ウォーキングと旅行でのひとり言

西国街道の宿場町 矢掛 その1

備中高梁への1泊2日の旅行の2日目、午前中に備中松山城に登って、12時には備中高梁駅に戻ってきました。


予定より時間が余ったので、播州赤穂への帰りに「矢掛(やかげ)」によることにしました。


ここから、伯備線に乗り、清音(きよね)まで行き、そこで、井原鉄道に乗り換えます。








この電車で、清音から矢掛まで行きました。





黄色の線に沿ってウォーキングします。ここは2回目で、少し、道がわかります。ゆっくり、楽しみながら歩きました。こういう時は、周りの景色を観察しながらゆっくり歩くのが好きです。





最初の目的地の「矢掛郷土美術館」に向かっています。





美術館に着きました。中に入りたかったのですが、時間の関係で諦めました。入っても、ゆっくり鑑賞することができません。










この道を進み、「本陣会館」のところを過ぎて、右へ曲がりました。すぐのところに「石井醤油店」があります。





100年以上続く店で、すべて手作業で作られた醤油で、大量生産ができないそうです。最低1年以上醸造させた醤油を少しづつ絞って、販売するそうです。


この前の道の「本陣通り」を西の方へ歩いてみました。














狭い小路があったので、興味があって入っていくと、「観音寺」がありました。





真言宗のお寺です。





元の通りへ戻り「本陣通り」を東へ進みます。











「本陣 石井家」に着きました。







大名の参勤交代によって、この町は栄えます。


当時の特徴が今でも残っているそうです。


本陣の中が見学できるので、入りました。











団体さんが大勢いらっしゃったので、にぎわっていました。


途中から、ボランティアの説明の人が案内してくれました。





ボランティアの人が私に問題を出します。「ここの風景、建築的に少しおかしいところがあるのですが、わかりますか。」


しばらく考えました。そして、梁を支える柱が足りないことに気がつきました。


解説の人が説明されたのですが、地震が何度もあったが、びくともしないそうです。理由は調べてもわからないそうです。





最近のバリアフリーと違って、わざと段差をつけているそうです。何故だかわかりますか。


くせものが侵入した時、ここでつまずくように罠をかけているそうです。なんせ、大名が宿泊するので警護のためです。





向こうに見えるのが「御成門」です。






大名が、宿の前にかかげた「宿札」、泊まった後は、置いていくそうです。


達筆で、字が読みにくいですね。有馬中務………、松平肥前守休。













前に見える戸の絵は、こちらにしか描いてないそうです。何故か、こちらは「上段の間」、参勤交代の主がおるところ。





上段の間、書院造。





床と違い棚。









石井家の生活の場の方へ来ました。










この真ん中あたり、中二階の小さな部屋に「使われていた人」がいたそうです。





その部屋に入る階段です。外からしか鍵がかけられないそうです。何故か。


「使っていた人」が逃げないように。





江戸に向かう篤姫もここに泊まったそうです。

ここのお菓子「柚餅子」をたくさん注文されて。美味しかったそうですよ。







石井家は、江戸時代初め頃から本陣職を務めながら、元禄年間頃からは酒造業も営んでいたそうです。







裏の風景です。







充分見学させてもらって、ボランティアの人にも世話になりました。


外へ出ました。






ここから、矢掛宿のウォーキングはまだ続くのですが、長くなるので、次回にひきつぎます。
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