6年生のお子さんから、こんな質問を受けました。
紫式部は藤原道長の長女「中宮・彰子」に仕えます。
そして源氏物語をかきました。
でも、どうして藤原道長は、源氏を主人公にする物語を書くことを許したのですか?
藤原氏を主人公にすればいいのではないでしょうか?
困りました。
今まで、そんなこと考えたこともありませんでした。
どう答えていいか分からないので、とりあえずあれこれ調べることから始めています。
~前回の続き~
〔藤原氏はなぜ源氏より偉かったのか〕
おかしいと思いませんか?
だって、源氏は天皇の子どもです。(光源氏のモデルは、源融(みなもとのとおる)だと言う説が強いです)
それに対して、藤原氏は、天皇の家来です。
ですから、本来なら源氏の方が藤原氏よりも偉いはずです。
源氏も、最初の一人は、ほとんどが偉い地位(右大臣など)になっています。
源融も右大臣(今の副総理大臣ぐらい)になっています。
これは、お父さんが天皇ですから当たり前です。
この人たちは、藤原氏と互角に渡り合っています。
しかし、その子ども、その孫になると、もうあまり偉くなれません。
藤原氏の方がよほど偉くなります。
藤原氏が、自分の娘を天皇のお嫁さんにするからです。
そのお嫁さんが赤ちゃんを産みます。
やがてその赤ちゃんが若者になります。
若者が天皇になると、まだ政治のことがよく分かりません。
そこで、経験豊富なおじいさん〔藤原氏)が、その若者=天皇を助けます。
天皇を助けるのですから、とても偉くなります。
そして威張ることができるのです。(これを外戚といいます。)
今の日本は、結婚すると奥さんがだんなさんの家族になることが多いです。
でも、この時代は今とは反対でした。
結婚すると、たんなさんが奥さんの家の家族になったのです。
このことが、外戚の背景にあります。
○○さんも、おじいさまのことを尊敬しているでしょう。
物知りだし、困ったときには助けてくれます。
おじいさまが教えてくれれば、そうだなと納得するでしょう。
○○さんのご両親もおじいさまのことを尊敬しているでしょう。
丁寧な言葉で話したり、お風呂を先に入ってもらったりするでしょう。
天皇家でも同じです。
家族はみな、おじいさんを尊敬するのです。
藤原氏は、娘を天皇のお嫁さんにすることで、自分が天皇の父親だったり、天皇のおじいさんだったりになります。
それを利用して、偉くなったのです。
藤原氏は、娘を、天皇のお嫁さんにしようとあの手この手をつかいます。
お化粧をしたり、きれいな着物を着たりして美人になるのはもちろんです。
それだけでは、たくさんの女の子の中から、天皇のお嫁さんになれません。
天皇の話し相手になれるように、知識が豊富でなければなりません。
だから、家庭教師をやとって、たくさん勉強させます。
頭のいい女の子、知識の豊かな子、歌や文学のできる女の子に育てます。
すると、天皇が、あの女の子は、きれいだし、歌も読めるし、いろいろな学問も知っている。
言うことないなあ.......とお嫁さんにしてくれるのです。
そうなるように、
娘を才能豊かにしてくれる、優れた家庭教師を雇うことは重要なのです。
その、優れた家庭教師が、紫式部であり、清少納言なのです。
〔紫式部は、なぜ藤原道長の娘の家庭教師なのか〕
藤原道長には、お兄さんがいました。
そのお兄さんは、自分の娘を天皇のお后にししようとしていました。
天皇の子どもを産ませ、自分は外戚として偉くなることを狙っていました。
だから、自分の娘に、スーパー家庭教師をつけました。
そのスーパー家庭教師の名前を「清少納言」といいます。
藤原道長は、あせります。
道長も、自分の娘を天皇のお后にしたいと思っています。
天皇の子どもを産ませ、自分は外戚として偉くなることを狙っています。
天才である清少納言が家庭教師になったら、お兄さんの子どもはどんどん頭がよくなります。
このままでは、お兄さんの娘が天皇に気に入られてしまいます。
お兄さんが偉くなって、自分は偉くなれない、とあせるのです。
道長は、清少納言よりもっと素晴らしい家庭教師を捜します。
自分の娘の家庭教師にしたいのです。
だれか、いい人はいないかなと探します。
いました。
今人気の「源氏物語」を書いている、紫式部です。
紫式部は、「源氏物語」を書くぐらいですから、日本の文学にとてもくわしかったです。
歌人といって、短歌を作る仕事もしていました。
漢文という中国の文学にも詳しかったそうです。
藤原道長は、「清少納言」に勝てる立派な家庭教師は、「紫式部」しかいないと、思いました。
だから、家庭教師になってもらったのです。
また、紫式部も、藤原氏です。
同じ一族ですから、頼みやすいです。
あの人に任せれば安心です。
そんな事情があって、紫式部が、道長の娘の家庭教師になります。
ということは、紫式部は、藤原道長の娘の家庭教師になる前から、すでに「源氏物語」を書き始めていたようです。
源氏物語は、「光源氏」という源氏の若者が主人公です。
源氏を主人公にしている物語を書いていると知ったうえで、「紫式部」をやとったのです。
もともと、藤原道長は、源氏物語がきらいではなかったのです。
よく、紫式部の所に道長が行ったそうです。
「なるほど。前回の結末は、こうなるのね。」
「これは、俺のことをモデルに書いているみたいだなあ。」
「早く、この続きを読みたいなあ。続きを書いてね。」
なんて、話したそうですよ。
当時、紫式部は結婚しただんなさんを亡くしています。
これからどう生きていこうかと心配していた「紫式部」にとっても、高貴なお姫様と共にくらせることは、とても名誉なことでした。
自分の才能を、やっと生かせる機会を与えられたと、喜んだかもしれません。
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