支流からの眺め

医療崩壊の虚実―疑問に答える(1)

 新型コロナウイルス感染症(武漢ウイルス感染症Wuhan acute respiratory syndrome: WARS)に関する前のブログへの疑問にお答えしたい。

 「最も患者の多い東京都でも、入院患者数は重症が約200人、他が約3000人である。これは2千ある全ICUの10%、10万ある全病床の3%程度である。」と記した。これは、「患者を受け入れる余裕があるのに、病院がサボっているという意味か?」との疑問がある。答えは、「病院がサボっているという意味ではない。この程度の病床占有でも通常の医療が成り立たなくなるような構造的問題があるという意味である。」つまり、日本の医療制度が感染症の流行に対して脆弱なので、いわゆる医療崩壊の危機に陥っている。

 感染症に対して頑強な医療制度とは何か。流行が起これば、国の感染症対策本部が立ち上がり、疫学調査を行い、病状や感染経路についての情報を収集し、適切な医療資源の分配を指示する。併せて、措置入院や行動制限などの法律の整備や執行、予防法の啓発や治療法の開発も行う。この対策の中で医療制度に必要な頑強さとは、人員や設備や技術や知識などの医療資源だけではない。これらの資源を生かすことのできる、医療機関への指揮命令系統である。WARSでは、軽症者や無症状者が多い一方、重症者が数%、死亡者も1%程度で、重症患者と他の患者とは診療内容が全く異なる。従って、重症度別の医療提供が可能な系統でなくてはならない。

 ところが、その命令系統がないのである。医師会が呼びかければ・・と思うかもしれない。しかし、医師会は診療所の開設者(開業医)が主な組織員の任意団体である。医療行為に関する行政権はない。また、診療所の医療レベルでは重症者の診療は難しい。それでも、軽症者の診療、発熱外来や健康相談、在宅療養を余儀なくされる患者への訪問診療など、診療所の医師がやれることはある。ところが、診療所の殆どが民間であり、医師は事業主も兼ねている。医療崩壊を叫ぶ医師会長がWARSを診ていないと揶揄されるように、経営的に釣り合わないことに多くの組織員は消極的で、医師会から要請するのも無理がある。もっとも、軽症者は自然に軽快することが多いので、取りあえず棚上げでいいだろう。問題は命に係わる重症者である。

 重症者とは人工呼吸器を必要とするような患者である。中等症患者も常に観察が必要である。特に高齢者や特定の疾患(糖尿病や免疫疾患、呼吸器や循環器系の疾患など)を持つ人は危険である。高齢者の場合は、介護度も高くなる。このような患者に対応できる医療機関は、集中治療室(ICU)を有する急性期病院に限られる。しかし、この「大病院」には、大学病院、公立病院(国立、自治体立など)、公的病院(JCHO、日赤、済生会、労災、厚生連など)、民間病院などがある。成り立ちが多様で、人事交流も乏しく、経営上の競争相手であることも多い。これらの病院に統一的に指示できる機関はない。行政からの発信も協力依頼に留まる。

 その結果、WARS流行に際しては各病院が独自に対応し、一部の病床や人員をWARSに振り分けるなどして院内で対応してきたのが現状である。ところが、その「一部」の振り分けが病院全体に多大な影響を与えてしまうのである(この事情は、次のブログで詳しく述べる)。そのため、WARS診療を行えば、一般病床だけでなくICU(集中治療室)の機能も著しく低下し、他の疾患の医療が制限を受けることになる。診療制限で患者数が減れば、病院では経営的な困難も深刻となる。そこで、WARSに割く診療資源を最小限に留めようとする。かくて、WARSに使われる病床が全体の10%未満にしかならないのである。

 WARSの診療負担が各病院の独自の対応に収まるうちは、それでもよい。それを越えた場合は、別の病院を建て人員を動員するのが最善である。それが無理なら、首長の指示で、公立病院がWARS専門病院となるしかない。防衛大臣の指示で動く国立の自衛隊病院では、WARSへの対応は迅速かつ適切であった。しかもWARS医療に資源を集中投下しても、経営的な問題は考えなくてもいい。病院の運営経費は、診療報酬ではなく国の予算で支えられているからである。この経営問題からの自由さは、公立病院もほぼ同様である。専門病院ができれば、他の急性期病院はWARS以外の診療に集中できる。患者から見ても、専門病院がある方が医療にかかりやすい。こうして病床を効率的に運用すれば、医療全体の崩壊を防ぐことができる。

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