上の案内図の①番の本堂にいます。
本堂の広縁に座って図の本堂の右側の庭を見ながら休んでいました。
これから、本堂の外へ出て、裏山の庭を見にいきたいと思います。
外へ出て来ました。
前に見えるは、ドウダンツツジの生垣です。
順路に従って、見学しました。
前に見えるは”願いの鐘”
先ほど広縁から見ていた庭
奥に進んでいくと……、
”関守石”とあります。
茶庭や露地や飛び石や延段の岐路に据えられる石です。
茶道の作法において、この石が置かれた時は、”これより中に入ることを遠慮ししてください”の意味がこもっていました。
知らないと、恥をかくかもしれませんね。
裏山の奥に歩きました。
”対来閣”です。
4畳半のお茶室……、城崎の来日山に対しているため”対来閣”と名付けたそうでした。
対来閣の近くにあったワジスケの木
上の方へ登って、歩きました。
”沢庵和尚塔所”
真ん中の一段高いところのものが沢庵和尚の塔です。
沢庵和尚は、東京品川の東海寺で73歳でお亡くなりになりました。
下に並んでいる墓は、歴代の住職のものです。
本堂の方へ戻って来ました。
本堂の広縁と、その前の庭です。
本堂とドウダンツツジ
素晴らしい紅葉でした。
宗鏡寺を後にして、『出石酒造酒蔵」に向かいました。
地図の黄色の線に沿って番号順に歩こうと思います。
(今は、12番の宗鏡寺)
西へ歩いて行きます。
少し歩くと、願成寺まで戻って来ました。
山門に達磨大師?が、まだおられました。
願成寺の道を挟んですぐ前に、”川崎尚之助供養の碑”があります。
川﨑尚之助(1836〜1875年)は出石出身です。
尚之助は、天保7年、本町に住む藩士の川崎才兵衛の家に生まれました。
江戸の高名な塾で洋学を学び、同門の会津藩士・山本覚馬と出会い、維新期の数奇な運命をたどることになります。
会津藩校の日新館では、会津藩の山本覚馬と共に洋学・砲術を教授し、覚馬の妹の八重と結ばれました。
この話は、平成25年の大河ドラマ「八重の桜」で、皆さんもご存知でしょう。
(頭の中に、綾瀬はるかさんの姿があらわれれました。)
ここから、どんどん坂を降って行きました。
案内標識のあるよつ角に来ます。
(地図のGの地点です。宗鏡寺を出てから約15分の経過です。)
ここを通って、さらに西へ歩きます。
向こうに、出石酒造が見えて来ました。
出石酒造の前に来ました。
すぐに中に入りたいのですが、その前に、酒造の建物を見てまわりました。
南側からの風景
出石酒造の前に戻って、中に入りました。
ここのお酒の名前の楽々鶴……、”ささづる”と読みます。
お酒の試飲をすすめられました。
その時飲んだお酒の味が素敵です。。
(本当に、今まで生きて来た中で一番美味しいと感じました。)
その時に、一緒に試飲した数人の人も同じ感想だったので、私は自分の舌に自信を持ちます。
迷わずに、楽々鶴(ささづる)を土産に買いました。
ビールもつくってられるようです。
ここから、次の観光目的場所の「出石資料館」に行きます。
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