いやー、疲れまくりです。途中で寝るかもしれんです。
治療室はシーンとしてました。看護婦さんは、
「大丈夫ですか?」
数分ごとに聞いてきました。私も、
「大丈夫です!」
「ゴフッ、ゴフッ。」
と咳と血は止まりませんでした。もう一度、
「俺、死ぬとですか?」
と聞き返しました。先生は、
「それは、解りませんが、危険な状態です。」
「そうですか。」
「そうかー!死ぬのかー?」
「何でやー?」
そんな事を言っていました。体にはいっぱい機械が装着され、まるで、ロボットみたいになっていました。この一年前、親友はこの状態になっていました。その時は、意識がなくて眠ったままの状態でした。
(○田、俺もお前ん所に逝くかもしれんぜ!)
その時、看護婦さんが、
「他に、誰か電話したい人とかはいませんか?」
と、聞いてきました。私は、
「そうだ、看護婦さん、またバッグを取って下さい。」
私は、バッグから一枚の写真を取り出しました。子供達の写真です。海にいっている写真です。海水浴の写真です。
(離婚した時は、まだ下の娘は0歳児で、まともにお話をした事もなかった。)
(電話で話しても、恥ずかしいみたいで、あまりしゃべっていませんでした。)
娘に会いたい。もう一度生きて娘に会いたい。ちゃんとお話がしたい。私は、強く思いました。
(もう一度、娘に会おう。)
(こえんが、所で死なるーか!アホみたいな目に会うて。)
(早くに死んだ父親も、一年前に死んだ親友も意識をなくし、ただ、機械を装着するだけで眠ったまま死んでいった。こんな目にあって、死んでいったのか?人の命ってこんなものなのか?)
(俺は死なん!絶対にここで死なん!こんくらいで死なるーかー!福岡に帰って、もう一度、娘に会うまでは絶対に死なんぞー!)
強い意志で静かに決意しました。
黙っていると、先生が、
「米○さんは、お子さんがいるんですか?」
(なんか、いかんとや?子供がおったら?俺に子供がおったら問題でもあるとや?)
「えー、います。2人。上が男の子で下が女の子です。」
と、答えると先生は驚いていたようでした。 ・・・・・つづく
治療室はシーンとしてました。看護婦さんは、
「大丈夫ですか?」
数分ごとに聞いてきました。私も、
「大丈夫です!」
「ゴフッ、ゴフッ。」
と咳と血は止まりませんでした。もう一度、
「俺、死ぬとですか?」
と聞き返しました。先生は、
「それは、解りませんが、危険な状態です。」
「そうですか。」
「そうかー!死ぬのかー?」
「何でやー?」
そんな事を言っていました。体にはいっぱい機械が装着され、まるで、ロボットみたいになっていました。この一年前、親友はこの状態になっていました。その時は、意識がなくて眠ったままの状態でした。
(○田、俺もお前ん所に逝くかもしれんぜ!)
その時、看護婦さんが、
「他に、誰か電話したい人とかはいませんか?」
と、聞いてきました。私は、
「そうだ、看護婦さん、またバッグを取って下さい。」
私は、バッグから一枚の写真を取り出しました。子供達の写真です。海にいっている写真です。海水浴の写真です。
(離婚した時は、まだ下の娘は0歳児で、まともにお話をした事もなかった。)
(電話で話しても、恥ずかしいみたいで、あまりしゃべっていませんでした。)
娘に会いたい。もう一度生きて娘に会いたい。ちゃんとお話がしたい。私は、強く思いました。
(もう一度、娘に会おう。)
(こえんが、所で死なるーか!アホみたいな目に会うて。)
(早くに死んだ父親も、一年前に死んだ親友も意識をなくし、ただ、機械を装着するだけで眠ったまま死んでいった。こんな目にあって、死んでいったのか?人の命ってこんなものなのか?)
(俺は死なん!絶対にここで死なん!こんくらいで死なるーかー!福岡に帰って、もう一度、娘に会うまでは絶対に死なんぞー!)
強い意志で静かに決意しました。
黙っていると、先生が、
「米○さんは、お子さんがいるんですか?」
(なんか、いかんとや?子供がおったら?俺に子供がおったら問題でもあるとや?)
「えー、います。2人。上が男の子で下が女の子です。」
と、答えると先生は驚いていたようでした。 ・・・・・つづく