光明小が、はりのある小学校であり続けるために、いくつもの仕掛けがあります。
朝の、校門で、玄関で、職員室で、教室での明るいあいさつもその一つです。
ということは、それなりの仕掛けがあるからです。あいさつとは、人が人に対して行うものです。だれもいないところであいさつなんてするはずがありません。(場所に対してあいさつをやらせたら、無表情な子ども達が育ちます。)じゃあ、当番を決めて、校門や昇降口に誰かが立つ?これも、長続きするわけがありません。やらせになってしまいます。
だれかが、あいさつを広めるために、「しかけ」を仕掛け、子ども達にあいさつが広がるように仕掛けているのです。
職員室だって、部屋に向かってあいさつしたら、なんか変です。本校の子ども達は、職員室にいる近くの先生に向かって「失礼しま~す。」と入ってきます。職員も、誰かが必ず「は~い。」と返事を返します。反応があるから、次回からも、「失礼しました。」と自然な声が出ます。
教室に入ると子ども達は、すぐに着替え運動場に出て走ったり、遊んだりして、朝のひとときを過ごします。これも強制ではありません。日課で朝マラソンが組まれているわけではありません。
でも、朝のすがすがしい時間を元気に過ごすには、やはり仕掛けがあるのです。
例えば、教頭先生は昇降口の前の運動場に、いつも竹箒で大きな漫画のキャラクターを描いています。描くのが遅れると大変です。「ねえねえ、今日は何の絵を描くの?」「速く描いてよ~。」1~2年生が、教頭先生を何重にも取り巻き矢のような催促です。
この絵が楽しみで、外に出てきてしまうのです。
体育主任は、みんなが外へ出る前に、トラックをブラシでならし、美しい白線を引いておきます。一番に走った子が、自分の足跡を残すことができて気持ちいいだろうなと思いながら。
だから、7時45分にもなれば、校舎内にはだれもいません。
さらに続けると、なんだか走らないとおかしいような感じになってくる。これがその人間の条件反射となり、法律となって、他から見ると実に苦しそうに見えるが、本人は何とはなしに毎日走ることができるようになるのである。学校の文化も築くのは大変であるが、継続していけば当たり前の文化になる。子どもの指導も同様である。学校づくり、子どもづくりとは、そういうものであるように思う。
もう一つ大切なことは、教師が学校全体や子どもに何かを仕掛けようとする意欲があるか、そして、仕掛ける内容を持っているかどうかだと思います。