当たり前と思って検索すると「出てこない」。当り前だろう、昨年は本日記は空白だらけだった。したがって記録として残すべきものも、まったくない。ということで今回検索したのは、長野県民俗の会第239回例会のこと。この例会は民俗地図研究会の発表機会でもあった。その内容について、何も記録はない。それはさておき、その例会でわたしが利用した地図が下図である。これは何かと言えば、図のタイトルにあるように「火祭りの呼び名」を示したもので、範囲は「上伊那」を示している。実はこの図は『長野県上伊那誌 民俗篇下巻』(昭和55年 上伊那誌編纂会)のもので、下巻は方言編であった。方言だけで680ページ近いもので、かなり力を入れられた書と言える。方言についてのこうした公的編纂物では特筆されるものなのかもしれない。方言地図が288枚作成されており、さらにその調査地点は240箇所にものぼる。長野県史民俗編の調査地点数が県外を含めると455箇所ほどあったから、この狭い範囲だけで240箇所というのは密度が濃いとも言える。方言を扱ったものだから、方言外の民俗に興味を持っているわたしたちには、そのすべてに視線が向くことはないが、ここに示した図の呼び名には、方言と言うよりは、信仰の地域性が垣間見えて興味深い。実際の前掲書に掲載された地図は、複数の呼び名があると括って両者を表示しているが、今回わたしたちが目指している民俗地図は、地図を作成した上で意図のある図に編集しているので、「括る」という表現は、よほど複数の記号を示さなくてはならないという意図がない以上やらない予定だ。
ということで、あらためてQGISを利用して前掲書の地図を作り直してみたものが、ここに表したもの。せっかく上伊那誌の方言調査地を地物として落としたから、ほかにもいくつか地図を作成したいところである。
さて、地図であるが、行政枠は大正9年のものを示している。行政枠外に表示されているのは塩尻市や諏訪地方、ようは上伊那郡外のデータも示している。セイノカミと呼ぶ地域が伊那市は天竜川両岸、そして辰野町までの天竜川右岸に多くあるとともに、諏訪や大鹿村にも点在する。駒ヶ根から伊南ではホンヤリが圧倒しているのがわかる。