![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/96/17e47ee8e9fb8845ac1c71dbfed4a0c1.jpg)
昼食を食べて出てきたところです。
「あゆ雑炊膳」(あゆ雑炊、塩焼き、小鉢、香の物) ¥1600 を食べました。
あゆ雑炊が好きになりました。
土産に小あゆの甘露煮を購入。
次の地図の黄色の線に沿って番号順に歩いています。
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あゆのきむらの店から、夢京橋キャッスルロードを南へ歩きます。
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いつもこんなに人が多いのでしょうか?⋯⋯⋯。
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それにしても町家の風景が統一していました。
いかにも小江戸です。
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こんなところで、占いの店があります。
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旅の思い出に手相をみます⋯⋯⋯。
300円とはやすい。
私も手相をみてもらおうと、少し待っていたのですが、空きそうにないので諦めました。
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「菓心おおすが」があります。
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おみやげに、三十五万石(もなか)と金亀を詰合せてもらいました。
立派な蔵かと思っていたら、ギャラリーの文字が⋯⋯⋯。
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さらに南へ歩くと「 #宗安寺 」がありました。
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初代彦根藩主 #井伊直政 が、上野国から移した寺。
この赤門は、 #佐和山城 の正門が移築されたということです。
朱塗りは後から塗ったようです。
高さがあるのは、馬に乗ったまま通るため。
#石田三成 や #島左近 が通ったのでしょうね。
歴史を想い浮かべました。
中に入らせてもらいました。
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本堂だと思います。
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「 #木村重成公 首塚」の文字と赤い順路の矢印が⋯⋯⋯。
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手をあわせて、⋯⋯⋯⋯⋯。
木村重成は、1593年に木村重茲の子として生まれます。
母が豊臣秀頼の乳母となったため、幼いときから秀頼の小姓として仕えました。
今の言葉で言うと、イケメンで有名です。
成長すると、武士として名を高めました。
大坂の陣では、豊臣方の武将として、#真田丸 の攻防戦にも参加します。
1615年の大坂夏の陣で、井伊家の家臣の安藤重勝に討たれ、その首は安藤氏の菩提寺である宗安寺に⋯⋯⋯。
寺の外へ出ます。
宗安寺の「黒門」がありました。
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江戸時代に、日本は李氏朝鮮と国交を開いており、李王朝からの使者の通信使一行数百名が来ました。
幕府への往来途中に、この彦根に泊まり、特にこの宗安寺は、その正史ら高官の宿泊所となります。
この黒門は、その時の御馳走搬入の勝手口に使われたと伝えられています。
この彦根を巡るウォーキングでは、博物館や天守、庭園に入り、ゆっくり見学したので、思いのほか時間を使ってしまって、もっと行きたいとこがあったのですが、諦めて駅へ戻ります。
はじめに予定してないところから戻ったため、道に迷いながら駅を目指します。
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突然、好きな建物がたくさんある、雰囲気が違う場所に出会いました。
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「たねや」の文字が見えます。
お菓子の店のようです。
確か、近江八幡にも同じ名前の店があったのを思い出しました。
すると、すぐ隣に、「クラブハリエ」があります。
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この店も近江八幡にもありました。洋菓子の店です。
この区域は、なにか雰囲気が少し違いました。
予定した帰りの電車の時刻が近づいているので、彦根駅へ急ぎます。
再び、なんとか彦根駅へ戻れました。
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