
今日の2時間目。ここに、小さな算数の物語を見つけました。
まず、始まる前の休み時間、
「今の時間の、これ分かりやすかったけど、ここが分かってなかったよね。」「明日は、もう一度ここから、今度はこっちをこうして説明して.....。」と次の作戦会議をしている先生達がいます。
2時間目が始まりました。寄り添う先生がいます。でも、教え込んでいるわけではありません。静かに見つめ、子供の話をよく聞いています。子供は、先生に話しながら、少しずつ自分の答え方を見つけていっているようです。
何人かの子供が、「先生、かわんな~い。」と助けを求めています。先生が近寄ってきます。ここが分かんないと、素直に教師に分からないことを分からないと言える子供がいます。赤ペンを持ちながら、説明を始めますが、すぐにぴたりとそのペンが止まります。この子に、この教材を、どの順序ではなしたら一番分かりやすいのか、教師が思案しているのです。そして、もう一度、もっとこの子に分かるように、説明を始めます。
その後ろで「先生、まだか~。おれも、分かんないんだけど。」と手を挙げながら、その手が重くなって、でもにこにこ待っている子供がいます。
こちらのクラスでは、プリントの途中でプリントをやめ、自分のノートをめくり、じっと見つめている子がいます。ノートで調べているのです。分からないぞ。どうしよう。そうだ、昨日はどうやったか、ノートを調べてみようと思ったのです。しばらくノートを見つめた後、消しゴムで全てを消し、もう一度最初からやり直します。迷いはありません。これで解けるという確証を、ノートから見つけたのでしょう。ノートが学びの参考書になっているのです。
先生が、「これじゃあ、だめ。この中に、黒と赤と青を入れてみると分かるから、席に戻ってもう一度入れてみてごらん。」とアドバイスしています。
彼はもう一度席に戻り、まず、線分図・テープズに赤と青を入れてみます。そうしてみると、問題文の中の構造が見えてきます。まず黒があって、それから赤の部分がきて、最後に青の部分を「何ぼんですか?」とか「何cmですか?」とかいれればいいのか~と気づいてやり直します。
確かにここに、子供がいます。
確かにここに、先生がいます。
確かにここに、教材があり、
確かにここが、学ぶ場になっています。
確かにここに、先生がいます。
確かにここに、教材があり、
確かにここが、学ぶ場になっています。
子供や教師の声が聞こえてきます。