ウォーキングと旅行でのひとり言

奈良 橿原 八木町 散策 その3

今、八木札の辻交流館の前にいます。





古代、政治の中心地だった奈良盆地は、早くから多くの幹線道路があったようです。

都から大陸への玄関港である難波の津を結んでいたのが「横大路」、藤原京から北に向かっては「下ツ道」、この2つの道がここで交差していました。

「札の辻」とは、高札場のある辻という意味になります。

(高札場とは、昔に、掲示板のあった場所をいい、辻とは、交差点のことを言います。)

江戸時代には横大路は伊勢街道と呼ばれ、江戸時代中期以降「八木札の辻」界隈は、伊勢参りや大峰山への参詣巡礼などで、賑わっていました。

もちろん、ここの旅籠は大いに栄えます。



中に入りました。





入り口にある部屋を見ています。

1階は、接客の部屋と主人の居室部分がありました。















石灯籠のデザインがおもしろかったので撮影しました。





いろんなものが彫ってあります。


襖の絵




いつの時代のものでしょうか?…………。

係りの人が丁寧に説明してくださったのですが、午後になって疲れてきたので、頭に残りません。

(これからは音声レコーダーをまわさなければ………………。)





次は、昔使われていた井戸を覗き込んだ写真ですが、暗くてわかりにくい……。








二階へ上がります。


部屋の欄間











二階は、旅人の宿泊の部屋でした。


街道筋に面する2階には、手摺のついた縁(高欄)をぐるりとめぐらせていました。





高欄から、前の「西の平田家」を見た風景です。





二階から一階への階段。





旅人が、夜中に逃げないように、板を下ろして、階段を使えないようにしたみたいでした。


すごい梁です。

この建物は総2階建てで、ほとんどの柱が1階から2階までを、1本の柱で支える「通し柱」でした。

この旅籠は、18世紀後半から19世紀前半に建築されたと推測されています。






係りの人の丁寧な説明にお礼を言って、ここをあとにしました。


次の黄色の線に沿って番号順に歩きます。





下ツ道(中街道)をさらに北へ歩き、「河合源七郎家住宅」、「河合家住宅」に向かいました。


ゆっくり、ぶらぶら歩いても数分で着きました。





手前が、「河合源七郎家住宅」、蔵の向こうが「河合家住宅」です。

「河合源七郎家住宅」は、初代河合源七郎によって、明治20年代後半に町屋とした主屋を建築し、さらに、大正になって離れ座敷や茶室がつくられます。

「河合家住宅」は、絞り油屋を営んでいました。


少し北へ歩いた所から、南の方を見た風景です。(手前の建物が河合家住宅)






ここから、中街道を引き返します。

最後の観光ポイントの「延命院八木寺」に向かいました。


約15分ぐらい歩くと、延命院八木寺に到着……。









ここで、最後の観光を終えて、畝傍駅へ戻ります。






今日は、午後、あまり天気が良くありませんでした。

これからJRで奈良駅へ行って、駅のすぐ近くのスーパーホテルに泊まります。

天然温泉でゆっくり足の疲れをとります。


ちなみに、今日一日(今井町と八木町)の観光で、歩数計は18000歩を記録しました。























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