ウォーキングと旅行でのひとり言

姫路市妻鹿 黒田官兵衛ゆかりの地を歩く その2

元宮八幡神社の境内から出てきたところです。






次の地図の黄色の線に沿って番号順にウォーキングをします。





(今は②番の位置です。)

これから、次の目的地の「国府山城」に登る登山口の「荒神社」を目指します。

元宮八幡神社の前の通りで、行く先を見た風景です。





(左の大きな家は地図のFの位置)


この通りをしばらく西へ歩きました。



このすぐ先の四つ角を右に曲がります。





曲がったところの風景





ずっと向こうに見える山に「国府山城(こうやまじょう)」があリます。



しばらく歩いて、ここを左に曲がりました。





ここにも案内看板があります。(看板のある位置が地図のGの位置です。)

(この案内看板は、非常に助かりました。)


曲がって、歩いて行くと、「荒神社」につきます。








石段を上がって境内へ入ります。

「妻鹿城址(国府山城趾)」の石碑がありました。






その近くに、「荒神社」の石碑……。





ここの左の石段を上がって行くと、荒神社がありました。





神社に来ました。





この神社は、奥津彦命・奥津姫命を祀っています。


ちなみに、この境内にも「目薬の木」が植えてあります。

司馬遼太郎が書いた「播磨灘物語」で、黒田官兵衛の祖父の重隆が、山上の広峰神社で暮らしながら「目薬の木」を育てている場面が出てきます。

目薬の木から目薬を作り財を成したと記されていました。

(黒田官兵衛ゆかりの地のいろんな場所に目薬の木があります。)


この場所で、ゆっくり休んでいると、、近所の方にお会いしました。

この神社の世話をされているような感じです。


この男性から話を聞けました。

黒田官兵衛について、いろんな話をうかがいました。

私が、「国府山城に上がるつもりである」といいますと、「草の丈が高くなっている場所があるので気をつけて上がってください」とのことです。








建物は、まったく残っていません。

城の痕跡を見に行くという雰囲気。

石垣等はあると思います。


この荒神社が登山口になります。








山道を登っていきます。

(だいたいの様子を先ほどの男性から聞いていたので不安はありません。)





城跡の赤い矢印がありました。





今、どのあたりを歩いているのかわかりません。





脇道もあるので、少したいへんでした。

案内の赤い矢印発見。





「井戸跡」にきました。





石組みで、井戸の痕跡があります。


さらに、先へ歩きます。





「かまど跡」





男性が話されていた「丈が高い草の場所」にきました。





話を聞いていないと、先が見えにくくて不安になるので、引き返していたかもしれません。


「馬駆け」





(馬を鍛えるために、馬をかけさせていた場所でしょうか?…………)


「甲山経塚跡」








経塚とは、経文を経筒に入れて土中に埋納した遺跡です。





さらに、登っていきます。





「廓跡」がありました。





先へ、進みました。








また「廓跡」です。





「土塁跡」






「二層の隅櫓跡」








「主廓」





一番高いところに出たようです。

(本丸跡と想像しました?………………。)



下に市川が見え、さらにその向こうにちいさく姫路の街が見えました。





道がわからないところを、登山したので、少しくたびれました。

下の荒神社から、約40分かかっていました。


休憩します。(お茶を飲みます。)
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