古河駅です。駅の観光案内所で、丁寧なアドバイスと観光地図をもらって散策に出発します。
黄色の線に沿って番号順に歩きます。
古河も初めてきました。興味津々です。
駅からまっすぐしばらく歩くと、商店街の真ん中に、「本陣跡」の石碑だけがありました。
旧日光街道がここを通っていました。
ここから南へ歩き、すぐの交差点を右に曲がります。
ここは「江戸町通り」というみたいです。
素敵な古い建物があります。ワクワクしてきました。
少し歩くと、「篆刻美術館」があります。
旧平野家の表蔵棟と裏蔵棟です。
酒類卸売業を営んできた平野家の耐火石蔵です。
大谷石を用いて、大正9年に建てられました。
表蔵は石造3階建てで、1階は洋間、2階は納戸、3階は数寄屋風の座敷があります。
裏蔵は、表蔵と中庭をはさんで建てられ、倉庫として使われました。
今は、篆刻美術館として利用されています。
篆刻とは、方寸(一寸四方)の石に篆書と呼ばれる書体で、古代の漢詩などからとった言葉を刻んだ書道芸術です。
ここは、日本で最初に(1991年)、篆刻専門の美術館として開館したそうです。
このすぐ近くに「古河街角美術館」がありました。
レトロな洋館です。
見たかったのですが、時間の関係でパスしました。
ここから少し行ったところに、「永井路子旧宅」がありました。
永井路子さんが住んでいた当時に近い状態に復元した店蔵は、江戸時代末期の建造と考えられ、古い商家の趣があります。
永井路子は有名な小説家で、「炎環」(1964年)で直木賞を受賞します。
以後、歴史小説で活躍し、歴史の影にあった女性に光を当ててえがいて人気をはくしました。
細川ガラシャを描いた「朱なる十字架」、女流文学賞の「氷輪」、吉川英治文学賞の「雲と風と」などがあります。
次は、「正定寺」を目指しました。
この通りをさらに進み、少し行ったところを右に入ると、この寺がありました。
江戸時代初期の大老 土井利勝が寛永10年(1633)に開いた寺で、土井家歴代の墓所です。
利勝は、江戸初期における最大の実力者で、ここ古河の藩主となります。
徳川秀忠の誕生と同時に近習となり、年寄(老中)として常に政権の中枢にありました。
智謀の人として有名で、高い政治能力と行政力を持っていました。
彼は、また、古河藩主として古河の城と町を大規模に拡幅整備し近世城下町古河を完成させます。
現在、城に関するものがあまり残っていないのが残念です。
土井利勝像。
昼食を食べていなかったのに気づき、寺のすぐ近くの鰻の店で、鰻重をはりこみました。
ここで、少し、休憩しますね。
次のブログで。
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