ウォーキングと旅行でのひとり言

奈良 橿原 八木町 散策 その2

おふさ観音から出てきたところです。





薔薇が素敵でした。


ここからきた道を戻って、「八木札の辻交流館」に行きます。


次の地図の黄色の線に沿って歩いていきます。





中街道を戻っていきました。

今度は北へ歩きます。


雨がしとしと降っているので、こういう時のウォーキングは嫌ですね。


約30分ぐらい歩いて、畝傍駅の前を通る大きな道路と交差するところまできました。





歴史を感じさせるような酒造の会社がありました。

岸の竹酒造です。





まっすぐ行くと、中街道で、おふさ観音への、今やってきた道です。

左右の道路が、畝傍駅からきているものでした。


この道路を渡って、北へ歩きます。


さっそく、中街道の左手に、古い町並みがあります。





右手には…………。





今度は、左手に素敵な町屋がありました。





今井町は、古い建物を愛する人たちには、わりと有名ですが、こちらの中街道沿いの建物はあまり知られていません。





次から次へ現れる魅力的な建物に、カメラのシャッターを切りっぱなしになりました。


北へ、ゆっくり歩いていきました。



二階の窓のデザインが変わっています。





丸に十ですね。


学校帰りの学生さんでしょうか。








約10分ぐらい、ぶらぶら歩いて、「岡本家住宅」にきました。





岡本家は、明治期から昭和中頃まで、当地で呉服・反物の卸業を営んでいました。

主屋は、店舗兼住宅として使用されていたそうです。


ここから、少し北側にある「福島家住宅」です。





この家は、高取藩の下屋敷として、参勤交代の起点となった家で、御殿部屋が残っているそうです。

享保10年(1725)の棟札がありました。


さらに、少し北へ歩きました。

右側の風景です。





直ぐ先に、「谷三山生家」がありました。





小路を挟んで、左側の家がそうです。

素敵な路地ですね。





谷三山は、幼いときに聴力を失いながらも、私塾「興譲館」を開き多くの門下生を輩出した幕末の儒学者です。

吉田松陰等の諸国の名士が来訪しました。


ここからさらに北へ歩くと、中街道と伊勢街道が交差した場所にやってきます。





ここは、「八木札の辻交流館」です。

東の平田家と言われ、昔は旅籠でした。

一般公開されています。


中に入って、見学したいと思います。
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