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黄色の線に沿って行動します。
出雲街道を西へ向かってもどります。すぐ近くに、右側に「津山洋学資料館」がありました。
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古くから城下町として津山は栄えました。
文化も発展し、津山藩は、幕末から明治初期にかけて、多くの洋学者を輩出します。
「洋学」とは、西洋諸国の学問ということになります。
この時代は、西洋諸国が植民地を求めて、アジアに進出しようとしていた時期でした。
植民地政策に対する危機感があり、研究分野も医学だけでなく応用化学、社会科学と研究範囲が広がるのです。
このような時に、江戸幕府が倒れ、明治が始まります。
津山を中心とした美作は、江戸時代から明治初期にかけて、「宇田川家」や「箕作家」をはじめとした優秀な洋学者を輩出したのです。
彼らは、日本の近代化に多大な貢献をします。
この建物のすぐ隣に「和蘭堂」がありました。
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津山洋学資料館の敷地内にある観光案内所で、カフェもあり、津山の菓子や、小物、民芸品なども販売しているみたいです。(私の好きなワッフルもあります)
このならびに「箕作阮甫旧宅」がありました。
見学ができるので中に入りました。
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「箕作阮甫」は、津山藩の藩医です。
洋学が最も盛んであった時の学者として、中心の一人として活躍しました。
彼が14歳まで住んでいた家です。現在の建物は昭和51年に解体復元されたそうです。
彼は、ペリーの来航、プチャーチンの来航にも幕府特使に随行して、外交書簡の翻訳に活躍しました。
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ここを出て、西に向かって、歩きました。
すぐのところに、10以上ある「小路」のひとつの「大隅小路」がありました。
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この小路を行くと「大隅神社」があることから、この名があります。
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この辺りの風景です。
さらに西へ少し行くと、「福田屋小路」がありました。
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福田屋吉右衛門の屋敷があったことから名付けられました。
ここを見学している時、やってきた小さなバスが目に入りました。
津山駅と行き先にあります。瞬間に、乗ることにしました。
これに乗って、駅まで帰ることができました。
次のブログで、駅から、「津山まなびの鉄道館」に行きます。