前回のブログでは、医師の働き方改革(即ち、医師の勤務時間制限)の問題点を挙げた。①医師の働き甲斐を損なう、②勤務時間かどうかの線引きが曖昧で、悪くすると医師にサービス残業(タダ働き)を強要する、③患者や住民への医療提供体制が悪化する、④医師の収入や病院の収益が減少する、などである。利点を挙げるなら、業務の見直しやDXなどで効率化が図られることだろうか。
やり甲斐を奪われ不本意な勤務体制で収入も減るとなれば、多くの勤務医は楽な診療科、開業、儲かる自費診療に流れる。病院は収支の悪化に直面し、医師の賃金を下げるか医師を雇用せず業務委託する形態をとる。後者の場合、医師は個人事業主となり自由度や裁量権は残るが、収入は歩合制となり身分も不安定となる。病院への忠誠心は失われ、研究や教育への熱意も下がるだろう。
肝心の医療体制はもちろん悪化する。今まで通りの救急応需や診療形態は期待できない。我が国の医療は世界的に見ても非常に安価で、かつ(個々には不本意な場面もあろうが)患者本位の体制を堅持してきた。困ったときには助けあうという日本人の美点が支えていたのだ。身を粉に診療に励む医師の姿はなくなり、慇懃だが他人行儀で儲けを優先した医師患者関係になるだろう。
これだけ問題があっても改革に走るのは、医師の心身の健康を保つという大義のためだ。そうならば、自己研鑽や宿直の名のもとに労働を強制することがあってはならない。応召義務の除外事項も拡大する必要があるだろう。費用を惜しんで改革を進めれば、結局は医師の収奪に終わり、プロ意識や研究意欲の低下などから医療の質の悪化を招く。仏を作って魂を抜くような結末は避けるべきだ。
そもそも労働時間の削減は正しいのか。1960年頃は土曜も半日仕事で休日は約72日だった。今は土日と祝日とで約120日が休日だ。当時の年間労働は2,400時間超だったが、2021年度は1,607時間と米国(1,791時間)より短い。ほどほどに働き清貧と不便を受け入れるのも考え方だ。しかし、それでやれるのか。理想論で人材の粗悪化を招いた「ゆとり教育」の轍を踏まないように願いたい。(了)