「旧伴家住宅」の前から、ウォーキングを再開します。
伴庄右衛門は、江戸初期に活躍していた八幡商人でした。
八幡商人という言い方は、近江商人の中でも早くから活躍した人をいいます。
伴家の屋号は扇屋です。
寛永年間(1624から1645年 この頃の将軍は家光)に東京日本橋で店を出し、麻布、畳表、蚊帳を商いました。
今に残る「旧伴家住宅」は、7代目庄右衛門が1827年から1840年の十数年の歳月をかけて建築しました。
明治時代になり、当時の八幡町に譲渡され、その後、小学校、役場、女学校と変遷して使用されます。
現在は、整備事業をへて、公開されています。
黄色の線に沿って番号順に歩きます。
右側の、縦にまっすぐ走っている通りが新町通り、左右に通っているのが京街道門前通りです。
京街道門前通りを西へ歩きます。
ごく少し歩いて、伴家住宅の裏の方を見に行きました。
むこうに見えるのは、先ほど正面から見ていた伴家の横から見た風景だと思います。
手前には、蔵が見えますね。
ここから、京街道門前通りを西へ進みます。
この通りは、3つの商店街が集まって観音山、願成就寺の門前通りになっています。
しばらく行くと、「中村四郎兵衛邸」がありました。
扇屋(伴家のこと)に奉公していた四郎兵衛が、屋号の一字をもらい「扇四呉服店」として、この地に享保5年(1700年のはじめごろ、徳川吉宗の時代)に開店したことに始まるそうです。
現在も呉服店のようです。歴史がありますね。
ここからこの通りを左におれ、「池田町洋風住宅街」に行きました。
住宅街の一番北の建物です。
「旧近江ミッション・ダブルハウス」。1921年建築、2世帯の住宅。
2個の住宅がレンガ壁の境で、対象的な間取になっているそうです。
建築当時は、W・M・ヴォーリズの母親と、建築事務所の技師が住んでいたそうです。
洋風住宅街の風景。住宅のひとつです。
「旧ウォーターハウス邸」、1913年に建築。
ウォーターハウスは、早稲田大学の講師でした。
ヴォーリズとともに、「近江ミッション」の布教活動を行います。
3階建てみたいですね。中央に大きな煙突が見えます。
この住宅街は、大正時代にヴォーリズが建築した、アメリカ式住宅のモデルハウスが並んでいます。
アメリカの伝統的な建築様式のコロニアルスタイルだそうです。
ヴォーリズが、1921年に池田町に土地千坪を購入したそうです。
「吉田悦蔵宅」です。
ここから、通りを突き当たり、左に曲がって少し行くと、「市立八幡小学校」がありました。
白亜の素晴らしい建物です。
これも、ヴォーリズ建築かと思いました?
この建物は、大正時代に田中松三郎氏の設計になります。
最近、校舎を元の意匠を残して改築したようでした。
この近江八幡は、古い建物も、洋風の建物も楽しめる素敵な町でした。
八幡堀もよかったです。
古いものの保存状態が素晴らしいですね。
ここからすぐ近くのバス停から、近江八幡駅に戻り、今夜の宿がある草津まで行きました。
明日は、長浜の方へ行きます。
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松千代
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