。」「うん、うん。すごいね~。」「これなんか、本物みたいだよね。よく見ているね~。」
「それからね、色を塗るときにはね、まず黄色を塗って、皮膚の下の色を付けとくんです。その上にね、色の濃いところには少し濃く、色の薄いところには少し薄く茶色をぬって、それでそれから筆から絵の具をとって、水だけでそのいま付けた茶色を、こう、こっちの方向へ広げていくんです。」「それからね、皮膚の中には血が通っているでしょ、だから血の色の赤をね、こうした皮膚の薄い部分に入れて、それをまた水で...。」「へ~。」「うん、うん。すごいね~。」「これなんか、本物みたいだよね。よく見ているね~。」
「この、爪のところはね、3色の色を作っておいてね..........。」...。」「へ~。」「うん、うん。すごいね~。」「これなんか、本物みたいだよね。よく見ているね~。」
「最後に、この手のしわや、影の部分だけど、それはね.....。」「へ~。」「うん、うん。すごいね~。」「これなんか、本物みたいだよね。よく見ているね~。」
「でもね、なんか、こう、固くなっちゃうんだよね。もっとこう......、柔らかく....。」「...............。」「すごいとおもうなあ.........。」
平野先生は、他の他の先生方に見てもらい、褒めていただくかわりに、もっとこうしたら良いという指摘ももらって、今後の指導に生かしたいと考えています。しかし、あまりに絵のレベルが高くて、私たちではどう指摘したらいいのか、すぐには分かりません。だから、大桑さんに見ていただき、もっとこうしたらいいという指摘をしてほしいのです。
でも、大桑先生は控えめな方なので、「すごいですね。この質感なんか、本物みたいですね。」と褒めてくださるものの、なかなか平野先生のほしいヒントを言っていただけません。
仕方がないので、私が声を出します。「今、平野さんが言ったのは絵の指導技術だと思うのね。でも、それをあまりに求めていくと絵を描かせる研修になると思うんだ。私たちがやっていきたい研修は、もちろん全員に満足する絵を描かせることなんだけど、それは教え込んで達成するのでなくて、互いに学びあって、高めあってそこへ持っていきたいと考えていると思うんだ。そのあたりは、どうやったらいいか..........、絵の指導が得意な森島さんならどうやります?」
森島先生は、「私なら.....いい絵、いい部分があったら、『み~んな、来てごらん。』ってあつめて、ほらここのところね、この塗る方向と色の濃さを見てごらん、どう思う。』ってみんなに聞いてみて、答えさせてみてから『すっごいねえ。まねしてみたいねえ。』って広めていくのかなあ...。」と私の意図をくんで、答えてくださいます。
「そこのあたり、平野先生はどうしているの?」と私が訪ねます。「う~ん、みんな集中しているから、一度作業をやめて、『みんな見てごらん。』って言っても、だれも見ないなあ.....作業がとぎれたときに、友達のところに行って、個々に『ここすごいね。どうやったの。』って聞くぐらいかな。」と答えます。「先生が、いい絵を広めたら、もっと早く、大勢に人に友達の言い部分が広められると思うのだけど...。」と切り返してみます。「う~、ぼくもね、子ども達の中に入り込んで、ここはどう塗ろう、どんな色を作ったらいいかって、試行錯誤しているからね、そんなに全体に呼びかける暇も.全体も見えていないし....。」
そんな、本音の部分が出始めると、大桑さんも言いやすくなります。少しずつ言葉が鋭くなっていきます。
「先ほど、平野先生が、『下地に黄色を塗って....。』っておっしゃいましたけど、それもいいけれど、皮膚の下には血が流れているじゃないですかあ、だから、薄く赤く塗ってから、その上に皮膚の色を付けるのもいいんじゃないかしら....。」
「それから、この影が固くなるってことだけど、この子の影は柔らかいですよね。それはね、この子が、藍色で影を付けているからだと思うんです...。」
「ふ~ん、さすが専門家。いいこというなあ。」でさらっと流れていきます。が、ここがきっと平野先生の知りたい、もっと高度な指導に結びつける部分だと感じました。そこで.....
「大桑さん、今のところ、大事だと思うんだ。ここに2枚の絵があるでしょ。こっちの影と、こっちの影と柔らかさが違うよね。それは、どうしてかをみんなに解説してくれない?」とつっこんでみます。
しばらく、黙って大桑さんは絵を眺めます。
そして「ええとね、こちらの絵は黒で影を入れてますよね。こっちは紺色なんだけど、黒だとはっきりしてしまって、くっきりしてるでしょ。でも、ほら、こっちの絵のこの部分、藍色だから、自然な感じでしょ。それも濃い藍色とそれを水でのばした薄い部分があるから、立体的に感じますよね。」「じゃあ、影は黒ではなく、藍色や紺色を使うといいの?」「ええとね、まずは、濃い色で付けたらいいと思うの。茶色とか....。同じ系統の色の濃い色と薄い色で立体的に色を付けます。木だって、こっちが濃い茶色で、こっちが薄い茶色でって....。それで、その中でも濃いところには、紺色をその上からかぶせていくといいと思います。それからね、反対に光が当たって明るい部分は、白を混ぜた色を重ねていくとさらに立体的に......。」
やっと、平野先生の求めていた次へのステップの部分が見えてきます。
大桑さんが言います。「それにね、この指の線だけど、こうなっているでしょ。でもよく見ると、指って3つの区切りがあって、線がこうなっていますよね。だから色を塗るときにも、こうやって流して塗るんじゃなくって、こうやって、こっちの方向へ塗っていくだけでもっと盛り上がっていくでしょ。」「それからね、影ですけど、例えばこの爪の下だってよく見ると皮膚との間があるはずですよね。こうしたところにも、ちょっと藍色の線が入ると、あの、そんなに濃く入れちゃあだめですよ、でもちょっと入れるともっと本物みたいになりますよ。」
「それからね、この手のしわですけど、やっぱり固くて気になりますよね。でも、この絵は自然でしょ。それは、他の子はしわを焦げ茶色で入れているけど、この子は赤でしわを入れているんです。」と大桑さんの分析が続きます。平野先生が「そうそう、この子の手はね、赤いんですよ。色が白いからかな。だから、赤にしみようかって言ってみたんです。」
見ている私たちにも、実りの多い時間となりました。話題を提供してくださった平野先生にも(十分、私たちの届かないぐらい指導力があるのですけど....)さらに上の世界をかいま見ることのできた貴重な時間となったのではないかと思います。
職員室での先生方のつながりが本物ですね。斎藤喜博は、「教師同士の真のつながりは、仕事でつながらなければならない、一般的な世俗の話題や趣味、懇親会等でつながるのは、本当ではない。」というようなことを言っています。光明小のこのような研修での先生方のつながりは、本物といえるでしょう。