ウォーキングと旅行でのひとり言

ひこにゃんの城下町 彦根 散策 その8

今、玄宮園の鳳翔台にいます。





この周りの風景です。

鳳翔台は周りより少し高い位置にありました。








ここから次の地図の黄色の線に沿って番号順に歩いていきます。






次の観光ポイントの「旧西郷屋敷長屋門」を目指しました。


内堀沿いに歩いて馬屋のある方向に戻ります。

内堀沿いの桜もすごいです。








馬屋のすぐ手前で左に折れ佐和口を過ぎてすぐに、井伊直弼の歌碑がありました。





あふみの海 磯うつ浪の いく度か

御世にこころを くだきぬるかな


安政7年(1860年)の正月、直弼は、正装姿の自分の画像を、絵師の狩野永岳に描かせ、この和歌を添えて、菩提寺の清涼寺に納めたそうです。

この歌は、彼が幕府大老として国政に力を尽くしてきたという心境を表していました。

しかし、直弼は、この二ヶ月後の3月3日、江戸城桜田門外で殺害されます。



ここから、今度は中堀沿いに歩きます。


しばらく歩くと、「旧鈴木屋敷長屋門」がありました。








この辺りの中堀に面している場所は、中級武士の屋敷のあったところだそうです。

1876年の「御城下惣絵図」によれば、この屋敷の規模は間口10間5尺、奥行き27間半とあり、現在の大きさと一致しているそうです。(1間は1.818m、1尺は30.303cm)

住人の禄高は、350石だったそうです。

長屋門の棟束に1862年の記述がありました。



さらに、中堀沿いを歩きます。


遠く向こうに「京橋」が見えてきました。






この辺りでは、大きな一眼レフを持ったわりと多数のカメラマンに会います。

プロの人もいるかも?⋯⋯⋯。

そのうちの1人が撮影していた場所で写真を撮ってみることにしました。





腕が悪いのであんまり良い写真ではないですね。



その京橋を渡って、京橋口門を通り西郷屋敷へ向かいました。





入ってすぐのところにあった雁木(長大な石の階段)。





多聞櫓のなかにあったもののようでした。

多くの城兵が一度に多聞櫓を駆けあがれるようにしたもので、城を守るためでした。

彦根城では、門跡の内側で、このような雁木をたくさん見ることができるそうです。


ここから少し歩くと、「旧西郷屋敷長屋門」に着きました。





彦根城下で、現存する長屋門の中で最大のものです。

正面の外観はほとんど旧形を保っていて、旧武家屋敷の面影を残していました。


西郷家は家康の命で、1582年から井伊直政の付け家老となって幕末まで仕えた家です。

禄高はおよそ3000石にもなったそうです。



ここから、少し戻って、さきほどの雁木の石段で、座って桜を見ながら休憩します。
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