ウォーキングと旅行でのひとり言

奈良 城下町大和郡山を歩く その8

源九郎稲荷神社から出てきました。






これから、次の観光ポイントの「外堀緑地」に行きます。


次の地図の黄色の線に沿って、ウォーキングを続けます。





神社に入ってきた道を戻りました。





ここをまっすぐ行くと、元来た道です。

ここで左に曲がって、1本西の筋へ行きました。


ハイキングMAPにある目印の「大信寺」を見つけます。








この通りを、北へすぐのところに、「町屋物語館(旧川本邸)」がありました。








大正11年に建てられた木造3階建です。

細い格子がはまった、元遊郭の建物で、その当時、一世を風靡しました。

昭和33年に廃業し、その後は下宿となり、客間は貸間として利用されました。

内部には、意匠を凝らした欄間や上質な数寄屋造りの小部屋など特殊な建築技法を各所に取りいれ、素晴らしい造形美が見られるそうです。

平成30年から一般公開されていますが、この日は月曜日で、あいにく休館でした。


この通りの突き当たりに、「浄慶寺」があります。











間違わずに順調に歩けているみたいです。



ここから、新紺屋町の、入ってきた信号のある交差点に戻り、その太い通りを南へ歩きました。

しばらく歩くと、「外堀緑地」に到着します。





入り口の南門です。

郡山城の柳大門を再現したもので、「高麗門」と呼ばれていました。





「箱本十三町」を描いたMAPがあります。

この門を通って、中に進みます。














塀の遠くむこうに見える建物は、「実相寺」。



天正8年(1580)に,筒井順慶によって郡山城の築城が始まり、1585年に入城した豊臣秀長の時に本格的に進められました。

さらに、その後、文禄4年(1595)になると、秀吉の五奉行のひとりの増田長盛が20万石で入城し、外堀の普請を開始します。


外堀は、秋篠川や佐保川を利用し、丘陵の断崖や溜池を巧みに利用して、総延長50町13間(約5.5km)になりました。

城下全体を外堀で囲んだことになります。



近現代に至り、外堀や土塁も失われてきましたが、残された外堀を憩いの場所にしたのがこの「外堀緑地」です。


この緑地を楽しみながらゆっくり歩きました。








堀に水がありませんが?………………。


緑地内にあった「郡山南小学校」。





ハイキングMAPに、この小学校名の記載がありました。(道は間違っていないようです。)











右側に見える素敵な建物はトイレでした。








ここは、堀に少し水が入っているようです。





普通は、水が全体にもっとあると思います。





左手に蔵があり、その先に休憩所の四阿(あずまや)がありました。





ここで少し休憩した後、最後のラストスパート……、JR郡山駅へ向かいます。








出口の北門近くにあった良玄禅寺です。





北門です。





北門は冠木門と呼ばれていました。


「郡山城外濠跡」の立派な石碑があります。






ここから郡山駅は、そんなにかかりませんでした。






ここが、ゴールになります。

源九郎稲荷神社からは約40分経過しています。



本日の大和郡山のウォーキングは、総歩数が約23000歩になりました。


この駅から約2時間かけて、自宅のある播州赤穂駅へ戻ります。

少しくたびれました。










名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「旅行」カテゴリーもっと見る