古代、政治の中心地だった奈良盆地は、早くから多くの幹線道路があったようです。
都から大陸への玄関港である難波の津を結んでいたのが「横大路」、藤原京から北に向かっては「下ツ道」、この2つの道がここで交差していました。
「札の辻」とは、高札場のある辻という意味になります。
(高札場とは、昔に、掲示板のあった場所をいい、辻とは、交差点のことを言います。)
江戸時代には横大路は伊勢街道と呼ばれ、江戸時代中期以降「八木札の辻」界隈は、伊勢参りや大峰山への参詣巡礼などで、賑わっていました。
もちろん、ここの旅籠は大いに栄えます。
中に入りました。
入り口にある部屋を見ています。
1階は、接客の部屋と主人の居室部分がありました。
石灯籠のデザインがおもしろかったので撮影しました。
いろんなものが彫ってあります。
襖の絵
いつの時代のものでしょうか?…………。
係りの人が丁寧に説明してくださったのですが、午後になって疲れてきたので、頭に残りません。
(これからは音声レコーダーをまわさなければ………………。)
次は、昔使われていた井戸を覗き込んだ写真ですが、暗くてわかりにくい……。
二階へ上がります。
部屋の欄間
二階は、旅人の宿泊の部屋でした。
街道筋に面する2階には、手摺のついた縁(高欄)をぐるりとめぐらせていました。
高欄から、前の「西の平田家」を見た風景です。
二階から一階への階段。
旅人が、夜中に逃げないように、板を下ろして、階段を使えないようにしたみたいでした。
すごい梁です。
この建物は総2階建てで、ほとんどの柱が1階から2階までを、1本の柱で支える「通し柱」でした。
この旅籠は、18世紀後半から19世紀前半に建築されたと推測されています。
係りの人の丁寧な説明にお礼を言って、ここをあとにしました。
次の黄色の線に沿って番号順に歩きます。
下ツ道(中街道)をさらに北へ歩き、「河合源七郎家住宅」、「河合家住宅」に向かいました。
ゆっくり、ぶらぶら歩いても数分で着きました。
手前が、「河合源七郎家住宅」、蔵の向こうが「河合家住宅」です。
「河合源七郎家住宅」は、初代河合源七郎によって、明治20年代後半に町屋とした主屋を建築し、さらに、大正になって離れ座敷や茶室がつくられます。
「河合家住宅」は、絞り油屋を営んでいました。
少し北へ歩いた所から、南の方を見た風景です。(手前の建物が河合家住宅)
ここから、中街道を引き返します。
最後の観光ポイントの「延命院八木寺」に向かいました。
約15分ぐらい歩くと、延命院八木寺に到着……。
ここで、最後の観光を終えて、畝傍駅へ戻ります。
今日は、午後、あまり天気が良くありませんでした。
これからJRで奈良駅へ行って、駅のすぐ近くのスーパーホテルに泊まります。
天然温泉でゆっくり足の疲れをとります。
ちなみに、今日一日(今井町と八木町)の観光で、歩数計は18000歩を記録しました。
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